魔王様の一日ギルド職員1
◆ライラ◆
ロランはアイリスにもギルドマスターにもいいように使われ過ぎではないのか。
また特殊な頼まれ事があったらしく、内容はライラに教えないまま家を不在にしてしまった。
「少しくらい断ればよいものを」
ぼそっと言うライラは、町の朝市へとやってきていた。
新鮮な野菜や肉が売られている市場で、食材を選んでいると、見るからに具合の悪そうなミリアがフラつきながら冒険者ギルドのほうへ向かっていた。
「おい、ミリア。そなた、体調が悪いのではないか?」
「あ。あぁ……妾さん……」
いつもは春の日差しのような笑顔を覗かせるミリアは、どんよりとした表情で、返事をするのもやっとという様子だった。
「仕事か? 具合が悪いのなら休むがよい」
「でも、きょ、今日はロランさんがいないみたいですし、わたしまで休んじゃうと」
「そのようなもの、どうとでもなる」
うむ、と自信たっぷりにライラは言い切った。
「妾がアイリスに伝えてやろう。そなたはこのまま帰宅せよ」
「うぅ、でもぉ……」
こんなになってまで仕事をしようとするミリアが、ライラには理解できなかった。
「そなた一人いないところで組織は揺るがぬ。一兵卒風情がおこがましいぞ」
ライラなりに休んでも問題ないと伝えたつもりだったが、ミリアは少しヘコんでいた。
「そ、そうですよね……わたし程度がいないくらいで……ギルドは通常営業ですよね……」
フラつくミリアが心配だったので、ライラは家まで送り届けると、アイリスにこのことを伝えるためギルドへ向かった。
閉館を示すように、ギルドの扉は開いていない。
「アイリス、アイリスはおらぬかー?」
扉を叩くと、うっすらと隙間ができ、男が顔を覗かせた。
「まだギルドは開いてねーの、お嬢さん」
この男、見覚えがある。
ロランの先輩職員にあたる、モー……なんとかだ。
「モーガン、そなたか。アイリスを呼んでほしい。至急伝えねばならぬことがある」
「モーガンじゃねえ。オレはモーリーだ。支部長に用事?」
怪訝そうにモーリーが目を細めと、扉がまた少し開いた。
「あ。赤い人じゃねえか……」
「赤い人?」
ライラが首をかしげる。
おほん、と扉の向こうで咳払いが聞こえ、眉に唾をつけキメ顔でモーリーが出てきた。
「赤いお嬢さん。オレがあなたをエスコートしよう」
「ふむ。ではよろしく頼む」
開館間近の室内では、みんな自分の席で仕事の準備をしているようだった。
「支部長に何の用?」
「ちょっとしたことだ」
「どこ住んでるの?」
「なぜそなたに言わねばならぬ」
「今度オレと一緒に――」
「断る」
取りつく島もなく、ライラはモーリーの質問をシャットアウト。
「あら。ライラちゃん。どうしたの」
支部長室からアイリスが出てくると、意外そうに眉を持ち上げた。
「モーガン、そなたは下がってよいぞ。案内ご苦労であったな」
「だから、オレはモーリーだって。まあいい。いつかその強気な態度が、オレの前じゃしおらしくなるって考えると、そそるぜぇ……」
羽虫のごとき男が何を言おうと、ライラはまるで取り合うこともなく、無反応だった。
ロランとの関係を知っているアイリスは、呆れたようにため息をついた。
「モーリー、あなた仕事の準備は終わったの?」
「いや、今やろうとしてたところに、この赤いお嬢さんが」
「言い訳は結構。早く行きなさい」
「っす……」
顎を前に突き出すような会釈をして、モーリーは事務室のほうへ戻っていった。
「それで、どうかした?」
「今日、ミリアの体調が酷く悪く、今日は仕事を休む」
「え? 今日!? ろ、ロランもいないのにっ!?」
アイリスの表情が曇る。
「何かマズいことでもあるのか? たった二人であろう」
「そうなのだけれど、さっき同じように体調不良で休むって別の職員から連絡があったばかりなのよ」
「むむ。となると、手が足らぬのか」
「ええ、そう。よっぽど手が足りなければ私も受付業務をするときがあるけれど、そればかりをやっていられないし、そのうち一人はモーリーだから……」
ライラもことの重大さがようやくわかってきた。
