橘 絢歌
初めてデートらしい事をしたのが、映画館だったと思う。
上映開始1時間も前に来てしまい、これならもっと服を選ぶ時間が有ったと文句を言う彼女。
原作は小説で、それを2時間ばかりに纏めた物だ。あまり期待はしていなかったが、彼女が、小説は無理だけど映画なら見れる、そう言いだしたのが切欠だ。
上映開始で館内が暗くなると、少しドキドキするね、と隣ではしゃぐ彼女。
照れ隠しで、始まるのだから少し静かにと注意すると、拗ねて頬を膨らまる。
まだ結婚するなんて、思いもしない頃の話だった。
◇
「としきさん? とーしーきーさーん?」
隣にいる星野に声を掛けられ、熟睡から一気に目が覚めた様に覚醒する。
鼓動の早くなった心臓を軽く抑えて、呼吸を落ち着ける俊樹。
「もうー、大丈夫ですか? もう来ますよ?」
「大丈夫だ、すまんな」
ショッピングモールの7階。
このフロアは全て映画館になっており、広いフロアには流行りの映画のプロモーションが大型モニターに映し出され、ポップコーンやパンフレットを販売する売店が並んでいた。
映画の時間待ちをする客用の、休憩スペースも広く取られており、俊樹たちはそこで佐々木らを待っていた。
ちなみに、日野翔太ら愉快な3人組は、戻って来ないので放置だ。
すぐに佐々木たち3人の姿が見え始める。
少し困り顔のの様な、照れている様にも見える佐々木。その目線の先には川村が、悪戯が成功した子供の様な笑顔で立っていた。
佐々木の後方には大分間を空けて、下手な変装道具を脱ぎ捨てた緋ノ宮華凛と、問題だった三年女子の【橘 絢歌 】が、並んで立っている。
遠目で分かりにくいが、緋ノ宮は一部の隙も無い笑顔で、橘は少し気まずいが無理に笑っている感じだろうか。
こうして二人が並んでしまうと、どうも橘の恰好が模造品の様に浮いてしまっていた。
肩まである黒髪に、細身だがバランスの取れた体形の橘は、平均以上の容姿ではある。
だが、同じ清楚系のファッションでは、隣に並ぶ緋ノ宮に分が有った。
白いワンピースに透き通る様な肌と、動きに合わせて光る腰まで伸びた長い黒髪を、一部編み込んで後ろに流す様な髪型の緋ノ宮は、ちょっとしたモデルなど歯牙にもかけない、完璧な清楚系ご令嬢だった。
その為か、橘は借りてきた猫の様に大人しい。
「同じ女としてはアレ、横に並ばれるとキツイですね」
「お嬢は、性格以外は完璧だかんなー」
「もっともだが、龍成も言う様になったな」
コソコソと小声で話す風紀委員会の面々。
緋ノ宮にばれると後でうるさいので。
ともあれ、あの様子なら橘も、あれ以上何かをする気も無いだろう
無駄話をしている内に、佐々木が川村の目の前まで来ていた。
多少困惑しているようだが、既に二人の間には恋人同士の空気が出来上がりつつある。
コホン、とわざとらしく咳ばらいをした星野が、大げさなリアクションで両腕を広げながら佐々木に言った。
「サプライズデートですよ!」
◇
今回の騒動で風紀委員会が予め決めていた内容は、当事者3人とも依然と変わりなく、波風を立てない終わり方をしよう、という事だった。
そこで佐々木には、以下の様に説明する事にする。
まず川村が風紀委員会に、『佐々木が何か隠し事をしている、トラブルに巻き込まれているのでは?』と心配して、同級生の星野と共に相談にきた。
だが、事前に風紀委員が調査した結果、佐々木が川村へ贈る誕生日プレゼントの為だと分かる。
川村としては嬉しい誤解だったが、佐々木が心配を掛けさせたのも事実なので、こちらでもちょっとしたドッキリを仕掛けようという話になる。
そこで買い物当日、橘や風紀委員で協力して佐々木を誘導し、この映画館で川村と対面、そのままデートさせると言う話になった。
――という事にして、佐々木には説明した。
次に川村側だ。
実際には川村は、佐々木の浮気まで疑っていたのだが、それを佐々木本人に伝えるのは後ろめたい。
なので、橘がトイレに立ったタイミングで緋ノ宮が接触し、計画に乗ってもらうよう協力をお願いした。
