妹
一行は、俊樹の住むマンションを出てから、徒歩で運動公園にやって来た。
「なゆさんは、本当にメイドのままで来たんですねー」
「今は仕事中でする、脱ぐのはなぁのポリシーに反するでするよ」
妙なプロ意識を持つ那由だが、公園にぽつんとメイドが居れば目立つ。
それを全く意に介さない那由を見ながら、意外に彼女の精神は太いなと思う俊樹。
そんな事を考えていると、何やら険しい表情の咲良と絢歌が目に入る。
「どうした二人とも、何か浮かない顔をしているが」
「…ちょっとうちら、個人的な悩みがあってね」
「ん、重大な懸念事項が有る」
普段と変わらない芽々と那由に対して、難しい表情を見せている絢歌と咲良。
彼女達が考えているのは、もちろん今後の那由に対する対応についてだった。
「現状、此処にいるうちらで那由に対抗出来るのは、芽々だけよね…」
「アヤ、あの子はちょっと、むり……」
物怖じしない那由との相性が悪い咲良と、それ以上に相容れない絢歌。
【乙女協定】は結ばれたが、彼女が夏休みの旅行中に何をするかは分からない。
芽々だけで彼女を監視するには、心許無いと考えていた二人。
一方で、メイド服姿のままでやって来た那由の方も、表面上いつも通り振舞いながらも、先の事に思考を巡らせていた。
(俊樹さんの妹さんだし、きっと頭の固い真面目ちゃんでする。
しかも所詮同い年の中学生でする、簡単に味方に引き込めるでするね、ふふ…)
実際、同年代のクラスメイト達では彼女の相手になるものはおらず、その地位を確立している彼女。
普通であれば、その認識は間違ってはいなかった。
「えへへ、俊樹さんの妹さんに会うの、楽しみでする〜」
「花は田舎での生活しか知らないからな、友人になって色々教えてくれると助かる」
「もちろんでする〜、なぁも新しいお友達できるの楽しみでするよ〜」
そして久しく会っていない妹と逢える為か、幾分そわそわとする俊樹に、いつもの調子で芽々が話し掛ける。
「それで、としきさん。なんでまた公園で待ち合わせなんですかね?」
「いや、久し振りに会うからな…屋内や狭い場所だと迷惑が掛かるし、危ないかもしれん」
「あ、なんかボク、その情報だけでオチが少し見えてきましたよ」
那由は楽観視しているが、なにせ俊樹の妹、一筋縄でいくはずがない。
トラブルの気配を感じ、密かにニヤニヤと笑う芽々だった。
◇
「……来たぞ」
俊樹の声で、一同はその視線の先に注目する。
まだ大分距離はあるが、一人の少女が俊樹を見つけ、大きく手を振りながら跳ねている。
「ああ…あのウエストポーチ付けた子? なんか活発な感じね」
「うん、体育会系? かわいいけど、元気そうな、女の子」
「ボーイッシュでするね…あれ? ポーチ以外の荷物、持って無いでする?」
「…いや、何か凄い勢いでこっちにきますよ?」
俊樹を見つけて、砂煙を上げて走り寄って来る少女。
ノースリーブスにショートパンツ姿で、腰のベルトには左右と正面にポーチが付いている。
後ろに一本下げた、サソリの尻尾の如く伸びた三つ編みが見えなければ、男の子に見えるかもしれない。
髪の根元には、セーラー服に使う赤いスカーフが括りつけられており、同じ物が右足にも巻かれていた。
「いかんな、お前達は離れろ…早く! 違うもっとだ!!!」
「あれ、ちょっと遠近感おかしくなったかな?」
「さらちゃ、すぐこっち来て巻き込まれる」
「ちょっと、あの子おっきくないでする、か……?」
「ぶはは!! ぶははハハハハハ!!」
全員が避難し終わると同時に、まだ大分距離が開いていた筈の少女は、すでに俊樹の目前まで迫っていた。
俊樹より”10cmは背の高い”彼女は、勢いを殺さず歓喜の声を上げながら飛びついて来た。
「おーーーーにいちゃぁーーーーーーーん!!!!!」
「おおおおお!! 花少し落ち着けっ!!!!」
