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彼と彼女のテクノス 第2話 朝のオフィス編

作者: ビーター・バカラン


 彼と彼女のテクノス 第2話 朝のオフィス編

  written by Beter Bakaran, inspired by Heavy & Light


 旅から戻った連休明け、裕二は、いつもより早くオフィスに出勤した。まだ誰もいないオフィスを回って、旅先で購入した土産のお菓子を、さりげなく同僚の机に配る。

 窓から見える日差しは明るく、今日も暑くなりそうだ。だが、まだ早朝のオフィスは、昨晩の余韻を残しており、爽やかな居心地だ。裕二は、デスクに肘をつき、あの時計・・・彼女から受け取った、銀色に輝くテクノスを眺めていた。

 プラチナの文字盤の上に、銀色のインデックス。そして、銀色の針が時を刻む。決して、時間が読み取りやすいというわけではない。秒針の動きは、複雑な起伏を描くプラチナの輝きに埋もれて、ときどき止まったように見える。時を伝える時計のはずなのに、むしろ、持ち主が時にとらわれないでいることを、願っているかのようだ。


 「おはようございまーす」


 裕二に続いて、出勤してきたのは、後輩の前木だった。裕二の前に席を置いていて、いつもくだらない話題で裕二をからかってくる。裕二は、そんな前木を適当にあしらうのが、日常の気晴らしになっていた。


 鞄を降ろした前木は、早速、裕二が眺めていた時計を、目ざとく見つけた。


「あれ、裕二さん、時計買ったんですか?」


「いや、まあ、買ったってわけではないんだけどね・・・」


「ん、それ、レディースじゃないですか?」


 彼女のテクノスは、当然だが、女性に合わせたサイズになっている。ケースの直径は約28mm。特にスポーツをやっているわけではないが、それなりに体格の良い裕二の腕と比べると、明らかに小さく見える。

 どうやら、前木は、なかなか時計については詳しいようだ。といっても、妻子持ちの彼は、俺の小遣いはまじパネェぐらい少ないと、いつもぶつくさ言っており、10年前に買ったという何の変哲もない実用時計を使っている。そういえば、なんだか高そうな時計を持っている同僚の池口や、裕二にはわからないブランド時計をとっかえひっかえ着けてくる常務とも、普通に時計の話題で会話をしていた。


 裕二は、あまり期待はせずにだが、前木に尋ねてみた。


「やっぱり、女性向けの時計を、男が使うのは、難しいかなぁ」


 裕二が、時計に何の興味もないことを知っている前木は、そんな質問をしてきた裕二に、意外そうな顔をしたが、わりと真面目に考えて、答えた。


「そうですね、手首の太さとのバランスがありますからね。僕なんかは腕が細いんで、女性ものでもサイズ的にはいけますよ。実際、数十年前は、ケースサイズは30mm程度が普通で、今流行りのデカくて厚い時計は、本当はスーツなんかには合わないものですからね。小さくて薄い時計の方が、エレガントなんですよ」

 前木は、うんちくを喋らせると、ペラペラとよく口が回る。


「でも、裕二さんはけっこうガッチリした腕だから、あまり小さいと・・・まあ、ホモじゃないかと思われますね」


「そうか・・・」


 考えこむような表情の裕二を、前木はいぶかしげに眺めた。


 しばらく黙っていた二人だったが、沈黙を破ったのは裕二だった。


「前木くん、この時計、ちょっと見てみてくれ」


「はあ、いいですけど」


 裕二から、机越しに時計を受け取った前木は、テクノスを観察した。


「テクノス・・・たしか、70年代には、スイスの一流ブランドとして知られていたところですね・・・最近は、ブラジル資本に買収されたとか、製造は中国に移管されたとか、おちぶれたという噂を聞きますけど・・・」


 裕二は、否定的な判断を予想して少し身構えた。名前も知らない、たった数十分の間、話をしただけの女の子から貰った時計に、妙に感情移入している自分に、裕二は気づいた。


「・・・いや、これは・・・サファイア・ガラスに、天然ダイヤモンド、プラチナの文字盤に、竜頭にオニキスの装飾か・・・凝った作りですね・・・ステンレスのケースも傷は見当たらないな。大事に使われていたみたいだ。それに、このフォルム・・・カラトラバの模倣品ですね」


「カラトラバ? やっぱり、有名ブランドのパクリなの?」


「カラトラバっていうのは、パテック・フィリップが1930年頃にデザインした時計の呼び名ですよ。究極にして普遍・・・あらゆる時計ブランドが、そのデザインを真似したんです。ロレックスやオメガも、パテック・フィリップに比べたら雑魚みたいなもんです」


 そこで、前木は、テクノスを裕二に返した。


「究極にして普遍的なそのデザインは、すでに人類の共有財産と言えるもの。それを模倣することは、パクリとは言いません。伝統を踏襲している、と言うんですよ。これがパクリだったら、すべての時計ブランドがパクリになってしまいますからね」


 予想に反して、前木の評価は肯定的なものだった。


 再び、時計を手にした裕二は、嬉しさを感じていた。彼女が1年間身につけていた時計。それが、高価ではないにしろ、かつては一流ブランドであったテクノスが、伝統を踏襲して製作したものであったことに安心し、それを自分に託した彼女の気持ちを思った。


 だが、裕二が自分で使うことは実際には無理だ。部屋に想い出として置いておくか・・・それも何かが違う気がする・・・この時計は、もっと人の目に触れるべきだ・・・彼女が愛した青年が選んだものが、広告宣伝で塗り固めて作られたブランドに劣るものではないことを、伝えていくべきではないのか・・・


「前木くん、君がこれを使わないか? サイズ的には大丈夫なんだろう?」


「えっ、いいんですか? まあ、僕の時計もボロボロなんで、欲しいと言えば欲しいですよ。でも、ご存じの通り、金もってませんよ」


「ははっ、そうだな・・・」

 裕二は、別に無料で譲っても構わなかったが、前木という男は、貧しても施しは受けない人間だとわかっていた。


「じゃあ、2980円でどうだい?」

 それは、裕二が、あの駅から、宿まで行くのに使った、タクシーの代金だ。まあ、この時計の買値と言えば、そう言えなくもない。


「それなら買えますね。買いますよ」

 前木は、財布から紙幣を出して、裕二に差し出したが、ちょっと考えて、質問をした。


「それにしても裕二さん、なんでこの時計を手に入れたのか、聞いてないですね」


 裕二は、彼女との出来事を心のなかで思い出し、少し微笑んだ。

「まあ、ちょっとした勘違いと偶然でね・・・いや、よほどの偶然なのかな? それ以上は聞かないでくれるか。僕から譲り受けたことも、できれば黙っていてほしい」


 前木は、納得がいかないような顔をしたが、他人の事情に必要以上に踏み込まないだけのデリカシーはあったのだろう。


「わかりました。皆には、ブックオフで中古で2980円で買った、とか言っておきますよ」


 裕二から受け取ったテクノスを、試しに身につけた前木は、けっこう満足そうだった。


「そういえば、裕二さん、また時計がなくなっちゃったじゃないですか! 自分のやつ買わないと!」


 すっかり、いつもの調子に戻って、前木が言った。


「そうだな・・・時計を探してみるのもいいかもな。金額じゃなくて、思いが伝わるものをね」


 そう言って、裕二は、窓の外を見た。太陽は輝きを増していた。今日も暑くなりそうだ。



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