川村は、それだと横入りする様で申し訳ない、と言っていたが、橘自身が最初に軽く体調を崩していた事もあり、元々早く帰るつもりだったので返って都合がいい、と快く了解して計画に乗ってくれた。
――と川村には説明してある。
これならば、佐々木はプレゼントをこっそり用意しようとした事がばれて気恥ずかしいが、ほかに問題もない。
川村は浮気を疑っていた事も知られずに、ちょっとした意趣返しとデートが出来る。
橘も、彼女がどういう思惑で佐々木に近づいたのか知られる事も無くなり、体裁を保てる。
多少強引な部分は『風紀委員会』が絡んでいる為だと、大体納得してくれるだろう。
◇
「……此処までが、大体の流れですわね」
おおよその説明を終わり、一息付く緋ノ宮。
俊樹達は、フロアの休憩スペースの一角に集まっていた。
川村と佐々木は、今頃流行りの映画を見ながらカップルらしい事でもしている頃だろう。
ペットボトルの熱いほうじ茶をすすりながら、目の前に座る彼女――橘絢歌を見る俊樹。
「橘 絢歌さん、我々【風紀委員会】が今日此処に来たのは、簡単に言えば貴女を止める為だ。
今回は我々が川村と組み、佐々木に対して仕掛けた『サプライズデート』だった、という形で纏めた。
今後、貴女の学校生活にも支障は出ないし、佐々木との関係が変わる事も無いだろう。
今までどおり、多少見知った友人として付き合えばいい。
【宮内 涼子】の事件に、貴女も巻き込まれていた事は聞き及んでいる。
だが、貴女まであの女の真似をする必要は無い。
今回、貴女がやろうとした事は、そういう事だと自覚しているか?」
「は、い…申し、訳、ありません、でした」
手元に置いたペットボトルに手を伸ばし、空になっている事に気が付く俊樹。
気を利かせた龍成が自販機まで走るが、便乗した星野が「ボクはミルクティーでいいですよ!」と空気を読まない発言をして、緋ノ宮に睨まれていた。星野の場合、場を重くし過ぎない様わざとやっている節もあるが。
気を取り直して、橘に向き直る俊樹。
「貴女は、最初の接触以降は、これと言うアプローチもしなかった、その後のプレゼント選びの時も、真摯に佐々木の立場になって選んでいた。
正直、あまり今回のような事が得意な性格には見えない。それが私の個人的な印象だ
それに失礼を承知で言わせてもらうが、貴女程の器量であれば言い寄る男も居たのではないか? なぜわざわざ佐々木を寝取る様な真似を実行したのか、それが分からない」
それが俊樹の印象だった。
恐らく最初の佐々木の反応から、彼女への想いと誠実さを感じ取り、あの時点で身を引いていたのだろう。だから緋ノ宮の説得にも簡単に応じ、芝居に乗ったのだ。
その程度常識があり、しかも橘本人も異性に人気がある。何故最初から他人の男に手を出そうとしたのか。
「今いる風紀委員メンバーの我々と【宮内 涼子】の間で起きた事件、その影響はどこかで必ず残る。
そう考えた我々は、その後始末も兼ねて、【風紀委員会】を立ち上げた」
俊樹達が【風紀委員会】を設立した大きな理由。
【清崚高校】全体を巻き込み、生徒だけに留まらず教師までも巻き込んだ大事件。
【橘 絢歌】も、その被害者の一人だった。
「今回の貴女の行動は、あの事件が根底にあるのでは、そう私は思って居る。
話して気分の良い内容ではない、と思う。だが、出来れば力になりたいと考えている。
他言はしないし、貴女の誇りを傷つける様な事もしない。
だからこの通り、貴女の胸の内を、聞かせて頂けないだろうか」
そういって、頭を下げる俊樹。そこに打算は一切無い。
ただ、前世の俊樹の様に失敗して欲しくない。細かい心情は他にもあるが、ただ助けたいと。
俊樹はそう思い、風紀委員会を立ち上げた。
まあ、空回りする事も多いのだが。
やや躊躇した橘だが、頭頂部が見えるほど頭を下げた俊樹の、真摯な態度を目の前にして、その重い口を開いた。
「わ、分かり、ました…全部、話します」




