ルーベンス神王国からの密使4
◆ライラ◆
「頭いた……」
うっすらと覚えた吐き気と、続いて襲ってきた頭痛のせいで、ライラの目覚めは最悪と言えた。
「気持ち悪い……」
また寝てしまおうかと思ったが、気分の悪さが先に立ち、寝るに寝られない。
カーテンが開けられた室内は日光がよく入り、寝起きのライラには非常に眩しいものだった。
いつの間にか、もう昼を過ぎようとしているらしい。
「……」
隣のベッドにロランはいない。
大抵飲み過ぎた日の翌日、ロランはどこかへ行ってしまう。外出するにしても体調不良でどこへも行けないとわかっているからだろう。
だが、世話を焼いてもらうつもりだったライラには、それが少しだけ寂しかった。
「どこへ行ったのだ……?」
ベッドのそばにあるサイドボードの上にあった水差しとグラスに気づき、水を一杯飲んだ。
「背をさすってもくれぬ……膝枕もしてくれぬ……なんと冷たい男か……。猫のように可愛がってくれればよいものを……忙しい男め……」
そうぼやいて、客室を出ていく。
通りがかった使用人に話を聞くと、早朝からエルヴィとともに王城へ向かったという。
「夕方か夜まではお戻りになられないかと」
礼を言って、ライラはまた寝ることにした。
「ん?」
客室に戻る途中、ロランの姿が見えた。こちらに気づく様子はなく、客室の扉をそっと開けて、中を確認すると、踵を返した。
「戻っておったのか?」
「……ああ」
あの堅物娘の姿が見えないが、どこかで別れたのだろう。
「それで。事件について何かわかったのか?」
「事件?」
「うむ。……この国の王が暗殺されたアレだ」
声を潜めて言うと、フッとロランが笑った。見かけてからずっと、ライラは違和感を覚えていた。
その正体が何なのか、探しているが判然としない。
「わかったも何も……俺がその張本人だからな」
「む? それはどういう――」
視界から瞬時に姿が消える。
次に声がしたのは背中からだった。
「これが……魔王か」
「ッ!」
距離を取ろうにも、二日酔いの体はまったく言うことを聞いてくれない。
魔法を発動させようにも同じことだった。
軽い衝撃を首筋に受けたライラの意識が遠のいた。
右腕がある――違和感の正体はそれだ。
◆ロラン◆
「礼を言わせてほしい」
会議室を出ると、まだお歴々がいるところでエルヴィは頭を下げた。
「ひと目がある。やめろ」
下げた頭を持ち上げようと、両手で頬を挟んだ。
「ひゃが、わらひは、こころからの、へいを」
頬を挟んでいるせいで、何を言っているのかわからないな。
白い頬から手を離した。
「おまえの未熟さが招いた事件だとしても……」
会議室から出ていく上級官たちは、それとなく俺たちのやりとりを気にしているようだった。
俺はエルヴィの腕を取り、すぐそばの角を曲がった。
「いいか。想定外のことは起きる。護衛が責任を感じるのはもっともなことだが、一身に背負う必要はない」
「……」
エルヴィが泣きそうになっていた。
「何だ」
「私は……ずっと、私一人が悪いのだと思っていて……そんなふうに誰も、言ってくれなくて」
「わかった、わかった。泣くな、面倒くさい」
「お、おまえはいつもそうやって冷たく突き放す! 優しくしてくれたと思ったら!」
俺を突き飛ばそうと伸ばした手を、ぺしっとはたく。
「いたっ」
「あいつらは、おまえ一人に責任を押しつけたいんだろう。エルヴィ個人というより、侯爵家の娘で、勇者パーティの一員として幅を利かせている近衛隊長様にな。常日頃おまえのことを邪魔だと思っていた連中からすると、願ってもない事件が起きた、というだけのことだ」
「なんと卑劣な……」
「やつらにエサを与えてしまったのは、もう一度言うが、おまえの未熟さが招いたことでもある」
