隻腕の講師6
◆???◆
「……勇者パーティだからといって、大きな顔をされては敵わんな」
会議後、ゴウルン卿は、役員の貴族たちと一緒に邸宅で酒を呑んでいた。
手を鳴らせばまだ一〇代半ばの使用人が楚々とやってきて、用件を聞き、また酒と肴を運んでくる。
「タウロを降ろすことができれば、我らも自由にやりたいことができるというのに、あれでは……」
一人が嘆くように首を振った。
四家に初代の役員はもうおらず、いずれも次期当主、次期当主へと役員の座は世襲されていった。
この家のことは、ゴウルン卿が当主となってからのことしかわからない。
だが、冒険者ギルドのおかげでこの家はすさまじく潤っていた。
それも、タウロがマスターとなるまでの話だ。
余剰分とタウロに判断された金は、現場で仕事をする冒険者へ還元されることになってしまった。
「セラフィン様は、勇者パーティでは顔役だったと聞きます。あの手のやりとりには慣れていらっしゃるのでしょう」
ゴウルン卿の発言に、他の三人は面白くなさそうに鼻息を吐いた。
「やり込められてしまったのが気に食わん……」
一人の発言に、ああそうだ、と他二人がうなずく。
結局、彼らが大切にしているのは面子だけ。考えることは、いかに私腹を肥やすか。
ある意味、非常にわかりやすい。
「……陛下は、潔癖が過ぎる」
いつもの不満がはじまった。
欲望に底はなく、彼らは満たされるということを知らないかのようだった。
「貴族はその土地を任されておるのだから、もっと信用してくれればいいものを……」
「税を納めているのだから、放っておいてくれればよいのですが」
ゴウルン卿が調子を合わせると、やはり同意を得られた。
「……タウロは、やはり難しいか?」
一人がゴウルン卿に尋ねた。
暗殺の話だとすぐわかり、うなずいた。
「ええ。難しいです。何と言いますか、野生の勘のようなものが非常に鋭く、手の者もなかなか決行できないそうで……」
「もっと腕のいい者はおらんのか」
「派手に動けば、陛下の粛清の対象となってしまいます。ここは、慎重になるべきかと」
ゴウルン卿が裏社会と繋がりがあることを知ると、彼らは頼るようになった。
別の一人が言う。
「誰かが下手を打ち、我らが芋づる式で粛清される――これだけは避けねばならぬな」
「おっしゃる通りです」
タウロは、ゴウルン卿が見たところかなり難しい相手だ。
だが、と思う。
現役の私なら不可能ではなかった、と。
もう足を洗った今では、手の者の不甲斐なさを嘆くしかできないが。
「あの女はどうだ? アルメリア様のように最前線で戦うほうではなかっただろう」
ゴウルン卿に別の提案がされると、視線が集まった。
三人が口々に言う。
「戦闘能力は、それほど高くないはずだ」
「排除できれば、タウロを降ろすのは時間の問題」
「こう出るとはさすがに勇者パーティの一員でもわかるまいよ」
ゴウルン卿は、わからないようにため息を小さくついた。
自分の面子を守ること、他人を利用することだけは得意な連中だ。
ただ、ゴウルン卿は、ぬるま湯につかったかのようなこの生活をのんびりと楽しみたいだけで、私腹を肥やしたいとは思っていない。
「……いいでしょう。まずは調査をさせます」
ゴウルン卿は、手の者を一人呼び出し、セラフィン・マリアードの調査を命じた。
これで一安心と思ったらしい三人から安堵の空気を感じる。
戦場帰りの彼女にとっては、敵にすらならない相手だったというのも納得だ。
酒肴に十分満足した三人は宵の内に邸宅をあとにし、ゴウルン卿は、一人私室で酒を呑むことにした。
「セラフィン・マリアードか」
当時自分が受けるとしたら、報酬はいくらだっただろう。
ふっと、何かの気配を感じた瞬間だった。
身の毛がすべて逆立ったかのような悪寒がする。
背中が震え、一瞬にして吹き出した冷たい汗が顎から喉へ伝うのがわかった。
「今の気配で察したか。それで確信した」
背後から声がする。振り返りたくはなかった。
何か身動きひとつでも取れば、それが死に直結してしまうような、そんな重圧だった。
「俺の記憶力も捨てたものではないな」
ゴウルン卿には、この重圧に覚えがあった。
返り討ちに遭い、はじめて標的に命乞いをした屈辱の記憶が、脳裏をよぎる。
あのときの……?
