火種
◆??◆
王城地下の特別房に囚われた男は、ぶつぶつと独り言をこぼしていた。
「知っている。知っている。経験済みだ。このやり方は、あの監獄での……」
対エイミー戦で斬り飛ばされるまでの右腕としての記憶が、男には残っていた。
目隠しをされ、真っ暗闇の中に放置される。
誰がいつ来るとも知れない中、男は頭がどうにかなりそうなほどの静寂に耐えていた。
そんなとき、かつかつ、と足音が小さく聞こえる。欲していた光が目隠し越しでもかすかに感じられた。
飢餓感をしばらくは遠ざけられそうだ。そんなふうに思っていると、空気に香りがついたかのような柔らかなにおいがする。
女のにおいだ。
鉄格子が軋んだ音を上げ、開かれる。
足音と共に香りは強くなっていく。
外で生活していれば何とも思わないであろうこの嗅覚は、この特別房にいるからこそ鋭敏になったものだった。
「水だ。飲むといい」
声で誰が来たのかわかった。目隠しを取らないあたり、顔を直視したくないのだろう。本物をよく知っているから。
口を開けると、スプーンひとすくいほどの水が一滴、一滴と垂れ、口内がかすかに潤った。
「エルヴィか」
「……」
「隠さなくてもいい。声でわかる」
「処刑日が決まった。明日だ。名もなく死んでいくがいい」
「そうか」
「教えてほしい。質問に答えてくれたのなら、明日までの命ではあるが、飢えと渇きを癒せることを約束しよう」
――迷った。
口にしかけた言葉を、喉の奥に押し込んで、一拍、間を開けた。
「俺は、ロランの分身だ。今までおまえたちと何をしてきて、どんな関係性だったのかも知っている」
「……経験ではなく、あくまでもただの知識だ」
「フン。違いない」
「話すつもりがないのであれば、ここまでだ」
コツン、と硬い踵で特別房の床を叩く音がした。
「別の話ならできる」
コツン、コツン、と間隔がゆるくなり、そこで足が完全に止まるのがわかった。
「別の話とは?」
「俺たち……いや、ロランを含めた勇者パーティは魔王を討伐した」
「だから何だ」
「魔王は死んでいない。生きている」
「何を言うかと思えば……戯言を。我々が死体を確認したのだぞ」
「倒したわけではないだろう。倒したのは『俺』だ。ロランだ。……セラフィンが持っていた魔法具の首輪を使い、魔王を『殺した』。あいつは……ロランは魔王を逃がした。奴は今も生きている」
無言だった。衝撃を受けているのだろうと予想できた。
一本気な性格なのは記憶にある通りだ。馬鹿がつくほど真面目な彼女が、このあとどう動くのかも見当がついた。
……翌日、男は秘密裏に処刑された。
暗殺者の末路のひとつとしては、珍しくもないのだろう。
見届けたエルヴィには、昨日の男の言葉が、血糊のように頭の中からこびりついて離れなかった。
ロランが欲しがった情報は話さないだろうと思ったエルヴィは、昨日、特別房を出た。そのとき、とどめのひと言が聞こえた。
「赤髪赤目の、美しい魔族の女だ。ピンときたのなら、そいつが魔王だ」




