彼女たちの事情①
――去年の出来事
星野芽々の目の前には、カラスに似た生き物が居た。
分かり易く言えば”カラスをモデルにしたゆるキャラ”と言った方がいいか。
ぬいぐるみの様なフォルムで、何処となく生物的な質感も持ち合わせた不思議な生き物が、芽々を正面から見ていた。
「――つまり、鴉子さんは”別の世界から来た悪霊”的な存在なんですね?」
「失礼ね〜。悪霊じゃないわ、天使よ」
「ウソつけ」
真顔でツッコミを入れた芽々。
声色から起伏が消える程の、冷めたツッコミだ。
「実際に芽々ちゃんを助けてあげたでしょ〜?」
「いやまあ、それは感謝してますけど。
でも、あの時ボクもちびりそうになりましましたからね?
黒い羽根がぶぁーって舞って、甲高い女の声みたいな鳴き声が辺りに響いて…まあ今はこんな、ゆるキャラにしか見えませんが」
「見た目が怖いって言うから~、変えてあげたんじゃないの」
夜の公園で、数人の不良共――当時のボクシング部員に囲まれピンチに陥った芽々。
それ自体は彼女の作戦だったのだが、突如巻き起こった怪奇現象で、普段高圧的に振舞っている不良共が蜘蛛の子を散らす様子で逃げて行ったのだった。
「羽根はただの幻覚よ~? 声は自前だけれど。
前の世界で友達に、恐がらせる演技を教えて貰ったのが役に立ったわね〜ふふふ」
「いやそれどういう交友関係ですか」
「普段は井戸の中に住んでて、テレビから出てくるちょっと変わった子よ」
「やっぱり悪霊じゃないですかー!! やだー!!」
「酷いわ、黒髪が綺麗な素敵な女の子なのに〜。
ただ、最近は色々とやりにくいって言ってわね〜」
「最近は見るほうの眼も肥えてますからね」
「そういう事じゃなくてね、アナログからデジタルに切り替えるの、難しいらしいのよ~」
「地デジ化に乗り遅れたんですか」
「若いのによくそんな事知ってたわね~」
ともあれ、鴉子に助けられたのは事実であり、芽々はこの時点で目の前に居るカラスのゆるキャラ――鴉子に、深く感謝していた。
「大体ね、いくら好きな男の子の為とはいえね。自分を囮にして暴行現場を隠し撮りして警察に訴えよう。なんて無茶しちゃ駄目でしょう〜?」
「それは……解ってますよ。でも、もう、他に方法が……」
「言い訳しちゃ駄目よ。例えばそれで女の子に一生消えない傷なんて残ったら、芽々ちゃんのお友達だって、一生それを引きずるのよ〜?」
「はい……。すいません、軽率でした、反省してます……」
普段のおどけた態度からは想像出来ない程に気落ちした様子の芽々。
この時、宮内達と龍成の件で、精神的にかなり追い詰められていた芽々は、強硬手段に出ようとしていた。
冷静になってみれば、自分が無茶をしようとした自覚はある。
「それで来年に、転生した元旦那さんがうちの学校に入学してくるから、そのストーキングを手伝ってほしいんでしたっけか?」
「恋のキューピットよ~、ストーカーじゃないわよ~、人聞きの悪い事言わないで頂戴」
「…あの、聞きたいんですが。その入学先の情報、どうやって入手したんですか?」
「それはもちろん、集積所で、きー君ちのゴミ袋の中から出てきた書類から――」
「やっぱりストーカーじゃないですかー!! やだー!!」
「しょうがないでしょ~彼が住んでる村、何か神社の結界があって入れないんだもの。その辺のカラスに乗り移ってゴミ漁るくらいしか出来なかったのよ~」
「魔よけに引っ掛かってるんじゃないですか!? やっぱり悪霊ですよこの人!!」
そう言いながらも、芽々は目の前にいるマスコットに対して、悪い印象を感じてはいなかった。
「とにかく目を離せないのよ~あの人は。真面目だけど天然だし。
放っておいたら~、絶対に変な女に引っ掛かるわ」
「あっそれは良くわかります」
目の前にいる、悪霊でストーカーの鴉子を見ながら答える芽々。
「一応聞きたいんですが、余計なお世話って言葉の意味は知ってます?」
「…何が言いたいのかしら、失礼ね~。あたしだって分別はあるわよ~?」
「ウソつけ」
芽々、本日二度目のマジツッコミだった。
「それは置いておきましょう、芽々ちゃん」
「置かれちゃうんですね」
「貴女さえ良ければ~、あたしに協力してほしいのよ。その代わりに、あたしも芽々ちゃんに協力するわ。
悪い条件じゃないでしょ?」
「それは…ボクとしてもありがたいですけど。
一応聞いておきたいんですが、鴉子さんは具体的には何が出来るんですか?」
「読唇術と尾行に、盗聴とプロファイリングかしら?」
「お巡りさーん!! この人ストーカーです!!」
もはや言い逃れはできない鴉子だった。
「失礼ね、天使よ、いい加減覚えて欲しいわね」
「うるさい、いやそういう生来の技術じゃなくてですね。
ボクが聞きたいのは、こう、幽霊なんだからオカルト的なのはないんですか?」
「そういうのはあんまり、せいぜい黒い羽の幻覚見せるくらいね~」
「えええー」
「あとは、とり憑いたりとかね~」
「定番ですけど地味に怖いですね」
「悪い事には使えないわよ~?
波長が合わないと無理だし、相手の承諾がないと失敗するから~。
結構難しいのよ」
「駄目じゃないですか」
「実は、さっちゃんに教わった技が有るんだけど、あまり使えないのよね~」
「貞…さっちゃん直伝なら期待できるじゃないですか、何が出来るんですか?」
「ネット回線を使って~、テレビとかパソコンのモニター越しに、分霊を飛ばせるのよ。
モニターから外には出れないけど、その場の様子を見聞きしたりできるわね」
「それ良いじゃないですか!
