潜入5
◆ランドルフ王◆
「……陛下」
夜中に、すっと男が一人現れた。
ちょうど書類仕事をしているところだったので、私はその手を止めた。
よかった。女を抱いているところじゃなくて。
「どうした。何か重要な情報でも掴んだか?」
ロランの活躍で、各地の貴族が不正を働いていることがわかって以来、ベテランの間諜たちを各地に放っていた。
この男は、バルバトス・ゲレーラ領に送った者だった。
「ゲレーラ領に運び込まれる物資の量はかなりのものでした。食料だけならまだしも、武器もかなりの数に上ります」
「やはり、反乱か何かを……?」
「いえ……掴みかけていたところに、下手に動くな、ととある男に言われまして」
「下手に動くな?」
はい、と間諜の男は続ける。
「陛下が放った者の一人なのでは……?」
「? 各地域に一人だ。ゲレーラ領には、そなただけだぞ」
「そうでしたか。『普通を望む者』だと言えば陛下はわかると、その男は申しておりまして」
『普通を望む者』……?
「あー、あー、なるほどなるほど」
誰だかわかった。
「であれば、まず間違いはあるまい」
「それほどの男なのですか?」
「余計なことをすると彼の邪魔をしかねん」
「その男はアンリと名乗っており、領兵たちからは先生と呼ばれて強い支持を得ている者でした」
「ふむ。バーデンハーク公国にいるはずだが……。きな臭い何かを感じて独自で動いていた、ということか」
「潜り込んでまだ日が浅いはずなのですが、不思議な魅力と言いますか、カリスマ性を持った不思議な男で、領兵たちには、先生はすこぶる人気なのです」
「あー、なんかわかるわー、それー」
……ロランってば、カッコいいからな。
男が好きになる男っていうか。いや、変な意味じゃなくて。変な意味じゃなくて。(二回目)
ということは、バーデンハークのギルドの仕事を差し置いても、優先すべき何かが、ゲレーラ領にある、ということか……?
「もし、内乱を企てていたとしても、アルメリアがおる。それは先方も承知の上であろう」
「では、国を覆すのが目的ではなく、自らの利権を陛下に認めさせる、譲歩させる、という交渉のため……と考えられませんか」
「ううん、その程度で済めばよいが」
バルバトス・ゲレーラのことを、実は私もよく知らない。
元は没落した貴族だったが、ゲレーラ家の養子になった、という程度。
三〇をいくつか過ぎるかどうかという年齢だったはず。
これといった特徴はとくになく、印象に残りにくい男だった。
「今後はいかがいたしましょう」
「そうだな……その『普通を望む者』に付き従い、サポートしてやってくれ。ときどき、彼が何をしようとしているか、報告してくれ」
「は」
そう言って、間諜の男は姿を消した。
「世界最強戦力の一人であるアルメリアどころか、大神官のセラフィンもまだ我が城におるというのに……」
セラフィンは、ぶっちゃけそろそろ自分の家なり教会なりに帰ってほしい。王城の酒蔵が自分の部屋みたいになっておるからな。もう半年もすれば空になってしまう……。
「向こうは……それ以上の戦力を揃えた、ということか――?」
ゲレーラ家に関する資料をすべて持ってきて、バルバトス・ゲレーラのことを調べてみることにした。
◆ロラン◆
運び込まれた無数の物資をどうするかについて、俺はひとつ考えがあった。
その準備のため、休日を利用して、一度バーデンハーク公国に行って戻ってきた。
俺の作戦が密かに進みはじめていたころには、ゲレーラ領にいる兵士のおおよそ三割の人心掌握するに至った。
最初は口コミ。それから、俺が巡回しながら訓練をしていくうちに、兵士たちが俺のことを尊敬するようになった。
数で言うと、四つの町村にいる領兵、合わせて約一〇〇〇。
作戦のために動いてくれるのは、俺の小隊ともう一小隊くらいでよかったのだが、いつの間にか、規模が大きくなりすぎてしまった。
誤算ではあるが、嬉しい誤算でもあった。
部屋にある鐘を鳴らす。すると、ドタバタと足音を立てて部下が一人飛び込んで来た。
「先生! 何か御用でしょうか!」
