潜入10
バルバトス・ゲレーラが地下牢に放り込まれたあと、俺はランドルフ王の私室を訪れていた。
「ノックという概念をおまえは知らないのか」
呆れたようにランドルフ王が言う。
「今さらだろ。ノックもせずに今まで何度ここに入ったか」
それもそうだな、とソファに腰かけたランドルフ王が笑った。
窓の外はいつの間にかもう薄暗い。
ローテーブルを挟んだ向かい側のソファに俺も座る。
使用人を呼び出し、蒸留酒とグラスをふたつ用意させた。
「あまり長居はしないぞ」
「そうつれないことを言うな」
俺はボトルに入っている琥珀色の液体をグラスに注いだ。
「意外とナイーブなんだな、ランドルフ王は。あの程度の誹りを受けただけで落ち込んだのか」
何気なく言うと、ランドルフ王が苦笑した。
「気にしているところではあったからな。実際、アルメリアがいるからというのは大きい。英雄の威光を背に貴族たちの不満を押し込めている側面もなくはない」
お互い舐めるようにグラスの蒸留酒を呑んでいく。
「ムチだけでは不満が出るのは当然だ」
「ロラン、おまえならどうする?」
「貴族にとって、何がアメになるのか俺にはわからない。自分で考えることだな。……バルバトスの件……処刑は本人だけか?」
「うむ。そのつもりだ」
「ある程度根絶やしにしないと、あとが怖いぞ。後々リスクになるのなら、それは今のうちに潰しておいたほうがいい」
「あやつに子供はおらぬし、他の親族から恨みを買おうとも、私は間違ったことは何もしてない。復讐者がいつか現れるとしても、私のしてきたことの結果だ。それは受け止めよう」
月明りが差すローテーブルに例の手紙を広げると、文字が浮かび上がってきた。
「『フェリンド崩し』……『そのための段取り』か……。平和になったばかりというのに、よくもまあこんな物騒なことを考えられるものだ」
「最近会ってないが、アルメリアの調子はどうだ」
「我が娘なら、孤児院と王城を行き来しておる。一応、あれで院長だからな」
「そうか。バルバトスが最後に、自分を始末したとしてもいずれ混乱状態になるだろう、というようなことを喚いただろう? あれだけ用意周到だった男だ。本人に確認したわけではないが『そのための段取り』というのは、アルメリアを消すことだと予想される」
このあたりは、地下牢で尋問されることだろう。
「アルメリアを消す? それができる人間が、おまえ以外にいるのか?」
「バルバトスのそばには、エイミーがいる可能性が高い」
「まさか」
ランドルフ王は、持ち上げたグラスをローテーブルに戻した。
俺はどうしてそう思うのか、その根拠を告げた。
「……地下闘技場でおまえを見た上で、能力が何なのか判断し、なおかつどんな偽名を使っているか知っている人物、か。なるほど……。エイミーか……懐かしい名だ。私はそれほど縁の深い人物ではなかったが」
元々、フェリンド王家と俺は繋がりがあったわけじゃない。
師匠であるエイミーから、後任として引き継いだだけだ。
さっきの発言から、ランドルフ王は、あまりエイミーには依頼をしてなかったようだ。
俺にもそれほど仕事を寄越したわけではないが、いつの間にか気の置けない相手になっていた。
「あそこまで準備を進めていた男が、肝心要のアルメリア対策をしてないはずがない」
「相手はアルメリアであるぞ? そこらへんの小娘ではないことは、おまえが一番よく知っているであろう」
「ああ。対軍ならアルメリアは強い。ただ、対人となると……アルメリアは、人を殺し慣れてない。その差は大きい。あちらは殺人と不意を突くことに特化している。相性はかなり悪い」
ランドルフ王は深いため息をついた。
「やめてくれ。そんなことを真面目な顔でおまえに言われれば、心配になるではないか……」
「俺は巧言令色を弄する性分じゃないからな。男が相手なら本当のことしか言わない。アルメリアには、決まった行動パターンを取らないように伝えてほしい。城から出ないなんて、もってのほかだ。毎日違ったことをさせてくれ」
「う。……ま、マジモンの対策……!?」
「ああ。冗談では済まないからな」
俺が真顔で言うと、ランドルフ王はさらに肩を落とした。
「しょーもない王子との見合い話を破談にできたと思ったら、今度は暗殺者か……」
「ただの暗殺者じゃない。俺が警戒するレベルの、飛びっきりマズイ相手だ」
「もう言うな……心配のし過ぎで死にそう……」
「それを伝えにきた」
俺が帰ろうとすると、「まあ待て」と引き留められ、五杯ほどそれから付き合わされた。
「私は、おまえの友であるからな」
「イイ年したオッサンが、何を嬉しそうに。酔ったのか」
謁見の間での発言が余程嬉しかったらしい。
「逆に言えば、おまえは、私の友であるぞ」
「わかった、わかった。わざわざ逆を言うな」
俺が心底嫌そうに口をへの字にすると、ランドルフ王はガハハと笑った。
いつの間にか、もう夜明け前だ。
