彼女たちの事情④
クルーザーの一室で、緋ノ宮華凛は独り物思いにふけっている…様に見えた。
実際には、彼女は自分の中にいる鴉樹と、今回の計画について話しているのだが。
今回向かう先は、緋ノ宮家所有の島、緋ノ宮の別荘でもある。
その存在を知るのも、限られた人間だけだ。
「サプライズという事で、先程まで避暑地が島だとは誰にも申し上げず、ここまで移動しましたし。
今の所は、鴉樹ちゃんの計画通りですわね」
(うん、あの孤島なら…あの女が紛れ混んでいても、逃げ場は無いわね)
「でも、本当に今回の参加者の中に…いらっしゃるとお思いですか?」
(あの女が、”夏休み!泊まり込み!ビーチでキャッキャうふふ!”なんてラブコメみたいなイベントを知ったら、絶対にスルーなんで出来ないのよ)
「いえ、まあ…それは私も、鴉樹ちゃんの浮かれ具合を見れば、納得いたしますけど…」
(浮かれてなんかいないわよ?)
「バーベキュー手配させたり、バナナボート用意させたり、他にも色々…」
(あ、あの女を炙り出す為の演出よ!)
親子ですね、と言いたい本音は抑える華輪。
言えばきっと、猛烈に反発するだろう。
「はあ、遊びたいなら意地を張らずに、ちゃんと仰ってくださいまし?身体の主導権、お貸ししますから」
(で、でも…あたし泳げ無いし…)
「ボール遊び位なら丁度よろしいでしょう?
それと…今の内に言っておきますが、万が一に俊樹さまが溺れたり、何かあっても冷静でいてくださいまし。
泳げない鴉樹ちゃんでは助けたくても助けられなくなりますから。
以前に俊樹さまが刺された時は、佐助が居てくれましたけれども、今回は居ませんのよ?」
(ご、ごめんね…今回は佐助さん、お仕事で来れないんだもんね)
「ええ、篠塚雄大達を連れて”大江戸忍者映画村”で、ヒーローショーの予定ですわね。
悪さした分は、子供達を喜ばせて償うという方針だと言ってましたわね。
最近は、自分の孫くらいの男の子とたわむれるのが、楽しくて仕方が無い感じでしたけれど」
(たわむれねぇ…あれ、たまに稽古の様子みたけど、ゴリラだけ化粧まわしに隈取りだったわよね、罰ゲームじゃないの?)
「悪役のカブキショーグンですね、あれは元々ああいうキャラなんですの。
肉襦袢を着ないで生身でやれる人材は貴重ですから、先方も大変喜んでおりましたわね」
元々体格に恵まれていた雄大は、佐助氏に鍛えられて今やすっかり筋肉ダルマ。
元ボクサーというよりは、プロレスラーといった方がしっくりくる。
(ヒーローショーって、本物の手裏剣とか刀使うの?使わないわよね?)
「あれは佐助の趣味で収集した模造品ですわよ。
一応刃は潰してあるのですけど、重さは本物に近いとか。
本番の作り物は、アレよりもっと軽くてカラフルな、ショー専用の物をお使いになるかと思いますわよ」
(…まあ、愉しそうだったもんね、佐助さん)
男孫が居ない佐助にとっては、雄大達は良い遊び相手だった。
おまけに、老齢だが体力も有り余っている。
ちなみに、まだ早いと言う理由で、華凛に教えたような本物の武術は教えていない。
あくまでショーやスタント向けの、派手な体捌きのみだった。
「菱方家はですね…ざっくり説明しますと、代々が仮装やコスプレ趣味、変身願望の強い家系なんですの」
(ああ、だから那由ちゃんも…ああなのね)
「那由が本格的にコスプレ趣味を始めたのは、中学に上がってからだと記憶してますわね。
もっとも彼女も昔から、色々と仮面を使い分けて生きてましたけれども」
(あたしが言うのも何だけど、華凛ちゃんとこの人材って、個性が強すぎるわよね…)
緋ノ宮家が存在した初期から仕えた菱方家だが、まだ忍者やスパイという単語も無かった時代から、裏方として支え暗躍していたと、幼少の華凛は佐助に聞かされていた。
孫に話す自慢話に近かったので、多少うざがれていたし、実際に那由は幼少から露骨に嫌がって逃げられていたが。
ともかく、そういった事情で何百年も前から諜報員のような仕事をしていたため、一族は常に幾つもの顔、時には身分も演じてきたのだ。
簡単にいえば、遺伝子に刻まれた職業病である。
(ふふ、でも懐かしいわね…佐助さんと華凛ちゃん、二人に出会った島に行くのも、本当に久しぶり)
「十年ぶりでしょうか、本当に長かったけど…やっとここまで来れましたわね」
二人の脳裏には、かつての出会いの光景が浮かんでいた。
◇
――十年前の、とある夏の日。
遠くで波の音が聞こえる、孤島に建つ緋ノ宮家の別荘。
その二階の一室で、幼少期の緋ノ宮華凛は療養生活を送っていた。
時折せき込み、胸を押さえる弱々しい姿。
鮮やかな赤毛はチャームポイントであったが、今は病的に青白い肌を目立たせ、余計に痛々しく感じさせた。
「お嬢様、また窓を開けて…いけませんぞ、身体が冷えます」
「さすけ…!」
当時、病床の華凛を世話していたのは、菱方家の当主を息子に譲り、経営の一線から引いたばかりの佐助爺だった。
何故執事の真似事を、当初は周囲からそう言われた。
だが、彼にとって華凛の亡き祖父は良き友人であった。