こんなふうに、常に俺のそばで御用聞きをする側近や、荷物持ち、俺専用の馬の世話をする者などがいつの間にか増えてしまった。
彼らもそうだが、他の兵士たちも俺に心酔している節がある。
バルバトス・ゲレーラの私兵ではなく、俺の私兵になりつつあった。
「今から言う町の中小隊長たちと話をしたい。集まれるか訊いて来てくれ」
「了解しました!」
俺がその四つの町村を伝えると、ビシッと踵を揃え、背筋を正した側近の兵士は駆け足で去っていった。
呼び出した中小隊長たち、全員で三〇名ほどが兵舎の会議室に集まった。
「今日は、一体何のご用でしょう?」
中隊長の一人がみんなの声を代弁したように言う。
「みなさんは、もう一度戦争がしたいですか?」
話が見えず、みんなが隣近所を見回した。
若い小隊長が手を上げた。
「したいわけじゃないですが、必要であれば、致し方ないかと。そのために、先生に武芸を教えていただき、今日まで鍛えてきたんです」
その意見に同意するように、半数以上がゆるくうなずいた。
「いいでしょう。これから話すことは、国家の大事に関わるもので、すべて事実です」
俺はウェルガー商会とバルバトス・ゲレーラの関係を隊長たちに話し、その証拠として、先日手に入れた手紙を見せた。
「りょ、領主様が……内乱を……!?」
「嘘だろ……」
「でも、これ……全部先生が言った通りで……」
月明りに反応する特殊なインクだ。手紙の内容とその厳重さに、より一層真実味が増したことだろう。
絶句している隊長たちに尋ねた。
「この領地だけ兵士を広く募集していたのはどうしてでしょう」
「それは、冒険者に頼らずに、困り事を自分の兵士で解決するため……?」
「そういう側面もあるでしょう。であれば、一定数でよくないですか? 別の町では、まだ兵士は増えています。町や村を警備する兵士や冒険者の仕事をする兵士……そんなに数は必要ですか?」
俺が目をやると、側近の兵士が察して教えてくれた。
「現在、ゲレーラ領では、先月時点で兵士の数は三三〇〇を超しています」
「た、確かに、多すぎる……」
「冒険者っぽい仕事は、月三回もないぜ?」
「警備だってそうだ。各町に割り振ったとしも、数百単位になる」
「抑止力だと思っていたが……実際は暇だ。大半は訓練で一日が潰れる……」
自分たちの置かれている状況に気づいてくれた。
「領主バルバトス・ゲレーラは、手紙にある通り、内乱を企図し現在戦力を拡充し、来たる日に備え、兵糧、武器などの物資を蓄えています」
ざわつきもせず、隊長たちは俺の話を真剣に聞いている。
一様に、義憤に燃える目をしていた。
アルメリアやシルヴィがよくしていた、真っ直ぐな瞳だ。
「僕は、その内乱を止めるために、ここへ来ました」
俺はみんなに頭を下げた。
「あなたたちの力が必要です。どうか、力を貸してください。お願いします」
返答は早かった。
「もちろんだ。先生の頼み事だからとか、そんなんじゃねえ」
「ああ。もう戦争は嫌なんだ」
「部下の兵士たちもそうだぜ。あの戦争で自分の無力を嘆いたからこそ、強くなりたかったんだ」
顔を上げた俺は、もう一度「ありがとうございます」と頭を下げた。
「みなさんがそうであるように、僕にも、守りたい日常があります」
みんながそれぞれうなずいた。いい表情だ。
だからこそ、彼らとその部下を死なせるわけにはいかない。
「止めると言っても、戦って止めるわけではありません。要は、内乱を起こせないようにすればいいだけなので」
俺は考えていた作戦をみんなに聞かせる。
「――――なので、仕事の一つとして、部下に指示を出してください」
この作戦であれば、必ずバルバトス・ゲレーラは、俺の手が届くところにやってくる。
窓の外に見える古城を見つめた。
罠や護衛の戦力、それらを加味するとこちらから仕掛けることができなかったが、これなら一石二鳥……いや、一石三鳥の効果がある。
少し時間がかかったが、標的が手強いなら、それはそれでやりようはいくらでもある。
つけ入る隙がないなら、隙を作ってやればいいだけのことだからな。