「それでは、いつもの半数ほどで業務をこなさねばならぬか」
「そういうことよ。終わったわ……」
天を仰ぐアイリス。
「久しぶりに残業なしで帰れると思ったのに」
よくよくアイリスの顔を見てみると、疲れが目元や肌に出ていることがライラにもよくわかった。
支部長という仕事は、なかなかに大変らしい。
ライラはうなずき、胸を叩いた。
「心配はいらぬ。アイリスよ、妾に任せるがよい!」
「え?」
「ロランの仕事ぶりは、妾も大いに知るところ。代理職員として、一日勤めあげてみせよう!」
「だ、大丈夫かしら。不安しかないのだけれど」
暇なときは、黒猫になりロランの足下で仕事を観察していたのだ。
一見して難易度の高いことをしているようには思えず、また職員しかできないような専門性のある内容でもないように思えた。
「ううん……こうなれば、背に腹は抱えられないわね……!」
アイリスが腹をくくると、「こっちに来て」と手を引かれ、支部長室へとライラは連れていかれた。
そこでライラが渡されたのは職員の制服だった。
「ほうほう、これが」
感心しながら、ライラが袖を通す。
鏡の前で前後を確認し、シャツの内側に入っていた髪の毛を外に出す。
「ライラちゃんが着ると、不思議と品が出て高級感も出てくるわね……」
率直に似合っていることをアイリスが告げると、ライラは得意げに鼻を鳴らした。
「妾に、似合わぬものなどない――っ」
似合わなければ、それは服が悪いと言いたげな、絶大な自己評価だった。
「時間がないわ。行きましょう。みんなに状況の説明と、ライラちゃんを紹介しなくちゃ」
つかつか、と部屋を出ていくアイリスが、ちらりと振り返る。
「私よりも風格が出ているように見えるのは、気のせいかしら……」
魔王軍を率いたカリスマ魔王には、少々手狭な戦場ではあるが、ギルド職員の戦場であることに変わりはなかった。
「アイリス。妾がいれば、ロランなど取るに足らぬことを思い知るであろう」
「そんなわけないわ。ミリアはともかくね」
ミリアはともかく――。
ぷぷぷ、とライラは小さく笑った。
部屋を出ていくアイリスについていくと、事務室へとやってきた。
アイリスの隣にいるライラを三人の職員が不思議そうに見つめている。
「赤い人」
「町でたまに見かけるあの綺麗な子だ……」
「お嬢ちゃん、よく似合ってるぜ。コスプレ?」
アイリスに目を向けられたライラは、簡単に自己紹介をした。
「妾はライリーラという。ライラと呼ぶがよい。今日一日、そなたらの仕事を手伝わせてもらうぞ」
わけがわからなさそうにしている職員たちに、アイリスが事情を説明した。
「……というわけで、今日は、ここにいる全員で一日を乗り切るわよ」
男性職員、女性職員とも深刻そうな顔で、今にも頭を抱えそうだった。
「アルガン君、いねえの? やべえじゃん……」
「え……嘘でしょ。回らないじゃない。ミリアもいないなんて……」
ただ一人、何も考えていない男がいた。
「ミリアちゃぁ~ん、風邪かなぁ~? オレがあとでお見舞いに行かねえと。そんで、体調管理も仕事のうちだぞ、ってキビシぃ~こと言って、そのあと、今日はゆっくり休みな、ってイケボでささやけば――オチる……」
ぐへへ、と下衆の笑いをモーリーはこぼす。
あまり仕事に真面目な男ではない、と観察していたときから思っていたが、なるほど、アイリスが戦力に数えていないのもうなずける。
「私も今日は受付にヘルプで入ります。それと同時に、ライラちゃんにひと通り仕事を教えるわ。あなたたちは、あなたたちのできることをしてちょうだい」
「「はい」」
「うぃーっす」
例外を除いて三人がピリピリしはじめた。
うむうむ、とライラは満足げにうなずいた。
「戦場の空気はこうでなくてはならぬ。少数で劣勢とあらばなおさらな。弛緩しているなぞもってのほかである」
臨戦態勢に入った表情のアイリスは、「以上で、朝礼終わります」と口にする。
女性職員が閉まっていた入口の扉を押し開けると、すでに待っていた冒険者たちがぞろぞろと中へやってきた。
ライラの一日ギルド職員がはじまった。




