クルーザー
芽々が鴉子との脳内会話で悶えた翌日。
今度は港から船に乗った一行は、緋ノ宮家が所有するクルーザーに乗って、優雅な船旅を満喫していた。
「お兄ちゃん!!海っておおきいね!!」
「ははは、そうだな」
「ヤッホーーー!!」
「花、海でやまびこは聞こえないぞ」
妹に新しい一般常識を教えながら、2階のデッキで海の風を感じつつ目を細める俊樹。
夜行バスから解放されて、今度は船かと内心げんなりしていたが、バスよりも広々とした大型クルーザーは、船の揺れを入れても快適すぎた。
間違いなく、家一軒ではすまない金額は掛かっているだろうと考え、バスとの落差に少し眩暈がした俊樹だった。
ゆったりとしたレジャーチェアに身を預け、冷たいレモネードで喉を潤していると、人の気配がした。
「流石に、緋ノ宮家の所有してる船はランクがぶっ飛んでるでするね」
「那由か」
いつの間にか花火の隣をキープしている那由。
バスでも花火の隣で寝ていた彼女は、睡眠時に抱き癖のある妹に締め付けられて寝付けない様子だったが、回復した様子だ。
「なっちゃん!都会の人はみ~んな、こんなお船もってるの?」
「あはは、持って無いでするよ~。お嬢様の家が少しおかしいだけでする
なぁの家にあるのも、精々これの半分以下でするね」
「持っているのか、クルーザー…」
半分の規模でも数億はするだろう事を考えると、那由も実はかなりのお嬢様なのではと思う俊樹。
普段は殆どそういった感じは見せないが、よく考えれば華凛というトップクラスのお嬢様に付くのだから、ある程度の家柄でなければ無理な話だった。
実際、那由の菱方家は緋ノ宮の傘下企業の中で、警備やイベント関係の会社を中心にいくつか所有している。
「那由って、別にお金稼がなくても困らないわよね…何故バイトとか動画配信みたいな事してるのかしらっ?」
今度は瑠琉子だ。彼女もいつの間にか来ていた様だ。
少し軽量化されている様子だが、相変わらず全身黒い。そして左側だけが重そうな服装だ。
正直に言えば海や夏とものすごくかけ離れていて合わないのだが、俊樹にはそれを指摘する気は無い。
女性の服装な化粧について、男性から指摘するのはタブーだ。何を言ってもセクハラになるのだ。
前世では、女性社員の化粧や服装についてうるさい部長が、夏場に薄手のストッキングを履いていた新卒を注意して泣かせ(もちろん、そんなルールはない)、異動になるまで部署の女性社員全員から無視された事件があった。
最近は企業もそれを分かってきたのか、女性社員に服装・髪型・化粧などについて言及するのは、多くの会社でルールとして禁止とされているらしい。
場合によっては訴えられる、尤もな話だと俊樹も思う。
触らぬ神に祟りなし、という事なのだろう。
そんな事を考えていたら、何の味かわからない鮮やかなブルーの飲料に口を付けていた那由が語り始めた。
「なぁは、あんまりお嬢様っぽくなりたく無いでする。それに動画のチャンネルならもう消したでする」
「え?何故なのっ??」
「コスプレで踊るとか限界でするし、元々ちやほやされたくて始めただけでする。でも、これからは一人の愛に生きると決めたでする…うぇへへ」
気が付くと花火と一緒に近くのサマーベッドに寝そべり、ぬいぐるみの如く抱きしめられている那由。
恍惚とした表情だが、こんなに残念な感じの子だったろうか、と思う俊樹。
花火が来てからは彼女にべったりで、妹共々あまり俊樹に絡むような事もなくなった。
落ちる寸前で花火の腕をタップする那由を見ながら、妹に早くも仲の良い友人が出来たのはとても嬉しいと感じる俊樹。
ただ、妹と距離が出来てしまったような、少しの寂しさも感じるのだった。
「あ、あの。今回は私までお世話になって…ほ、本当にありがとうございますっ」
「瑠琉子か…いや、礼なら華凛に言ってくれればいい。それから、肩の羽根が取れそうだが…大丈夫か?」
「え?ああっ!!これ3000円掛かったのにっ!」
慌てて肩の羽根を押さえる瑠琉子。見かねた俊樹は彼女の肩に、自分が来ていたパーカータイプのオシャレなラッシュガードを掛けてやる。
もちろん俊樹の私物ではない、甲板に出る時に華凛から渡されたものだ。
「ほら、風があるから、ここにいる間は着替えなさい」
「ひゃ!あ、あありがとうございまふゅっ!」
「…そのパーカーはこの船のものだから、必要なくなったら返していいからな」
「は、はい! わかりましたお兄さんっ!」