「何度も言うな……イジけるぞ……」
アルメリアもそうだが、エルヴィも精神的な脆さがある。温室育ちのご令嬢二人には、矢面に立って糾弾されるのはとても辛いことのようだ。
会議は、エルヴィを魔女裁判にかけるものから、がらりと方向転換をし、跡継ぎはどの王子になるのか、という結論の出ない話し合いに終始した。
誰も彼も、我が身が可愛くて仕方ないようだった。
「エルヴィ指揮の防衛布陣をかいくぐるとなると、相当危険な襲撃者のはずなんだが」
誰も犯人について言及しなかった。その件に触れなかったあたり、国王暗殺はエルヴィを責めるための材料でしかなかったようだ。
「フェリンド王国も、あのような上級官たちばかりなのだろうか」
「わからない。多かれ少なかれ、あの手の輩はいるだろが」
エルヴィは通常業務に戻るから、と言って、俺に屋敷で待っているように伝えた。
「よ、夜はそれほど遅くならない! 夕飯……一緒に……」
「ああ。わかった。それまで自由にさせてもらう」
「う、うむ。絶対だぞ?」
わかった、と軽く手を振って、俺は王城をあとにし、寝起きした屋敷へと帰った。
「ライラ」
客室を覗くと、誰もいなかった。
「……」
水を飲んだらしく、使われたコップが水差しと一緒にサイドボードに置いてある。
二日酔いで動けないと思ったが、そうではないらしい。
大方、ふらふらと町をうろついているのだろう。
客室を出て使用人に訊いても、わからないらしい。
「お戻りになられたときに、廊下でお話をしているのなら見かけましたよ」
「お戻りに? ですか? 誰が」
「ロラン様……ですが……」
「僕が、ですか?」
はい、と不思議そうに使用人はうなずいた。
「……」
俺は今朝ここを出てから先ほどまでエルヴィとずっと一緒だった。
その俺似の誰かがライラと接触をした。
客室に戻り、ライラが寝ていたベッドに手を入れる。
「……まだぬるい」
それほど時間は経っていない。
王都の町をそっくりさんと観光しているとは思えない。ライラは勘がいい。俺ではないことにすぐに気づくはずだ。魔法やスキルで顔を変えていたとしたならなおのこと。
闘争の気配がないことから、気づかせる間もなく、どこかへ連れ去ったか?
「だがどこへ……」
コンコン、と窓の外にライラの『シャドウ』がいた。
こいつがここにいるということは――。
窓を開けて、中に『シャドウ』を入れると、ライラの声がした。
『ずいぶんと丁寧なもてなしであるな。このようなことをして、妾を捕らえたつもりか?』
『捕らえたつもりはない。自由にくつろいでくれ』
……俺の声だ。
話していないのに自分の声が聞こえるというのは、言いようのない気持ち悪さを覚える。
『そなた、その右腕はどうした』
『どうした、とは? 生まれてから元々あるものだ』
そっくりさんだとしても、さすがに右腕までは徹底できなかったようだ。
『……あのスキル、妾も間近で見るのは久しぶりだが、実に巧みであるな』
『「影が薄い」を目の前で食らって今も生きているのは、ライラ、おまえだけだ』
『影が薄い』は、人によって呼び方は様々だ。
俺の場合は、エイミーが適当に名付けてそう呼びはじめたのがきっかけだった。
他人が同系統のスキルをまったく同じ呼称をするとは思えない。
ライラが久しぶり、と言っていたことから、やはり俺の『影が薄い』に酷似するスキルであるようだ。
敵の情報を集めれば集めるほど、俺個人だと特定されていく。
「やはり、『俺』なのか?」
右腕……。
ライラが孫の手として使っていた、あの手――。
あれは今どこにある?
「キィ、キィ」
『シャドウ』が明後日の方角を指差す。
居場所を指しているのだろう。
俺は『シャドウ』を肩に乗せ、屋敷を飛び出した。




