隻腕の講師7
王城の客室に戻ると、セラフィンがいた。
テーブルの上には、琥珀色の蒸留酒に、グラスと氷が用意され、俺に気づくとふたつのグラスに酒を注いだ。
「どこに行っていたんですか?」
「トイレだ」
ふふふ、と上品に笑うと、こちらにグラスを差し出してきた。
「そうやって、ロランさんはわたくしたちを置いて、一人で……」
「何の話だ」
ほとんどセラフィンには勘づかれているが、そうだとは言わないでおいた。
「ずいぶんと長いトイレですね」
「ああ」
こうして酒を呑める相手は、あのメンバー内だとセラフィンだけだった。
エルヴィも呑めたはずだが、あの堅物は明日に響くから、と一滴たりとも口にすることはなかった。
「こうしていると、何だか懐かしくて」
人差し指で氷を弄びながら、セラフィンが唐突に漏らした。
「『勇者パーティには、毎日水浴びをさせてほしい』と軍部に認めさせたのはおまえだったな」
「ふふふ。そんなこともありましたね。アルメリアさんもエルヴィさんも純情な乙女ですから。その件でどうしたら上手く交渉できるか、相談をしたのは覚えていますか?」
「そうだったか?」
はい、とセラフィンがうなずく。
ゆっくりとした時間の流れを感じる。
ふと視線を感じると、扉の隙間から『シャドウ』がじいっとこちらを見つめていた。
「……呼んでいいか」
「ええ。構いません」
セラフィンも、いることには気づいていたらしい。
手招きすると、恐る恐ると言った様子で『シャドウ』が中へ入ってくる。
「どうするんです、ロランさん。そのお方は」
てこてこてこ、とやってきた『シャドウ』が俺の膝の上に乗る。
「どうもしない。例の首輪が直りそうでな。それをまたつけてもらうことにする」
「つけてもらう……そんなことができるんです?」
「それが本人の希望だ」
「ふうーん?」
俺のグラスを両手で持つシャドウが、ちびちびと酒を呑んでいる。こうしていると、小さな子供のように見えた。
「不思議な方なのですね」
「俺も、彼女も、以前の肩書を捨てている。もうやめたんだ」
「そうは言いますけど、ロランさんはロランさんで、築いてきた人間関係があって……今回もタウロさんに頼られてこうして王都でわたくしとお酒を呑んでいます。それは、そのお方にも言えるのでは?」
暗殺者をやめてはいるが、俺を頼ってくる人がいるように、ライラにも、誰かが……。
「首輪が直ればそれも杞憂に終わるはずだ」
「それもそうですね。もし何かあったときは、片腕でも勝てますか?」
「当然。俺は元々手数で勝負する戦闘はしない。格闘戦を主体としていたなら話は別だが、虚を衝き一撃で屠るのが俺の流儀だ。片腕で事足りる」
「物言いは、相変わらずですね」
「安心してくれ。心変わりをしたとしても、俺がどうにかする」
ちらっと『シャドウ』が俺を見上げて、また酒を呑みはじめた。
ライラはセラフィンのことをまだ警戒しているらしく、黙ったままだ。
「おぉーい、ロラン! 来たぞ!」
ノックもせずに入って来たのはタウロだった。
「どうしてここが」
「ギルドで案内させている宿にはいなかったし、いるとすれば王城内だろう、と。どうにか礼を言おうと思ってな」
「礼ならセラフィンに言ってやってくれ」
「その彼女を連れて来てくれたのはおまえだ」
「ロランさんは、相変わらず素直じゃないんですから、もう」
呆れたように言うセラフィンは、タウロに席をすすめ、三人で酒を呑むことにした。
ギルドの話や、ギルドのこれからの話、タウロの話をセラフィンはよく聞いていた。
「貴族ではなくおまえのような男だと、現場もやりやすい」
「んお? ロランが、オレを褒めた……?」
「褒めてない」
くすくす、とセラフィンが笑っている。
ずいぶんと深い時間になってしまったので、お暇することにして、客室をあとにした。
「何かあれば、タウロはセラフィンを頼れ。セラフィンは、相談に乗ってやってくれ」
二人から了解を得ると、俺は王城をあとにした。
『もうよいのか?』
「話すべきことは話したし、託すべき仕事は託した」
『そうではない。面とむかって語らうのは久しぶりであっただろうに』
「俺たちはいつだって会うことができる。いつ死ぬかはわからないが、まだそれは先だろうという気がしている」
ならよいが、とライラは言う。
『早く戻ってくるがよい。やはり「シャドウ」に呑ませるだけでは呑んだ気がせぬ』
「『ゲート』ですぐに帰る。酒の準備でもして待っていろ」
すっと『シャドウ』が消えた。
今日はライラが潰れるまで相手をする必要がありそうだ。
タウロが魔王復活の噂を耳にするということは、こちらでもその噂を知っている人間はいくらかいるだろう。
その程度であれば、魔界ではもっと情報が錯綜しているのではないだろうか。
ライラの父である元魔王は、ロジェの報告でそれを事実として知っているわけだし。
不測の事態が起こり、魔界に戻らざるを得なくなった場合、ライラはどうするだろう。
魔界でライラにしかできない何かがあって、だが、それには首輪が邪魔で。
「……」
セラフィンと呑んだせいか、少し感傷的になっているらしい。
どうしても戦争中のことを思い出してしまう。
家に帰ると、ライラが準備万端で待っていた。
「王都での出張、ご苦労であったな! ささ、呑むがよい」
リビングでは、ライラとすでにグラスに入れられた葡萄酒と皿のチーズが俺を待っていた。
ソファに座ると、ライラが隣にやってくる。グラスを軽くぶつけ、静かに葡萄酒を呑んだ。
「ふう……。なかなかよい酒であるな」
どれどれ、とボトルを確認するライラに尋ねた。
「俺のいない間も飲んでいただろう?」
「いや。一人で呑むこともなくはないが、そなたと一緒のほうがよい」
さらっとそんなことを口にした。
「……首輪。そろそろ仕上がるころだろうが、本当にいいんだな?」
「しつこいのう、そなたも。妾は、ここでの生活を気に入っておる。魔界で地位だの権力だの何だのと、もううんざりなのだ」
「ならいいが」
ライラが珍しいものを見るような目でじいっと俺を見つめてくる。
「愛いやつよ……」
ぎゅうっと抱きしめられ、頭を撫でられた。
「妾が帰ると言い出さないか不安だったのであろう?」
「そういうわけでは」
「そなたは、素直ではないらしいからな? くふふふ。言葉通り信じるつもりはないぞ」
楽しそうにライラは笑う。
この笑顔に、きっと嘘はないのだろう。
「さっそく酔っ払ったか」
「まだまだ全然」
白くて細い脚を絡めて、くいっとグラスを呷る。
「ついに、敵であった暗殺者まで虜にしてしまうとは……妾のなんと罪な美貌か」
芝居がかった口調で言うライラが調子に乗りはじめた。
「妾なしではもう生きてゆけぬ、と……なんともなんとも。愛いやつである」
「虜になったのは、おまえが先だった」
「わ……妾ではない!」
フン、と顔を背けるプライドの高い跳ね返り娘だった。