つっかえながら話す瑠琉子を見送りながら、やはりまだ距離感があるなと感じる俊樹。
中学二年生といえば十四歳程度、少し前までランドセルを背負っていた年齢だし、年上の男性だと威圧感を感じてしまうのかもしれない。
思わず、妹にするように接してしまったことを反省する俊樹。
「少し、恐がらせてしまったかな…」
「えっとでするね、あれは照れるだけでするね」
「…そうなのか?」
「男性慣れしてないのでするよ」
自分のようなおじさんに、照れる要素があるのだろうか。と一瞬考えたが、そういえば今は自分も高校生だったなと思い出す俊樹。
ふと、クルーザーのガラスに映る自分の姿を見る。
若い身体だ、顔は見慣れた筈だが、何故かたまに違和感を感じる。
目が前世の様に悪くなり、眼鏡をかけるようになってからだろうか、特にそう感じていたのだが。
あまり、良い兆候ではない。少し気を付けなければ。
そう俊樹が思っていた矢先だった。凄まじい悪寒と圧力が俊樹を襲う。
「なっ…なんだ!?」
振り返ると、そこに居たのは二人の女性。
「…とし君、今ここで…何かあった?」
「あたしも興味あるわね…何してたの?」
◇
俊樹は、すべて話した。
包み隠さず話した。
彼女たちが、何故詰め寄ってきているのか、全く理解出来なかったので。
「菊田瑠琉子…おもわぬ伏兵…」
「待ちなさいアヤ、今ならまだ潰せるわ」
「あの女の部屋は何処…?」
「お前達は何を話してるんだ…」
妹と同じ年の女の子だ、自分が彼女と男女の関係になると、本気で思ってるのかと呆れる俊樹。
「だって、急にアヤが『敵が…生まれそうな気配がする…!』とか言い出して」
「アヤの勘…よく当たる」
「あたしのタロット占いでも、不吉な結果が出たわ」
「さらちゃの占いは当たらない」
「それでは結局どっちか分からないではないか…」
それよりも、咲良が占いにこっているのが初耳だった俊樹。
ああいうメンタルが不安定な女子は、たまにスピリチュアルな趣味にハマると、おかしな方向にいって抜け出せなくなる場合がある。
前世でも、会社の新人が結婚して家を建てると言い出した時に、奥さんが風水師を呼んで設計に口を出し始め、不動産屋と折り合いが合わずに計画がご破算。
それが原因でケンカになり、そのまま結婚の話も無くなった時があった。
俊樹も色々と相談に乗り、不動産屋を紹介したりなど世話を焼いたのだ。
結婚の事は同じ部署に知れ渡っていたため、破談になった後は部署全体が気をつかって、微妙な空気になったものだ。
「占いもいいが、あまりそういった物に頼りすぎるなよ?」
「ああ、大丈夫よ。あたしそういうの信じてないし」
「さらちゃ、幽霊とかオカルト…ぜんぶ否定する」
「じゃあ何故占いを…」
「何かカワイイじゃない」
またカワイイか。一体カワイイとは何なのか。
一度、風紀委員で真剣に話し合いたいが、女子達にはきっと、また馬鹿な事を言い出したと責められるのが分かり切っていた俊樹。
仕方がないので、詳しそうな男子だけ集めて話し合うか、と決意を固めているのだが、その行為が結局誤解に繋がるとは思っていないのだった。
「ん、他にもさらちゃは、自分の日記をポエム調で書いてる」
「ああ!! ちょっとアヤ言わないでよ!!」
「うわキッツイでする」
「なんですって…!!」
「落ち着けお前達」
たまに女子中学生みたいな趣味を見せる咲良。
やはり、根は結構乙女なのかもしれない、などと考える俊樹。
「まあ、自分の内面を言葉にするのは、難しいものだ。
そのために、詩などの型を利用するというは、ある意味で理にかなっている。
それに、咲良にもそういった文学の才能が有るのかもしれない。
人の可能性を潰してしまうような事を、言うものではないぞ」
「まあそうでするね…なぁ達のオタク趣味も、似たようなものでするし。
ごめんなさいでする」
「と、俊樹…」
頬を赤らめる咲良だが、華凛がここに居れば「今の何処に惚れなおす要素がございましたの…?」と呆れる所だったろう。
「瑠々ちゃんの件については、男性に免疫ないオタク女子は、男に優しくされると簡単に惚れる場合があるでする。
チョロいだけなので、もしそうなっても放っておけば忘れるので、気にしなくて良いでするよ」
俊樹としても、多分そうなるだろうとは思っていた。
だから、この時にそんな甘い考えをしていた事を、死ぬほど後悔するとは全く考えていなかったのだった。