世界最高のスキル10
◆ライラ◆
「ライリーラ様ッ」
廊下を走ってやってきたロジェが、片膝をつく。
黒猫状態のライラが見上げた先にあった表情には、覚えがあった。
どくん、と心臓が嫌な跳ね方をした。
魔王軍時代、訃報を伝えるとき、今と似たような表情をロジェはしていた。
妙な予感を覚えていたライラは、ロジェにあらかじめロランの動向を見守るように命令をしていた。
「マズい状況です」
王城内にある『ゲート』の下まで、ライラは四本の足で駆けた。
追いついたロジェが「失礼します」とライラの体を持ち上げて、頭にのせた。
「マズいとは何だ」
「あの男と、勇者を狙っていたであろう暗殺者が激突。どちらも現在戦闘不能です」
「急いでくれ」
「は」
王城内にロジェがあらかじめ設置していた『ゲート』までやってくると、魔力を使い別の場所へと飛んだ。
戦闘不能――?
ロランが?
ライラには、まったく想像がつかないでいた。
だが、ロランはどこかでそうなることを確信していたのであろう。
ここ数日で滲んだ雰囲気は、敗戦直前、死に場所を決めていた部下のそれだった。
やってきたのは、王城からかなり離れたスラム街だった。
朽ちた家屋に、建っているのがようやくといった風情の家が軒を連ねている。
ヒトの気配は感じられない。戦闘がはじまって逃げたのか、元々いなかったのか。
だが、ライラは後者だろうと思った。
案内の途中に、アルメリアが柱を背にし座り込んでいたのが見えた。
「アルメリア」
「ライリーラ様、どうやら勇者は気を失っているだけのようです。あの男は、勇者と暗殺者との戦闘を観察し、隙ができるのを待っているようでした」
「……ロジェが尾行しているのを気づけなかったのか」
「気を配る余裕がなかったようで。……それだけの相手でした」
ロジェがニンゲンを素直に褒めるのは珍しかった。
一部始終の報告を聞きながら、戦闘の気配がまだ色濃く残るほうへと進んでいく。
「あそこです」
ロランが黒い小さな水たまりのようなものを作っている。
すぐに血だとわかった。
その近くには、横たわる女がいた。
「ロラン」
ロジェからおりて、脇目もふらずにそばに駆け寄った。
「……ああ……ライラか」
すべてを出し切ったかのように、脱力感がありありと浮かぶ表情だった。
疲労困憊といった声音に、顔色は紙のように白い。
血を流し過ぎたのだ。
「すぐに応急処置を。――ロジェ!」
「は!」
「待て。……待ってくれ。まだ終わってない」
歯を食いしばりながら、ロランが立ち上がろうとしている。右腕を失くしたことを忘れてしまったかのように、右手を地面につこうとして、バランスを崩し倒れてしまった。
肩を貸してやれないことが歯がゆかった。
「終わってないとは何のことだ。そなたの勝利であろう」
「エイミーと、約束した」
師匠がよく使う名だとライラは思い出した。
彼女を見やると、かすかに息があった。
「俺に、殺されるのが、夢だと」
「そのようなこと、どうでもいい!」
聞こえているのかいないのか、ロランは柱を左手でつかみ、ようやく立ち上がる。視線を彷徨わせ、転がる右手を見つけ、握りしめた手の平をほどきナイフを手にした。
「一方的に押しつけられた約束なぞ、果たす義理はない!」
頼りない足取りで、一歩、また一歩とロランは歩を進める。
ライラは横たわる女とロランの間に入った。
「そなたは言ったな? あの山奥の家で。暗殺者としての俺を生み出した親だったと」
ああ、と言ったロランの声はかすれていた。
ロランがまったく自分を見てくれない。幽鬼のような足取りでまた近づいていく。
「殺させはせぬ……」
制止の言葉も耳に入らない。
猫の姿だからか、視界に入ってもいない。
その歩みを物理的に止めることもできない。
「ライラ、おまえとは、無関係だろう」
「暗殺者としてのそなたを生み出したのであれば、無関係などではない」
そうでなければ、出会わなかった。
「最期は、俺の手で……それを、望んでいたはずだ」
「親殺しの何が『普通』かッ!」
喉が張り裂けんばかりの声を上げた。
ビッ、と首元から短い音が鳴った。
「ライリーラ様、首輪が――」
ロジェの声が聞こえると、視界がまばゆく光り、見える世界が広がった。
窮屈な枷が外されたかのような清々しさを感じ、見回してみると、元の姿に戻っていた。
ロランがつけた首輪が、足下に転がっていた。
そんなことよりも――。
「この女が、どこの誰でも構わぬ。だが、そなたの手で殺させはせぬ」
「どけ、ライラ……」
まだ歩こうとするロランを抱きとめた。
鋼のような芯が通っていた体は弱々しくなり、このロランなら誰でも止められていただろう。
「そなたの貴重な思い出まで、自らの手で殺させはせぬ……」
幼少期の思い出。
鍛練の日々と向上心。
暗殺者としての成長。
どれもこれも、後ろにいる女と過ごしてきた時間だ。
「もう、殺さなくてよい。殺す約束は、果たさなくてよい。そなたはギルド職員なのだ」
なぜか涙が出てきたライラが、弱々しいロランを一層強く抱きしめる。
うなだれるように、ロランはライラの肩に頭をのせた。
「……ああ……そうだった……」
そうか、そうだったな、とライラの耳元で、かすれる声で小さくつぶやいた。
「もう、いいんだったな……人を殺さなくても……」




