彼女たちの事情②
少しだけ重い話になります。
が、此処まで読んで頂いたみなさんなら大丈夫だと、信じてます。信じてます…。
目覚めた芽々の頭のなかでは、彼女自身と鴉子による脳内会議が行われていた。
「このボクが、催眠術になんて負けるわけないと思ってたんですけどね」
「むしろ自分から掛かりにいってると思ってたわよ~?」
鴉子から見ればノリノリに見えていた。
「それで、なんでまた急に催眠やめたんです?」
「それはね、あたしも色々考えたのよ~。芽々ちゃんには大分協力してもらったじゃない? だから、そろそろちゃんと自分の青春もしてもらいたいとおもったのよ~。
せっかくの夏だし…ね?」
「鴉子さん…」
「あの子…鴉樹ちゃんが何を企んでるのかも、気にはなるのよ~。でも、芽々ちゃんも来年は三年生でしょ~? 来年は進路や受験の事もあるし、気兼ねなく遊べるのは今年までなのよ。
あなた自身の恋も、そろそろ進展して欲しいと思って」
言うまでも無く、それは芽々と龍成の関係の事だった。
約一年芽々に憑りついてきた鴉子。一緒に居る事で、大体の事情や彼女の心情は察してきたのだ。
「それは…今はいいんです。
ボクは、たっちゃんのやる事を、夢を邪魔したくないんですよ」
「でも、言いたい事、やりたい事を押さえつけているとね、人間うまくいかないのよ?
芽々ちゃんには~、あたしみたいに失敗してほしくないのよ」
「…そういえば、ボクも鴉子さんの過去についてあまり聞いた事なかったですね。
というか、鴉子さん見てると、としきさんと別れる選択するなんて想像できないんですが」
「うん…そうね、芽々ちゃんにも~、ちゃんと聞いてもらった方が良いわよね」
揺れるバス内で周りが寝静まるなか、鴉子の独白が始まった。
◇
ずっと順調だったのよ、学生時代からあの人の、きー君の事が好きで。
付き合ってからも、そんなに大きなケンカもしなかった。あの人は当時から、同年代に比べると大人っぽい性格だったから。
まあ今とたいして変わらないわよ。誠実で、頼られると放っておけなくて、でも時々天然でやらかすの。
困った人だったわ、あたしも何回もフォローしたのよ?
でも、楽しかった。ずっとこのまま一緒に居れたらって思ってたの。
それが不味かったのよね、今考えれば。
二人で同じ大学を卒業して、彼は就職して、その翌年に結婚したわ。
少し地元から離れたけど、車でいつでも帰れるくらいの所にアパートを借りて、二人で生活し始めたの。
最初は幸せだったけど、学生時代に比べれば、一緒に居られる時間は随分減ったわ。流石に会社までは同じ所に就職できないし。
入社して1年経過し、新人の割には仕事が出来る彼は、それなりに重要な仕事も任されるようになって。
でも、それで残業続きになり、帰る時間もだんだん遅くなって、あたしは一人で夕食をとる日が多くなった。
あたしと彼は、ケンカすることが多くなった。
結婚して一緒に生活するようになったんだし、学生時代よりも二人で楽しく過ごせる時間が多くなる。そんな風にあたしは思ってたのよね。でも彼の考えは違った、多分もっと現実を見てたのね。
今の仕事が終わるまでは我慢してくれ、そう言われて待っても、また違う仕事に追われる彼の事を、あたしは責める様になった。彼も聞き分けの悪いあたしを責める様になったわ。
馬鹿よね、あたし。結婚してからもずっと恋人気分だったのね、そんな訳ないのに。
その日もあたしは彼とケンカしたまま、中学時代の同級生との同窓会に出かけた。
お酒を飲みながら、さんざん愚痴を吐き出したわ。久々に会った同級生も、旦那がいる子たちは大体同じように、あたしに愚痴を言ってきた。
よその夫婦も大して変わらないって知って、少し安心したわ。そうすると幼稚な自分が少し恥ずかしかった。
