尾行
「…これはもう、尾行と言わないのでは無いか?」
日曜日、現在風紀委員会の面々は、目的の二人を尾行する為、大型商業施設まで来ていた…筈だった。
だが、俊樹達は現在、併設された立体駐車場に停められた、大型の放送車の様な車の中に居る。
「ねーねーかりんさん、これ店内の防犯カメラの映像ですよね?」
「なんで、こんなモンが見れんだよ」
「それは、此処が【緋ノ宮】の系列企業だから、ですわね」
白いワンピースに、芸能人が掛ける様なサングラスと、チューリップハットを被った緋ノ宮が答える。
腰まで伸びた艶のある黒髪も相まって、完璧な清楚系お嬢様だったが、雑な変装で台無しだった。
「華凛、変装の必要性が感じられないが」
「気分ですわよ」
モニターにかじりつきながら、アンパンを牛乳で流し込むご令嬢。
思わず、テレビを見ながら物を食べるんじゃない、と注意したくなったが、そこは抑えた俊樹。
どうせ言っても、頭が固いとか父親の小言っぽいなどと言って、女子は言う事を聞かないと思うので。
白いワンピースが餡子で汚れるんじゃないかと、やきもきする俊樹を横目に、緋ノ宮はモニターに注視する。
先程からモニターに映る、佐々木優斗と一緒に歩く女子が、問題の三年生【橘 絢歌】だった。
数台あるモニターの画像は、店内の防犯カメラから。
それに尾行している、緋ノ宮が雇ったらしい人間が持ったカメラからも送られている。
音声も、近くに張り付いた尾行がマイクで拾っているので完璧だ。
「かりんさんは、ワリと軽いノリで家の権力使いますよね」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「華凛、恐らく褒めてはいないぞ」
「人の上に立つのなら、若い内から人と権力を使うのに慣れなくてはなりませんの。
練習みたいなものですわ、どうぞお気遣いなく」
「やっぱ、お嬢はおっかねぇな」
【権力を上手く使う女子高生】というのもどうか、と思う風紀委員会メンバー。
もっとも、緋ノ宮を一般の女子高生にカテゴライズするのも疑問なので、何も言わないが。
呑気に談笑する風紀委員会の四人だが、傍らでは今回の依頼人である川村琴子が、厳しい表情でモニターを見つめていた。
ちなみに、日野・朝日・桃井の三人は車内に居ない。さすがに八人は入れなかったので。
「しかしアレですねー、『黒髪姫カット』に『童貞をコロす服』とか、ちょっと攻め過ぎてますね」
「その物騒な名前の服は何だ」
橘の服装は、白のブラウスにハイウエストの黒っぽいスカート、足は黒いタイツを履いていた。
清楚さを見せながらも、腰回りや胸などの女性らしさを協調した服装だ。
「ネットで有名な、初心な男を落とす為の基本服装セットですよ」
「一見清楚だが、男に媚びて見えるのはその為か」
でも、そこはタイツじゃなくニーソでしょう。などと意味不明な事にこだわる星野はさて置き、男を口説き落とす為の服装が、マニュアルとして存在する、その事に恐怖する俊樹。
大学のコンパなどで使われたら、浮かれた男子新入生など簡単に『釣られて』しまうに違いない。
やはり女子というのは油断出来ない。俊樹は、そう再認識させられていた。
「動きがありますわよ」
「……っ!」
モニターを見ていた緋ノ宮が変化に気が付き、川村が息を呑んだ。
少しフラつき、佐々木の腕に捕まる橘。しなだれかかる様にも見えたが、前後の会話から、日曜日の人込みのせいで、少し酔ったらしい。
恐らくは、わざとであろうが。
スピーカーから佐々木と橘、二人の会話が聞こえてくる。
「ごめんなさい、ちょっと…人が多くて…」
「大丈夫ですか? 橘先輩」
川村が、辛そうな表情で唇を噛み締める。