俺は、いつかライラが言っていたことを思い出した。
王とは孤独なもの――。
最終決定と責任が常について回る。そしてそれは、自分以外の誰かに委ねられるものではない、と。
「私に何かあれば、アルメリアをもらってくれぇ」
「フン。酔っ払いが戯言を。……断る」
「何で!?」
もし何かあるとすれば、それはたぶん俺のほうだからだ。
「アルメリアはなぁ、言っておくが、綺麗で、いい子だぞぅ?」
「知ってる。いい出会いがあることを祈っている」
「祈るな! 奪いにいけ!」
「うるさいな、酔っ払い」
俺には、腹を割って話せる相手にライラがいるが、ランドルフ王は、それとはまた少し違った。
おそらく、ランドルフ王は、俺やアルメリア以外にそういった相手がいないのかもしれない。
朝日で部屋が明るくなるころ、ランドルフ王のいびきが聞こえはじめた。
「心配を煽るようなことを言ったが、おまえの娘は、俺が守る。俺の内側にいる人間……大切な仲間であり、弟子でもある」
毛布をかけて、俺はそっと私室をあとにした。
バーデンハーク公国の王都へ帰ると、「大騒ぎであるぞ?」とライラが楽しそうにクフフと笑った。
猫の姿にして、俺はライラとロジェとその大騒ぎとやらを見にいくことにした。
王都郊外には、長蛇の列ができていた。その列は、例の物資から伸びている。
「ニンゲン、貴様にしては中々のアイディアだったぞ」
「こちらとしても物資を動かすのが一番だったからな。ついでという部分もある」
「武器はレイテが軍に回収させた。あとは食料である」
「レイテ女王が、王城の倉庫にも入りきらないので、民に分配すると仰ったのだ」
そして今、不意に湧いてでた食料をもらうために、王都の民は列を作っているところらしい。
「反乱を企てる相手の物資を奪い、困窮する国に持ってくるなど、なんと痛快か」
うむうむ、とライラがうなずく。
「おまえの巨大『ゲート』が役に立った。助かったぞ」
「そうであろう、そうであろう。妾の魔法センスは群を抜いておるからな!」
「我々とて、この国に何かしてやれることはないかと考えていたのだぞ、ニンゲン」
「あ、ロジェ、それは――」
慌ててライラがロジェの足をタシタシと叩く。
「貴様が持ってきたこれらは、食えばすぐになくなる干し肉や干し芋ばかり。だが、ライリーラ様は違う!」
「……そういえば、二人で何かコソコソしていたな。それのことか」
「言うな……もう、それ以上は、言うな……粋ではない……」
足下で困惑するライラをよそに、「ワタシの主、すごい!」と言いたげなロジェの主張は続いた。
「ライリーラ様は、この国の気候や土壌に適した作物を、密かに魔界から持ち帰ってこられたのだ! ワタシもご同行させていただいたがな! いずれその作物は、国の貿易上、重要な戦略物資となり、他国へ輸出される。やがて国は富み、食い物に困ることもなくなる! わかるか、ニンゲン? 目先の物だけではない、後一〇年、いや一〇〇年を配慮したお心遣い。これが、我が主、ライリーラ様だ! うははははは!」
「手柄を主張するな、バカエルフ!」
「な、なぜですか、ライリーラ様!? 困っている国を助けようという貴女様の慈悲深き心を、このボンクラに教えてやらねばと、このロジェ・サンドソングは使命感に駆られ――」
「黙れぇぇぇぇぇ! 全部言うでないわ! 無粋なエルフめが! おまえなぞ、どっかいけ!」
どうしてですかぁ、と不満そうならロジェだったが、「どっかいけ」の命令に従い、とぼとぼと肩を落として歩き去っていった。
フンフン、と鼻息を荒くするライラは、「まったく! まったくである!」と無粋な部下を嘆いていた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「……妾とて、罪悪感くらいはある。元がどうかは知らぬが、バーデンハーク公国の今の姿は、魔王軍のせいでもある」
「罪滅ぼしか」
「うむ……まあ、そんなところである」
ライラはバツが悪そうに目をそらした。
だから、他人に自分の意図を知られたくなかったんだろう。
ライラが持ち帰った作物というのは、乾燥や病気に強いウィルヤムという名の作物だそうだ。
魔界の作物だから育たないのでは、と思ったが、きちんと調べた上で持ち帰ったという。
「人間の口に合うのか」
「妾が考案した激旨レシピを使えば、誰でも美味しく食べられるぞ?」
「今の発言、一言一句すべて不安しかないな」
「と、思うであろう? そなたにも食わせてやろう。妾なしでは生活できぬようになってしまうであろうがな」
「相変わらず凄い自信だな」
戻るぞ、とライラが背を向けて歩き出す。
「いつか、言える日が来るといいな」
「……そのような日は来なくてもよい。きっと、この国であればよく育つ。それだけで十分である」
気丈なことを言うライラを抱きかかえ、肩に乗せる。
その料理とやらを楽しみに、俺は王城へと足を向けた。




