世界最高のスキル8
◆ロラン◆
完全に虚を突いた。
閉店間際の道具屋で買ったナイフで背中から心臓を一突き――。
殺った。
確信したとき、ガキイイン、と半透明の防御壁が三六〇度に展開された。
ガッ、とナイフの切っ先はわずか数センチのところで防がれ、体を貫くには至らなかった。
これは――ラビの――。
「『ディスペル』」
バリン、と防御壁を破壊はしたが、そのときには、彼女は数メートル距離を取っていた。
「……」
千載一遇の好機を逃がした。痛恨だった。
「ロラン」
アルメリアが、余るほどの安堵したような表情を浮かべた。
緊張の糸が切れてしまったらしく、ふっと脱力し、膝から崩れる。
それを支えてやり、離れた場所まで連れていった。
「よく頑張ったな」
気を失っている弟子の頭を撫でて、労いの言葉をかけた。
アルメリアが、どれだけピンチでも、ただただ、一撃で仕留めるために様子を窺い続けたのだが……不発に終わった。
「やっぱり、『スレイド』はあんただったんだね」
「……久しいな。エイミー」
「ちゃんとモイーズの家に行ったか?」
「いや」
「悪い子だ」
色気のある笑みをエイミーは覗かせた。
あの頃から、その美貌はまったく変わっていない。
「モイーズと知り合いだったってことを知って、罠を張ってみたんだが、かかったフリで勇者の戦闘を見守っていた、ってところか? アタシを確実に殺せる瞬間まで息を潜めて」
「その通りだ」
アルメリアを守るだけなら、罠だろうと予想がついた時点でそばで護衛すればよかった。
だが、それではいつまで経ってもエイミーの影からは逃れられない。
懸念した唯一は、アルメリアがどれほどエイミーとの戦闘を続けられるかだったが、稽古を繰り返しただけあって、スキルを使われない限りはエイミーの動きについていけていた。
「ラビ……ラビシアにスキルの使い方を教えたのも、あんたか」
「そんな子いたっけ」
「さっき、俺の攻撃を防いだスキルを持っていた少女だ」
「あぁ、バルバトスの魔法使いの」
ようやく誰か思い出したようだった。
「いい子だったよ、真面目で」
「だろうな。俺のスキルが何なのか教えてくれたのもあんただった」
「別に、ロランだけが特別じゃない。みんなにしてることさ」
ああ、そうだろうな。そうやってあんたは――。
『一回盗られてるね、アンタの技能』
スキルを以前見てくれた占い屋はそう言った。
きっと一時的に借りるのだろう。
一定時間後にそれは返却される。
そのあとは――。
「見ていたが、何度か使ったな、俺のスキルを。『影が薄い』の使い心地はどうだ?」
「外れも外れ、大外れのスキルだよ」
覚えている。あのときとまったく同じセリフだ。
きっとそのときだろう。俺のスキルを写したのは。
三度目の任務のとき、回復スキルのようなものを使ってくれたから、その類いなのだろうと勝手に思い込んでいたが、そうじゃないらしい。
「『複写』のスキルからすれば、俺のスキルの評価はそんなものだろう」
そういうスキルがあるらしい、というのは耳に挟んだことがあるが、実際お目にかかるのははじめてだ。しかもその相手が顔なじみだったなんてな。
「世界最高のスキルだよ」
「俺を……孤児を引き取って育てていたのも」
「そうさ。スキルが発現するまでの期間だけ預かって、写した『スキル看破』で何を持っているのか視て、使えそうなら写すし、そうでないなら、さようなら」
「……外れだ何だというが、その割に、俺のスキルはずいぶん気に入っているらしいな?」
「言っただろう。使い方次第じゃ十分に化けるって」
そうだったな。
改めて対峙すると、正面から受ける重圧に思わず眉が動く。
同時に、懐かしさが胸に去来する。
山奥の家。訓練の度に、跳ね返され、足蹴にされ、投げ飛ばされ、昏倒させられた。
何度も何度も。春も、夏も、秋も、冬も。
巨大な壁のような人……今でも体以上に大きく見えてしまう。
俺の原点で、俺を作った人。
アルメリアを守りさえすれば俺の勝利……だが、ここで逃がすわけにはいかない。
「ギルド職員なんてやって……今さら何のつもりだい。アタシらは、永遠に裏の世界の底に居続けるんだ。居場所なんてないんだ」
「……」
「ロラン……アタシをがっかりさせないでくれよ」
動いたと同時に、俺も一歩を踏み出す。
スキル『影が薄い』発動。
初手から全力で殺しにいく。
「手の内はわかってんだよ――!」
何かのスキルを発動させた。
背後と見せかけ、正面から迫った俺の顔を見て、エイミーは楽しそうに笑った。
切っ先どころか、手を伸ばしてもエイミーに届かない距離で、何かにぶつかった。山のように重くて大きな何か――。
それが何なのか、すぐにわかった。俺がぶつかった箇所は、虹色の波紋が広がっている。
これは、ベクターの『絶対防御』――!