仕事で愛娘との時間を作れない彼女の父――緋ノ宮家の現当主も、信頼できる佐助氏の申し出には泣く程感謝していた。
なにより、華凛も温和で物知りな佐助には、実の祖父のように懐いていたのだった。
「さすけ! みて!」
「おお、佐助はすぐそちらに行きますぞ。
余り大きな声をあげては、お身体にさわりますゆえ、もう少し静かに…」
言いかけた所で、華凛が何かを握りしめている事に気が付いた佐助。
黒い、ぬいぐるみの様な物体が、蠢いて暴れている。
「さすけ!! ボケモンゲットした!!」
『っぷはぁ!! た、助けて!! ななな、なんなのよこの子は!?』
華凛の手の中では、ご当地ゆるキャラの様な黒い鳥のぬいぐるみが暴れていた。
「…お嬢様、ゆっくり手を放すのです」
「さすけ! ボケモンってどうやっておせわするの?」
「お嬢様、それはボケモンではありません」
「えー、うそだー」
『あ、あたしはボケモンじゃないわよ!!』
「本人も、こう言っておりますので」
「…ちがうの? ボケモンじゃないの…?」
ピタリと動きが止まった華凛。
だが、今度はみるみるうちに、そのつぶらな瞳が涙で溢れ返ってきた。
「うっ…うううっ…うぇぇぇぇぇぇん!!」
『え? あああごめん泣かないで?!』
「困りましたな、お嬢様は一度泣き出すと中々泣き止まないのです…」
その時、カラスのぬいぐるみ――鴉樹と、佐助の目が合った。
アイコンタクトによる意思疎通を、一瞬で済ませる二人。
『あー。 やっぱりおねぇさん、ボケモンだったわー』
「これはもう間違いなくボケモンでございますな」
「うう、ひっく……ほんと!? やったぁ!!」
華凛に笑顔が戻り、ほっと胸をなでおろす二人。
幼女を泣き止ませると言うミッションを達成した二人は、この時奇妙な友情を感じていたのだった。
「あれれ? でもこのとりさん、ボケモンずかんにのってないよ?」
『そそそそれは…し、新種なのよっ!!』
「そそそそうですぞお嬢様、おめでとうございます!」
「ほんとに? わぁ~しんはっけんだぁ、えへへ♪」
ほっと胸を撫でおろす、佐助と鴉樹。
だが、そこに更なる試練が襲い掛かる。
「ねえ、ボケモンさんはどんな ひっさつわざ をつかえるの?」
『ひ、必殺技かぁ。
ちょっと待ってね…いま考えてるから』
「じゅうばいがえしボルトは?」
「そ、そういうのは無理かなぁ…」
「くちから、そうめんとかだせないの?」
『ええっとね…うーん…』
窮地に立たされた鴉樹は、必死に佐助に助けを求めた。
鳥のくちばしのクセに、器用に口の形で”むり”と何度もうったえる。
佐助は、しばし思案する。こういった事態には慣れているので、比較的冷静だった。
「お嬢様、そのボケモンは、催眠タイプですぞ」
『そそ、そうなのよ! 催眠タイプ! だから、あんまり派手な攻撃はできないの、ごめんね?』
「えー、じゃあなにができるの?」
「さいみんタイプですから、簡単な催眠術をかけられますのじゃ」
『そそ、そうね!!』
鴉樹は、とりあえず佐助の話に乗っかった。
「試しに、この爺に何か催眠をかけてみるとよいでしょう」
『な、なるほど、そういう事ね…助かります』
窮地に助け舟を出された事で、鴉樹は、この老紳士に尊敬の念を抱いたのだった。
「おためしに、何か動物になるように命令してみると良いかと」
「ん-とね。じゃあ、よぐそーとす!!」
「さすがに異界の神は無理ですのう」
『なんで幼女が、そんな単語知ってるのかしら…。
あのね、見た事のある動物じゃないと、ちょっと無理かなぁ…』
「ええー」
『知らない動物になるよう命令しても、ちゃんと出来てるか分からないわよ?』
「そっかー、じゃあ…いぬ!!」
『分かったわ、え~い!』
そう聞くや否や、すぐさま四つん這いの体制に変わる佐助爺。
犬だろうが馬だろうが、孫に求められればすぐさま答える。まさにプロのお爺ちゃんであった。
「ワォーン! グルルル…」
「わぁ! ワンちゃんだぁ!」
『凄い、引く程似て…じゃなくて、これが催眠よ!』
犬だけではない、子供受けする動物のモノマネはほぼ習得済みの佐助。
だが、リアル過ぎてあまり可愛くないので、自身の孫の反応はいまいちだった。
「おて!」
「ワン!」
「おすわり!」
「ワワン!」
『…やり過ぎじゃないかしら』
「ぜつ!てんろうばっとうが!」
「ギュルルルル!」
『なんで出来るのよ!?』
「次はね~――」
『ああ! 待っておじいちゃん酸欠になっちゃうから!!
終わりよ!! はい時間切れ!!!』
「えー、もうおわりなの~?」
『ご、ごめんね? お姉さんまだレベルが低いから』
「そ、そうですぞ…ハァハァ…れ、レベルを上げて…成長させないと無理ですぞ…ハァハァ…」
「え~! もっとあそびた…ごほっごほ!」
「お嬢様! すいませんお嬢様を横に…!」
『わ、わかったわ! ほら、少しおやすみしなきゃ、ね?』
暫くせき込んでいた華凛だったが、久し振りにテンションがあがり疲れていたのか、そのまますぐ眠りについたのだった。