世界最高のスキル11
◆ライラ◆
ロランの体から力がなくなった。
ライラが最上級の回復魔法を使うと、腕の傷から流れ出ていた血はみるみるうちに止まっていった。
ロランの気息が穏やかになりはじめ、ライラはほっと安堵の息をつく。
ロランの顔に飛び散っていた返り血を手の平で優しく拭った。
「ライリーラ様……魔力が戻られたのですね」
「……うむ。封じておった首輪が壊れてしまったようだ」
壊れないという話だったが……骨董品級の珍しい道具にはよくあることだ。
それか、過去最強の魔王の魔力を封じ込め続けたせいで、徐々にガタがきたのかもしれない。
「ライリーラ様がいらっしゃると騒ぎになります。すぐここを一旦離れたほうがよろしいかと」
「であるな」
ライラは、まだ息のあったエイミーにも回復魔法を施す。
「ロジェ、この女も」
「このニンゲンも、ですか」
「うむ。ロランの、大切な人である」
はぁ、とロジェは納得がいかないようだったが、肩に担いだ。
ライラが足踏みすると『ゲート』の魔法陣が地面に描かれた。
「あの離島へ飛ぶぞ。そこならニンゲンたちに迷惑はかかるまい」
「承知しました」
転がっているロランの右手も回収しておいた。
ライラの知る魔族の魔法では、吹っ飛んでしばらくした腕を元通りにくっつけるようなものはない。
結果的に壊れてしまったが、魔王の魔力を封じ込め続けた首輪があるくらいだ。
元に戻す可能性はあるかもしれない。
以前、魔王軍の残党が終結していた離島へやってきた。
あれ以来ぶりだ。
軍医が残っているという話だったが、今はいないようだった。
「ここで研究したものをときどきむこうに持ち帰っているので、それで不在なのかと」
ロランとエイミーは、兵舎として使われた建物の一室にそれぞれ寝かせることにした。
顔色がまだ悪いロランではあるが、しばらくすれば目を覚ますだろう。
右腕には、状態保存の魔法を使っておく。これなら、魔法を解くまで腐ることはない。
別室の様子を覗くと、ロジェがライラに気づいた。
ライラが中に入ると、ロジェが尋ねた。
「この女、どうするおつもりですか?」
「そなたの話によれば、スキルがすごいのであろう?」
「はい。スキルをコピーして自分のものにするスキルのようで……」
「なんとも便利な……」
目をつむっていてもわかる相当な美貌。
「わ、妾と、よい勝負をする……」
恨めしそうな半目をしたライラ。ロランがこの女と長年一緒に暮らしていたのだと思うと、胸の裡がもやもやする。
「ライリーラ様、やはりここで殺しておいたほうが」
「やめよ」
べし、とロジェの頭をはたいた。
「あ痛っ」
「ここでもし妾の都合で殺したとすれば、永遠にこの女に勝てぬことになる」
なかなかいいことを言ったとライラは自画自賛し何度かうなずくが、言っている意味がよくわからないロジェはぽかんと口を半開きにしていた。
「レイテやアルメリア、メイリたちへの説明はそなたに任せる。妾はしばらく、二人の世話をする」
「は」
ライラは部屋から飛び出していったロジェを見送った。
◆ロラン◆
「おお、目が覚めたか」
どこにいるのかよくわからなかった。
開いた視界の先に、ライラの顔があったからだ。
周囲をそれとなく見回すと、どこかのベッドで膝枕をされているようだ。
「死ななかったらしい」
「妾のおかげでな。感謝するがよいぞ」
ふふん、とドヤ顔をするライラ。
「ここは?」
「残党が拠点にしていた離島だ。その兵舎と言えばわかるか?」
「ああ。おまえがただの腹痛を妊娠したと勘違いしたあそこか」
「い、言うでない……!」
俺は体を起こそうとして、バランスを崩した。
「おっと」
思わずといった様子でライラが右肩のあたりを支えてくれる。
それで思い出した。
「そうか……」
斬り飛ばされたんだったな。
エイミーに致命傷に近いダメージを与えられたのであれば、腕一本など安いものだろう。