やつを殺したのは、エイミーだったんだろう。
「どうだい? 最高の自動発動型の防御スキルは」
俺がそれを破ったことがあるとは、知らないらしいな。
スキル『影が薄い』を発動。
正面、背後、左右と駆けまわり、スキルを連発。
認識阻害と至近距離での高速移動。視認は容易ではないはずだ。それを知っているからこそ、自動発動型の防御スキルを展開したのだろう。
……自分を殺せ。エイミーへの感情も、すべて。
ただの、無機質な刃であれ。
無に。
なれ。
左側から仕掛けた。
やはり『絶対防御』は発動しない。
切っ先。届く――!
エイミーのかすかな焦りを目の端で捉えた。
「ッ」
相変わらずの反応速度だった。
ナイフを握る手が蹴り上げられる。
衝撃で思わずナイフを離してしまった。鈍色の刃が宙で一度月夜を反射した。
俺の手の内は知られているが、エイミーの手の内は……考えるだけ無駄だろう。
アルメリアに投げたナイフを回収していてよかった。
背中から取り出したそれを一文字に切り上げる。
銀閃がエイミーを左右に両断するが、触れたのは前髪だけだった。
「ロラン、あんたはもっとギラついていた。けど、くすんじまったらしい。別れる間際のあんたなら、今のは仕留められた。弱くなったね」
ああ、そうかもしれない。
『影が薄い』を再び発動。
同時に、目の前にいるエイミーも消えた。
舌打ちを禁じえない。
眼前でやられるのが、これほど厄介だとは。
自分のスキルながら恨めしくなる。
バヂ、と離れたところから物音。
エイミーは手の平を俺へとかざしていた。
紫電が手の平を中心に爆ぜる。
あれは――。
「『インディグネイション』」
俺がいるであろう一帯に放つ気だ。
爆裂音とともに放たれた勇者の最強攻撃スキル。
一足飛びで家屋の柱を伝い、屋根に上がる。何度も見たスキルでなければ、直撃だったかもしれない。
それと同時に、俺は当時にない違和感を覚えた。
「……エイミー。あんたは、弱さを捨てることを強さとした。暗殺者の教育としてはきっと間違いではなかったんだろう」
「今さら感謝したくなったか?」
「だが、おまえが信じた『強さ』は俺にはもう必要ない」
居場所も、帰る場所も……俺たちにはなかった。
あったのは、山奥のほんの少し羽を休める小屋。標的と報酬。血と鉄のにおい。背中合わせに眠った体温の温かさ。
「俺が暗殺者をやめて望んだこと――『普通』を弱いと言うのなら……俺は、弱さを手に入れようとしている。これはおまえのモノサシでは測れない『強さ』だ」
最高品質の殺しでないと、俺の刃は届かない。
体力的にも精神的にも消耗が激しい。
――であれば次の一撃。
それが最後になるだろう。