うちの学校は全教室に液晶モニターありますし、情報収集に最適ですよ。
さすが年期の入ったストーカー…でも、何で使えないんですか?」
「ADSLしか対応してないのよ」
「なんで光回線にしなかったんですかー!」
時代の波だった。
「まあ、ISDNとかテレホーダイなんて言われなくて良かったと言うべきですかね」
「芽々ちゃん年齢を誤魔化してない? 本当は女子高生じゃないでしょ?」
見た目は中学生、だが知識はアラサーより古い。中身と外見が実年齢と一致しない芽々だった。
「それで、どうかしら? 芽々ちゃん協力してもらえるとありがたいんだけど~」
「うーん。まあいいですよ、宜しくお願いしますね!」
「やけにあっさり承諾したわね~、さんざん悪霊とか言ってたわよね?」
コロコロと表情を変える芽々だが、今は満面の笑みだ。
ただ、少しいやらしい感じで笑っているが。
「だってメチャメチャ面白そうじゃないですか!」
「…どうしましょう、返品って出来ないかしら」
「すいませんレシートお持ちでないと無理ですね」
ニヤニヤと歯を見せる芽々、先程までの事などすっかり忘れている。
もちろん彼女の中には、鴉子に助けられた恩があり、出来るだけ力になりたいという想いが大きかった。
ただ、目の前のゆるキャラ幽霊が何をやらかすのか、単純に面白そうだという理由も、少なからずあったのだ。
「あのね~、芽々ちゃん。あたしはね、きー君…今は俊樹って名前だけれど、彼にばれない様に動きたいのよ。
芽々ちゃん、秘密を守ってお利口にできる?」
「全く子供じゃないんですから。まあ黙ってる自信はないですけどね!
だいじょうぶ結果的にうまくいけば問題ないですよ!」
「やっぱり不安ね~…」
これは絶対にやらかす。鴉子にはなぜか確信が持てた。
「少しこれからの事、お話ししましょうか。そうね…まずは芽々ちゃんが抱えている学校での問題から、お姉さんが解決してあげるわ~」
「いいんですか? それはボクも助かりますけど」
「すぐには無理よ? 一年は掛からないとおもうけど~、芽々ちゃんが進級するまでには、無理だと思うの」
「…仕方が無いですね」
「きー君が入学してきたら、芽々ちゃんの手を借りてそれとなく接触するわ。
ただね、あたしが居る事は絶対に彼に明かしたくないのよ」
「そうですかー。でも鴉子さんなら、どうやっても最終的にバレちゃいそうですけどね」
こいつは絶対にやらかす。芽々には確信が持てた。
「それでね、芽々ちゃん。あたしが協力して憑りついてる間なんだけどね~。
ある程度まで事が進むまで、あたしが憑いてる事、忘れてくれないかしら?」
「いや、あなたみたいな存在感の塊を、忘れられる訳無いと思いますが」
「それは大丈夫よ、催眠術を掛けるから」
「あなたは元旦那さんに何をしたんですかーーー!!!」
もはや幽霊などとは関係なく、恐怖に震えた眼を鴉子に向ける芽々。
そして、こんな重狂しい女に好かれる俊樹という男は一体どんなヤバい奴なのかと、生存本能が警笛を鳴らしていた。
「いやねぇ~、きー君には使って無いわよ」
「じゃあ誰に使ったんですか!!」
「ちょっと悪い女が彼に寄ってたから」
「お巡りさん早く来てーー!!」
「本当、きー君に使わなくてよかったわ~」
「使う計画自体は有ったんですか…」
「冗談よ、冗談」
一体どこから何処までが冗談なのか、芽々は聞くのを止めた。
不要な真実は安全を脅かすのだ。
「まあ忘れてもらうといっても、ずっとじゃないわよ~。
そうねえ…めどが立つまで多分、精々一年くらいね~。
あたしが憑いてる間の記憶も丸々のこってるし、たまに身体を借りるけど、主導権は芽々ちゃんにあるから、嫌ならちゃんと拒否も出来るわよ~」
そうして、鴉子は自分の考える大まかな方針や、その方法などを芽々に説明した。
「はぁ、まあ鴉子さんに関してボクは『そこに居るけど居ない者として扱う』感じになるわけですね」
「そうそう、良い子ね~のみこみが良くて助かるわ~」
「でもそれ、問題があると思うんですけどね」
「問題ってなにかしら~?」
「いや、だって…催眠術ですよ? ぷぷぷ」
もう、可笑しくて仕方が無い。といった様子の芽々。
さっきまで目の前のヤンデレストーカーにビビりまくっていたのが、嘘の様な切り替えの速さだ。
「催眠術なんて、そんなものボクが掛かるわけ無いじゃないですかーハハハ!」
「そお? お姉さん結構自信あるのだけれど~」
「アハハ!! まあそこまで言うなら、かけられてあげなくもないですけどね。
ぜったいに無駄になると思いますよ??」
慎ましい身体を大きく反らせる芽々。ドヤ顔ここに極まれりである。
「さあ、さっさと催眠術とやらを拝ませてくださいよ!!」
「…よくわからないけど、いいわよ~。
そえじゃあ、この舞い落ちる羽根をよく見てちょうだい。
あなたはだんだん~眠くなる~」
「くかー」
「はやいわね!?」
やはり駄目だったようだ。
◇
薄暗い観光バスの中、夢から覚めた星野芽々は、倒したリクライニングの座席から勢いよく跳び起きた。
「――思い…出した!」