そんな心境に、久々に会った同級生とのお酒の席だったから、ハメを外し過ぎたのよね。いつもは飲まない量のお酒を飲んでしまって。あんなに酔ったのはあれっきりだったわ。
二次会も解散になって、気が付いたらホテルの前にいたの。横に居た男は同窓会の時、いやらしい目であたしを見てた奴。
血の気が引いたわ、でもおかげで酔いも醒めた。そのまま急所でも蹴り上げてやろうかと思った矢先よ。
運が悪かった、としか言いようが無いのか、あたしの今までの行いが悪かったのか、一番見つかっちゃいけない人に見つかって、誤解をうけてしまった…。
◇
「――つまり、浮気しようとしてたって誤解されて、そのまま離婚したって事ですか?」
「大体そういう事ね」
苦いコーヒーを口に含んだような、渋い表情を浮かべた芽々。
さすがの彼女でも、女子高生には重すぎる話だったのだろう。
「何か『重ーーーい聞かなきゃよかったーーー!』って顔してるわね~」
「当たり前じゃないですか! そこまで重苦しい話なら前もって注意してくださいよ! 『ここから先の話を聞くには訓練が必要です』とか!!」
「どんな訓練をすればいいのよ、龍成くんを誰かに寝取らせるとか――」
「おまえ本気で怒りますよ」
「た、例えよたとえ! しないわよ~そんなこと~怖い顔しないでよ~もうっ!」
あまりの恐怖に、一瞬だが成仏させられると思った鴉子だった。
「しかし、流石のとしきさんでも浮気は冷静じゃいれませんでしたか。
いや、でもあの人の性格なら、話し合えば誤解は解けそうな気がしますが…」
「…見つかったのが、彼だったら別れて無かったでしょうね」
芽々の背中がビリビリと震えた。
最悪の想像によって、過度なストレスが掛かったのだ。
「え、ちょっとまって、気になるんですけど聞きたくないような…」
「うん、そうよね、やっぱり聞きたいわよね」
「いや、まって、ボクそんな事言ってない」
芽々は逃げようとした。
だが、鴉子は彼女自身の中に居た、逃げられない。
「その時ホテルの前で目撃してたのは、あたしの義理のお母さん…きー君のお母さんね。
つまり、お姑さんよ」
◇
寝静まる車内には、バスガイドの恰好をした緋ノ宮家の使用人さんが、いつでも動ける様に待機している。
いつもの胃薬をもらった芽々は、数も確認せず適当に口内に放り込み、ボリボリとかみ砕くと水で流し込んだ。
「あ゛ぁぁぁ、あ゛ぁぁぁ…」
具合の悪そうな芽々の様子をみかねて、さきほど胃薬をくれたバスガイドさんが、車酔い用の薬も持って来てくれた。
芽々はついでにそれも受け取ると、躊躇せず口に放り込む。
顆粒タイプなので口の中が粉まみれでパサパサだが、もう水を飲む気力もない彼女はそのまま放心していた。
「軽い気持ちで聞くんじゃなかった…」
「いやだわ~、こんな話は大人になればよくある話しよ~?」
大人になんてなりたくない、芽々は本気で思った。
「もうね~、話し合いになんてならなかったわよ」
「コイツまだしゃべるか…」
重ねて言うが、これえは芽々の脳内での会話。
逃げ場は無いのだ。
「きー君は遅れて来たんだけど、うちの両親と彼の両親が揃った所でね、こっちのお母さんと向こうのお姑さんがやり合い始めちゃって。
お互いに、お前の息子が悪い~アンタの娘が悪い~ってもう煽り合い止まらないの。
しまいには、うちの母さんが『そんな所に居たなら、貴女もさぞかし素敵な男性とお会いになってたのでしょうねぇ』とか煽り出して、お姑さん顔真っ赤になってガチ切れして、いい歳した女二人が取っ組み合いよ。
きー君が付いた時にはもう、収拾がつかなくなってたわ~」
「…ボクはお二人が別れた時の話を少し聞ければと思っただけなんですけど、なんで姑と実母の争いのお話しを聞かされてるんでしょうね」
「世の中はね、そう単純にはいかないのよ~?」
あの俊樹にまつわる話だ、もっと警戒すべきだったと後悔する芽々だった。




