ルーベンス神王国からの密使5
黄昏時の町を『シャドウ』の案内に従って走る。
曲がり角に差し掛かると、金属が擦れるような声を上げて指を差した。
「……」
ライラに危害を加える気はないらしいが、一体何が目的なのだろう。
誘拐犯が『俺』だとすると、やはりルーベンス王を暗殺したものおそらく――。
『シャドウ』が指差したのは二階建ての廃墟だった。王城やエルヴィの屋敷からずいぶん離れた郊外にあった。
仕事を終えたと言わんとする『シャドウ』は、ふっと姿を消した。
少し前エイミーと戦ったとき、ずいぶんな強敵だと思ったが、早速同等の力を持つ誰かと戦うことになるとは、わからないものだな。
『俺』なのか、俺を模した何かなのか――手合わせすればすぐにわかるだろう。
到着を察したような雰囲気が廃墟から漂っている。気配を消したところで大した意味はないだろう。
ライラが丁寧なもてなし、と言っていたが、あれはどうやら皮肉だったらしい。
軋む扉を開けて中に入ると、二〇人ほどが集まっても窮屈でないほどの広間らしき場所に出た。
階段は腐って落ちており、下から見上げると二階の様子がわかった。
「来たか」
すっと、奥の物陰から男が姿を現した。
黒髪黒目に、切れ長の瞳。細身の体型ではあるが、能力を最大限に活かすであろう筋肉があるのがわかる。
鏡でよく見る『俺』そのままだった。
違いがあるなら、右腕の有無だろう。
「ライラをさらってどうする気だ?」
「あいつは、奥の部屋で寝ている。二日酔いらしいからな。危害は加えていない。安心してくれ」
「おまえは何者だ」
「見てわかるだろう。俺はおまえだ」
「チッ」
そんなこと――。
「見ればわかる、とでも言いたげだな」
フン、と皮肉げに笑った。
「次は、そういう意味ではない、か?」
「察しがいいクセに頭は悪いらしい。わかるならさっさと答えろ。右腕から体が生えたなんてことはないだろう、さすがに」
半分冗談で言うと、『俺』は目を丸くした。
「……これは少し驚いた。さすがと言うべきか」
「冗談だろ?」
今度は俺が意表を突かれる番だった。
「どこまでやれるのか――本人と相対するのが一番だと思ってな」
便宜上、右腕としておこう。
右腕はガラクタの中から錆びたナイフを手に取り、空中に放って掴む。それを二度繰り返した。
「おまえの腕試しに付き合わされる身にもなってもらいたいものだ。劣化コピー」
「負けたほうがそう呼ばれることになる。どちらがその名を背負うか、すぐにわかるだろう。ギルド職員としても、勇者パーティとしても、暗殺者としても、上手くやるから安心すればいい」
誰がどうして俺の腕を持ち去ったのかはわからない。
だが、右腕は俺になり代わるつもりでいるようだ。
「代わりにライラを可愛がるのも俺だ」
「生まれて間もない赤子にしてはよくしゃべる」
無言になると、空気が張り詰めた。
エイミー並みの重圧だ。
気を抜けば尻もちをついてしまうかもしれない。
さすがは『俺』とでも言っておこう。
スキル発動――。
だが、タイミングが被った。
見失った。
同じように右腕も見失っていた。
初手はお互いに立ち位置を入れ替えるだけの結果となった。
だが……俺にあって右腕にないものがあるとわかる。
おまえはそれに気づけたか?
「……」
無言のまま錆びたナイフを構える右腕。
俺が左手を差し向け、中指を自分のほうへクイクイと二度折る。
すると、鼻で笑われた。
さすがに挑発には乗らないか。
挑発、視線の向き、左右の足にかけた体重の比率――フェイントをかけ出方を窺う。それは右腕も同じだった。
虚々実々の応酬に、今のところ動かないことが最大の攻撃となっていた。
戦闘スタイルが噛み合い過ぎているせいだろうか。
ここまでついてこられる敵にはじめて出会ったことが、なぜか嬉しく感じられた。
改めて廃墟内部を観察し、フロアのおおよそを把握した。
「腕から元の体が生えるというのは、新しい技術か何かか?」
「おしゃべりでもしたくなったか? 俺なら質問に答えないことくらいわかるだろう」
「そうだな」
吸血族のワワークが術式言語で魔力を制御、増幅させたりしているのだ。
人間や魔族が知らない技術というのは、まだたくさんあるのだろう。
問題は、そんな技術がどこにあり、誰が何のために運用しているかだ。
どれくらいこうして対峙しているのだろう。
一分ほどのような気もするし、一時間近くそうしていたような気もする。
「これは提案なんだが」
右腕が改まったように言った。
「スキルを使うのはやめないか? いつまで経ってもケリがつかない」
……そうくるか。
「いいだろう。乗った。俺もおまえも『影が薄い』は使わない」
俺が了承した瞬間だった。
お互いに動き出す。
俺は何かが半ほどで折れていた棒を拾い、右腕が鋭く刺突したナイフを棒で軌道を変えた。
左右から繰り出される攻撃に、俺は防戦一方となった。
腕一本と二本。子供でもわかる理屈――。やはり手数で押すか。
致命傷を避ける防御と切れ味の悪いナイフのおかげで、大したダメージはない。
もし使うなら、ここ一番の瞬間――!
ナイフで棒が弾かれた。
ふっと眼前から右腕が消えた。
『影が薄い』スキルを使われたことはすぐにわかった。
スキルを使わない約束など、反故にして当然。
俺はそんなお行儀のいい戦いをしてきたわけではない。
卑劣こそ正攻法――。
確実に殺せる瞬間を狙って使用するだろう、と踏んでいたが正解だった。
音も気配も何もないが、全身の力を込めた回し蹴りを背後に見舞う。まだ誰もいないが、ここに来てくれる――そんな信用だけはあった。
直撃する寸前にかすかに姿を視認した。
やはりな。
ドゴンッ、と思い手応えとともに、数メートル右腕が吹き飛び、受け身を取った。
先に仕掛けたおまえの負けだ。
弾かれた棒を掴み、一直線に右腕との距離を詰める。
俺がスキル使用禁止を反故にすることくらい、右腕にもわかっていた。そして、自分から破った今、俺が使用をためらう必要はどこにもない。
だからこそ、迷う――。
眼前にいる俺がいつ消えるのか。そうすれば自分の攻撃プランとまったく同じで、使用後は背後から攻撃するのか――。
ほんの少しスキルに気を取られたコンマ一秒以下の時間を、俺は見逃さなかった。
右腕の眼前からは消えない。スキルは使わない。
正面から仕掛ける。
まだ半信半疑の右腕は、わずかに反応が遅れた。
だが、『俺』たちの技術経験能力なら、正面からの攻撃なんて余裕で防げる。
――とでも思っているだろう。
おまえは知らないだろうが、腕一本というのは、意外と重い。やつに比べその分俺は身軽だった。
敵が防御に入るまでのごくわずかな時間に、ただの棒きれを胸に突き立てた。
「っ……!?」
その数百グラムの差で、想定外の十数センチを生んだ。
気づかなかっただろうが、初手のスキルを使って不発に終わった攻撃では、かすかに俺のほうが静止するのが早かった。
もし両腕があったのなら、正面攻撃は簡単に防がれていただろう。