星野がその肩にそっと手を置き、宥めていた。
ある意味これは、佐々木という男に対する試金石でもある。
彼が評判道理の男で、誘惑に負けずに手を払える男ならば問題ないが、そうでない場合は、俊樹は対応を変えて見捨てるつもりでいた。
佐々木は手を振りほどかずに、そのまま橘と連れ添って歩き出した。
川村の表情に暗い影が差し、信じたくないと言う絶望に近い色が瞳に現れた。
だが、佐々木は橘を気遣いながら歩くと、その手を優しく取りながら、近くのベンチにそっと座らせた。
「すいません先輩、僕の買い物に付き合ってもらったせいで。
ちょっと自販機でお茶でも買ってきますから、少し休んでて下さい」
安堵から表情がゆるみ、涙目になる川村。
傍らに寄り添っていた星野も、佐々木を信用していたとはいえ、内心気が気ではなかったのだろう。安堵の溜息をもらしていた。
佐々木の誠実な態度に、俊樹の頬も満足気に緩んでいる。
「まあ、佐々木くんみたいな草食系男子は、こっちから押すと逆に引きますからねー」
川村に聞こえない位置まで来て、俊樹に身も蓋も無い事を言う星野。
わざわざ良い空気を壊しに来る彼女に、隣にいる円谷までもジト目になった。
モニターの中では、お茶を買い終えた佐々木と橘が、休憩中のベンチで何やら話をしている所だった。
「そうですね…こっこは家のカギとかに、お寿司の形したキーホルダーとか付けてるので、お寿司が好きだと思うんですが。
……え? 誕生日プレゼントに寿司は無い、ですか?」
――無いな。
聞いていた面々、全員が思う程に佐々木のセンスは壊滅的だった。
これは他人に頼りたくもなる、むしろ頼るべきだと俊樹も思う。
そして、お寿司キーホルダーの事を暴露された川村は、顔を真っ赤にして俯いている。
何にせよ、ようやく川村の誕生日プレゼントの話題も出たので、これで彼女の不安と疑問も払拭されることだろう。
「もうすぐ誕生日なんですね? ことこちゃん」
息を吐く様な自然な演技をする星野。この辺は事前に、川村の誕生日の事は知らなかった、と風紀委員会の面々は打合せ済みだ。
「うん、来月なんだけどねー。
もう、ゆう君たら…えへへ」
さっき顔を赤くしていたのは、彼氏がプレゼント選びに買い物にきていた事実が嬉しかったのもある様だ。何かクネクネと身をよじり出した。
俊樹たちの目的は【橘 絢歌】であり、川村たちはダシに使ったような物だ。
なので罪悪感は有るが、『あの二人、わりとバカップルなので気にしなくて良いですよ!』と言っていた星野の言葉通り、既に何かそんな感じするので、もう俊樹も気にしていない。
のろけ始めた川村の相手は、友人である星野に任せて、この後の流れについて考える俊樹。
事前に立てた作戦では、自然な流れで佐々木の思惑を川村に分からせた後は、理由を作って橘を引き離してから、川村と佐々木を合流させる。
後は、カップルで好きにやってもらい、風紀委員は本命の橘に接触する手筈だった。
方針は全員に伝えてあるが、どう切り出そうかと考えていると、先に星野が話を切り出した。
「とりあえず今回の件は、彼氏からことこちゃんへのサプライズ誕生日プレゼントの為だった、と分かりました。
でも、彼が心配を掛けたのも事実ですから、その辺は自覚してもらうために、ボクたちもドッキリを仕掛けましょう!」
「え、別に気にしてないからいいよ」
遠慮する川村に対し、強引に押し切る星野。
話の運びかたが雑だが、まあ星野がすることだから、で通ってしまう感じだ。
こういう時に普段の行いが影響するな、と俊樹は思う。
「と言う訳で、【プランA】開始ですよ!」
「何だそれは、私は聞いて無いぞ」
「ボクが考えた、さいきょうのさくせんです!