「まさかルーベンス王に依頼されて俺を消しにきた暗殺者が、こんなところにいるとはな」
……ルーベンス神王国で『粛清の金曜日』を引き起こしたあのルーベンス王のことで間違いないだろう。ということは、やはり今後ろにいる彼は――。
「な……何をしに来た。私を殺しに来たか?」
「そんなつまらないことはしない。ただ少し話をしようと思ってな」
足音がすると、視界の端から現れた彼は、向かいのソファに座った。
……ギルド職員の制服を着ている。
何かの任務だろうか。
「何とは言わないが――――やめておけ」
「……」
「もう一度言う。やめておけ。これは、警告だ」
あのときと比べれば、ずいぶんと雰囲気が柔らかくなったような気がする。
恐ろしいほどの鋭さを持った当時と比べれば、だが。
「手を汚す世界から身を引いたのであれば、余計なことはするな。さもなければ、本当のことをランドルフ王に言わなければならなくなる」
バレている。
「俺も、おまえと同じだ。一線から身を引き、今ではこの通り――」
自分を軽く指さした。
「『普通』のギルド職員だ」
「き、君が、私と同じように、平穏を求めた、と?」
全暗殺者が求めても手に入らないほどの能力を持っていながら?
冗談のように聞こえる。
「悪いか?」
「……ひとつ、君に感謝をしたい。あの仕事から足を洗うきっかけになったのは、君だ」
「そうか」
「全盛期だった。私に殺せない人間はいないと、そう思っていた……。だが君を前にしたとき、悟った。敵わないどころか、比べるのもおこがましいほどの圧倒的な力に、私の心はあっさりと折れてしまった」
そうか、とまた静かに言って続けた。
「何もしなければ、おまえはこのまま貴族でいられる。俺も無駄な血を流させないで済む。お互いが得をしている。……金か面子か命か、何が一番なのか、よく考えることだ」
そう言い残して、ふっと彼は消えた。
からん、とグラスの氷が音を立てる。幻でも見ていた気分だったが、あの気配は間違いなくそうだろう。
ゴウルン卿は、命令を出した手の者を撤収するように指示を出した。
……もういい。もうやめだ。何もかも。
ゴウルン卿が席を立ち、鞄にありったけの金を詰め込んでいると、不審に思った息子が顔を出した。
「父上、どうしたのですか?」
ゴウルン卿がはじめて見たときはまだ幼かった。今では一四となった。もう分別もつくだろう。
「今この瞬間から、おまえがこのゴウルン家の当主だ」
「父上? 何を言っているのですか?」
「そなたの父……フュリー・ゴウルンは死んだ」
「一体何を言って――」
息子を突き飛ばし、ゴウルン卿は邸宅をあとにした。
「どうしたのですか、父上――」
後ろからの声に答えることはしなかった。
何もかも、もともと自分のものではないのだ。
名も、地位も、金も、あの邸宅も、息子も。
男は、使っていたスキルを解除した。
久しぶりに体を洗ったかのような、そんな清々しさがある。
「っっっあぁぁー。元の顔久しぶり。そういうスキルなのに何でバレたんだよ」
詰め込んだ金は相当な額にのぼる。
これで適当な田舎町でひっそりと暮らすことにしよう。
脳内の口調が、貴族のままだ。
まあ、しばらくはこれでいいだろう。
「七年かぁ……短かったな」
男がなり代わり、演じたのは、フュリー・ゴウルン伯爵。三九歳。本人が生きていればその歳だったはずだ。
素人は騙せても、あの男を騙すことはできなかったらしい。
いくら体型や服装、顔を変えても、どこかにスキル特有の不自然さが滲んだんだろう。
ひとつ言えることは、もう誰かになり代わる必要はないということだ。
嘘つかなくていいということだ。
あの男に人生を変えられたのは、これで二度目ということになる。
そういう意味では、やはり感謝したほうがいいのだろう。