それに、失くしたおかげで刺し違える算段だったのが、いい意味でご破算になった。
「覚えておるか?」
「ああ。思い返せば、誰かの記憶を覗き見ているようだ。俺は、勝ったんだな」
「であるぞ」
にこりと微笑むライラが、また俺をそっと寝かしつけて、頭を撫でた。
最後の攻防は、暗殺者としての戦闘ではなかった。
呪いにも似た教えを破った。
そんなことを教えてはいないエイミーからすると、意外な俺の攻撃方法だっただろう。
そして戦闘後、朦朧とする意識の中で、ライラと会話をしたと思う。
流血が過ぎたせいか、ひどく寒かったのを覚えている。
「首輪がないのは、あのとき……」
下のほうから聞こえていたライラの声は、いつの間にか目の前で発せられていて、俺はライラに抱きしめられていた。
ライラが泣いていた。
それははっきりと覚えている。
だが、俺は首輪に触れてはいないはずだ。
戦闘前、最後に見たライラは黒猫の状態だった。
「あー。あはは……壊れてしまったのだ」
困ったように笑うライラが、千切れた首輪を見せてくれた。
「旅の途中に出会った鑑定士曰く、壊れないという話だったが」
「例外は常に存在するということだ」
「過去最強の魔王様は、伊達ではないらしいな」
「倒したそなたも、十分に規格外であるぞ?」
腹は減ってないか? 気分は悪くないか? 水なら飲めるか? と、あれこれライラが尋ねてきては、かいがいしく世話を焼こうとしてくれた。
「魔界に帰らなくていいのか?」
「『魔王』にがんじがらめになった妾の首輪を外したのは、そなただ。そなたが帰れというのであれば、そうしよう」
「……好きにするといい」
「うむ。そうさせてもらう」
首輪が壊れたから、町を離れこの島にやってきたのだろう。
「エイミーは……俺が戦っていた女は、どうなった?」
「すぐ近くの部屋で寝ておる。相当なダメージを負っていたから、まだ目覚めるには時間がかかるであろう」
「そうか」
あの日から、俺はもう三日も寝ていたようだ。
その間、ライラはここでエイミーのスキルを封じる魔法を使ったのだという。
かなり手間がかかったらしい。それだけ封じるのは厄介で強大なスキルだったようだ。
「封印するには少々時間がかかったが、もうアルメリアの脅威ではない」
「さすが魔王。おまえの首輪がなければ、今回の一件は真っ先に相談していただろうな」
「そう褒めるな」
照れ笑うライラに、俺は尋ねた。
「おまえはどうする気だ。ここに籠るのか」
「……あの家は少々狭かった。今度から、この島が妾の家である。当然、そなたもここから仕事へゆくのだ」
それが本当の理由だとは思わない。
ライラなりに人間に迷惑をかけず、暮らせる唯一の方法がこれだったのだろう。
「首輪……直せる者を捜してもいいが、それまではここで暮らすことにするか」
「そのような者がおるのか? であれば、頼みたいものだが」
「意外だな。首輪は、窮屈だと」
「ううん……当初はな。だが、あれは証だと思うことにしている」
「証?」
「うむ。そなたが、妾にくれた証だ。『魔王』ではないという証」
そんなふうに思っていたのか。
「そなたは、紛れもなく『魔王』を殺したのだ」
俺がじいっと見ていたせいか、ライラが顔を赤くして目線をそらした。
「そっ、それに、あれはアクセサリーとして気に入っておったからな。うむうむ」
黒猫のときは首輪だが、元の姿の状態だと、チョーカーのように見えた。
それが気に入っているのであれば、もう何も言うまい。
「直そう」
「そなたの腕をくっつける方法もだ」
「そんな方法があるのか?」
というか、腕は現場にあるのでは――? という疑問に答えるかのように、ライラがごそごそとベッドの下から腕を取り出した。
見慣れた俺の右腕だった。
……だが、ぐっと握られた拳は親指を立てていた。
あんな状態だったか?