ちなみに、【プランB】は無いです!」
何やらスマホを操作して、指示を飛ばしている星野。
するとモニターの1台に、待機していた筈の日野たち三人が映った。
「あの両腕に美少女を侍らせてる身長172cmのイケメンは、一年の日野翔太くんです。
自分に好意を寄せる女子二人との、『友達以上:恋人未満』と言う微妙な関係を利用して、堂々と二股をかける最低な屑男です」
「ホントに最低ね」
「人間、自分の事は見えにくい事もありますが、客観的にみれれば誤りに気が付ける場合もあります。
あの二股野郎を目の当たりにすれば、佐々木君も自分の行いが如何に危ういか分かるでしょう」
「そ、そうなのかな?」
日野の扱いが悪い点以外は、もっともらしく川村に説明する星野だが、頬っぺたがピクピクと動いて笑いを隠しきれていない。
腕を組むよう3人に指示したのも、間違いなく星野の仕業だろう。
俊樹は、いつも通りの星野に制裁を加えるべく円谷を見る。
「龍成、頼む」
「おう、トシさんまかせとけ」
既に動き出していた円谷が、背後から星野の頭をつかむ。
そのまま片方の手を星野の頭頂部に当てて、ぐりぐりと動かし始めた。
「え、ちょっと待って、たっちゃん、つむじはハゲるから辞めぇあいだだだだだ痛いいだいいだだ!!!」
「あんま動くな、黙って反省しとけメメ」
「あがががゆるじで! 元同級生のよじみで!」
隣で「何故プランBは無いんですの?」などと質問をする緋ノ宮に、「たずけて背がちぢんじゃう!」と手を伸ばす星野。
モニターを見ると、美少女を両腕に絡ませた日野。周囲の視線が痛そうだったが、気負いもなく自然体だ。
あと、朝日は何故か髪型がツインテールになっているが、十中八九、星野の陰謀だろう。
照れているのか、やたら挙動不審な朝日。肝心な所でヘタレが出る女である。
キョロキョロと頻繁に周囲を見るものだから、馴れない髪型の性で、二本のしっぽが日野の顔にばしばし当たっている。
反対側では桃井が、女の顔をしながら形が崩れる程に胸を押し当てているが、日野は至って平常心だ。
「女子の胸への免疫力を付ける訓練の、効果が出たな」
「いつの間にそんな馬鹿な事なさってましたの」
「相撲部の小西君に協力をお願いした」
「もう、それ以上話さないでくださいませ」
俊樹が前世の会社で忘年会に参加した時、かなりふくよかな男の部下が「俺、Fカップ有るらしいんすよ」などと酒の席特有のテンションで盛り上がっていた。
彼はその場にいた男女関係無く、全員に胸を揉まれてニコニコしていたが、酔っていた俊樹も無理矢理揉まされたのだ。
それから暫くは胸の立派な女子社員を見ても、何故か酷く心が落ち着いていた。
その記憶を思い出した俊樹は、これは使えるのではと日野の同意の元、わりと乗り気な小西君に協力をお願いし、実験的訓練を行ったのだ。
成功すれば、暴走しがちな男子生徒の性に対する感情を抑制出来るのでは、と思っていたのだが、一定の効果が得られそうだと俊樹は思った。
「俊樹様は、何故時々真面目に馬鹿な事をなさるのですか……。
生徒のトラウマに成りますので、その訓練は今後禁止です」
良く見れば、日野は平常心ではなく遠い眼をしていた。
桃井の胸の感触から、小西君を思い出しているのかもしれない。
「まあ、とにかく問題が起こる前に、三人を呼び戻すか」
「少々遅かった様ですわよ」
モニターを見ると、日野の目に朝日のツインテがクリーンヒットしている所だった。
顔を押さえて呻く日野に、慌てて謝る朝日。
余所見をした朝日は、何も無い場所で躓き転倒しそうになるが、それを素早く手を伸ばして日野が支える。
だが、余り視界が回復していない日野は、その勢いで朝日の胸を思い切り触っていた。
「うわぁ、ひのくん凄いラブコメ体質ですね!」
「あれがラッキースケベですわね、生で見たのは初めてですわ」
面白がる星野と、何故か感動している緋ノ宮。
触られた朝日は耳まで顔を赤くし、満更でも無さそうだったが、日野が何事か言い謝ると、今度は怒りの表情を見せた。
そのまま、日野のみぞおちに鋭いパンチを食らわせ、崩れ落ちる日野を後にして走り出した。
「脇腹じゃないわよー! わぁぁぁん!!」
「ショウ! まりちーが又逃げ出したよ!」
「ぐ、肋骨じゃ、なかったのか…!」
今まで入らなかった音声が、声量があがった為聴こえるようになる。
どうも、日野の手に伝わった感触は、思いのほか固かったらしい。
逃げ出した朝日を追いかける形で、消えた三人。
後に残されたのは、遠巻きにその光景を見ていた、茫然とする佐々木と橘。
モニターの置かれた放送車の中では、星野芽々の笑い声と、俊樹以下風紀委員達のため息が聴こえていた。