「状態保存の魔法を使っておる。妾が解かぬ限りは腐ることはないであろう」
くにくに、と俺の右指をいじり、ピースサインにした。
……犯人はこいつだな。
「遊ぶな」
からから、とライラは笑い声をあげた。
死霊術のように、死んでしまった存在を蘇らせる魔法はあるが、部分的に接合するような魔法はないらしい。
「話し疲れたであろう。しばらく休むとよい」
そう言って、ライラは部屋から出ていった。
部屋の天井を見ながら、戦闘とそのあとのことを思い返す。
殺すこともなく、彼女はまだ生きているという。
言葉にできない安心感のようなものが、胸に広がっていった。
ライラがいなければ、俺はそこでエイミーを殺して、俺も失血死していただろう。
今回の一件については、ロジェが所々伏せて関係者には伝えたと、俺が起きるのを待って報告してくれた。
ギルド関係者には事故として。
アルメリアをはじめとした、襲撃者対策を講じていた者たちには、戦闘の代償として。
右腕を失くした、と。
「ライリーラ様は、貴様の様子が変だと感じられていた。それであの日、ワタシにおかしな行動を取らないか見張らせたのだ。ライリーラ様のご判断と慧眼に感謝することだな!」
ロジェの主自慢は相変わらずだった。
「見ていたのなら、俺も勇者も殺せただろうに」
「…………戦争は、もう終わった。それに……あのような壮絶な戦闘を見せられては、戦いに身を置いた者として、貴様にも勇者にも敬意を払わざるを得ない」
だから礼を失するようなことはしたくなかったという。
こいつはこいつで、貫くべき信念があったようだ。
目が覚めてからさらに二日ほどで、歩き回れるほどには回復した。
まだ右腕がないのには違和感があるが、すぐに慣れるだろう。
エイミーは、まだ目を覚まさない。
スキル封じの魔法を実行したライラは、「目を覚まさないのでは、妾の苦労が無駄ではないか」と不満げだった。
ロジェが『ゲート』を使い、俺を見舞ってくれる人たちを何人も連れてきてくれた。
レイテとメイリの母娘。ランドルフ王とアルメリアの父娘、護衛のフランク。アイリス支部長にミリア。
順番に面会をしていった。
みんな、俺を心配してくれていた。
いつ仕事に復帰するか考えられるくらいに……日常生活には何の支障もきたさない状態には戻っていたが、あるはずのものを失くしているせいか、気を遣わせてしまったようだ。
「ロランさん、わたしたちは今はもう帰国して、ラハティ支部でお仕事してるんですよ?」
心配そうな顔をしていたミリアは、近況を報告してくれた。
「そうでしたか」
それほど経っていないはずなのに、ギルドの仕事が懐かしく思えてきた。
バーデンハーク公国での仕事は、ようやく終わりを迎えたらしい。
思えば、大規模クエストとしてギルド立ち上げの仕事を引き受けたのがはじまりだったな。
「どう? お仕事、問題なさそう?」
アイリス支部長の直球の質問に、俺はうなずいた。
「ええ。文字は右でも左でも書けますし、十分事足りるかと」
「なら大丈夫ね」
右腕と同時に、俺は暗殺者としての俺も失くしたのかもしれない。
「ライラの魔力……怖くはないですか?」
アイリス支部長とミリアに尋ねると、顔を見合わせた。
「別に……これといって何かを感じることはないわよ?」
「え?」
「はい。わたしもです。妾さんをさっき見かけましたけど、とくには……」
魔力は戻っている。
だが、これといった力のない二人が、何も感じないという。
言われてみれば、禍々しさのようなものが漂う魔力には欠片もない。
毒気が抜けたと言えばいいだろうか。
ライラの心境の変化によるものか……?
『魔王』ではなくなったライラは、肩の荷が下りて精神的に丸くなったのだろうか。
そのことを教えると、ライラも首をひねった。
「魔族の魔力は、それ以上でも以下でもない。友好的な気持ちがあったとしてもだ。……だがアイリスやミリアが何も感じないというのであれば……」
「あの家に帰れるな」
「うむ」
生活拠点を離島からラハティの町外れにある自宅へ移すことにした。
帰国してから、最初の出勤日。
朝、いつものように出勤し、挨拶をする。
「おはようございます」
「アルガン君おはよう」
「ロラン君いねえから、女子冒険者、全然来ねえの」
あれこれ冗談交じりで職員たちと会話をすると、思った以上に弾んだ。
なんというか、落ち着く。
おなじみの席で、知った顔と他愛ない会話をする。
それが、こんなにも染みるものだとは思ってもみなかった。
少し離れた場所で、アイリス支部長とミリア、他の女性職員がいた。
「ミリア、早く」
「ふえ……っ」
「何泣きそうになってるのよ……」
半泣きのミリアが目元を腕でごしごしとこすると、アイリス支部長たちに背中を押され、こちらにやってきた。
「ロランさん」
背中に何か隠していたと思ったら、それは花束だった。
「お帰りなさい!」
笑顔で渡されたそれを受け取ると、拍手が起きた。
遅刻ギリギリで中に入ってきたモーリーだけ、ワケがわからなさそうな顔をしている。
「お帰り」
「あとでバーデンの話聞かせてくれよ?」
「お帰り!」
「今日からまたよろしくな!」
どう反応していいのかわからず、頭が真っ白になる。
何か言わなければ、と考えていると、対になる言葉をようやく思い出した。
たった一言。
それを発するだけなのに、なぜか声が震えた。
「……ただいま」
エイミー。
何もなかった俺に、帰れる居場所ができたぞ。