やたらテンションの高い少女と、今まで聞いた事も無い悲鳴を上げる俊樹。
飛びついた彼女は俊樹の両脇に腕を廻して抱え上げると、そのままジャイアントスイングの様にぐるぐる回し始める。
遠心力で俊樹の右足のクツが吹っ飛び、メガネがズレた。
「花!! はーなーーー話を聞きなさい!!!」
「おーーーにぃちゃんだぁぁぁぁぁぁぁわぁぁぁぁい!!!」
さらに回転数が上がり、残された左足のクツも吹っ飛んでいく。
呆気に取られる女子一同を余所に、俊樹を使用したフルスイングは、彼女が落ち着くまで続けられた。
◇
ズレたメガネを直しつつ、怒られてしょんぼりする妹の肩を借りながら靴を履く俊樹。
「…靴を拾ってくれてありがとう…アヤさん、咲良」
「ああ、いやまあ、あたしは良いんだけど」
「ん、トシ君、その子が…?」
「ああ、そうだな…花、皆さんに自己紹介しなさい」
そう促され、それまで落ち込んでいた少女は、ぱぁっと顔を明るくさせる。
あどけない顔つきだが、俊樹に似た凛々しい眉。
引き締まってはいるが女の子らしさも見える身体つき、高校生級の身長と小学生男子の雰囲気を併せ持つ、アンバランスな少女だった。
その彼女が、やたらキレのあるポーズを交えながら、自己紹介を始める。
「はーい!! アタイは高橋花火!! 中学2ねんせい!! です!!」
その様子を見て思う所があった芽々。
一歩前にでると花火に質問をなげかける。
「花火ちゃんよろしくですよ!
ところで、将来の夢はなんですか?」
「うん! 正義の味方!!」
「よーし、こういう子ですか」
襟足の辺りで赤いマフラーをなびかせながら、ビシッとポーズを決めて元気よく答える花火。
裏表のない、男子小学生の様な思考回路を持つ彼女の本質を、芽々は一瞬で見極めていた。そして必死に笑いをこらえていた。
「少しお転婆なのが悩みだがな、可愛い妹だろう」
「えへへ、お兄ちゃんだいすき!!」
冗談ではないかと思えるほど、かつてない穏やかな表情を浮かべる俊樹。
無邪気に甘える花火は、中学生というより小学校高学年に近い――その身長差が無ければ。
彼女に続く様に、残りの女子高生2人組もそれぞれ、花火と自己紹介を交わしていく。
「花火ちゃんて言うの、カワイイ名前ね。
それに背高いのね、いま何cmか教えてもらっていい?」
「はい! アタイ今、180cmです!!」
「おっきい、素直でいい子、カワイイ…ふふ」
早くも打ち解け始めている3人。
一方で、那由は頭を抱えていた。
「ふぇぇ…や、やばい…アレは、なぁの苦手なタイプでする……」
真面目な委員長タイプの人物像を想定していた那由は、意表を突いた花火のキャラに、早くも手詰まりの様相だった。
体育会系で体力にまかせて突っ走り、細かい事を気に掛けない、腹芸や駆け引きの成立しない相手は、那由の天敵であった。
そんな彼女の考えをつゆ知らず、俊樹は花火と那由に声をかける。
「花、こちらは”菱方那由”さん。
編入先の中学校に通う、花と同い年の子だ。
花の事を話したら、友人になってくれると言ってな。
今日はわざわざ来てくれたのだ、よかったな」
「ふぇぇ!? あぁぁぁそそそ、そうでするよぉぉぉよろしくおねがいしますでするるる」
考え込んでいる最中に話を振られ、盛大に挙動をブレさせる那由。
それでもぎこちなく作り笑いを浮かべる彼女と、きょとんとした目で見つめる花火。
二人が暫し見つめ合う、不思議な時間が流れた。
◇
「ともだち……」
「と、友達、でするよ……?」
あまり内容を飲み込めていない様子だった花火だが、その言葉を改めて聞くと、ぱあっと顔を明るくさせた。
「わぁ! はじめてのともだちだぁ!!!」
「……え? 初めてって…どういうことでする?」
「じーちゃんの田舎、お兄ちゃんしか年の近い子居なかった。
お兄ちゃんが都会に行ってから、アタイずっと独りで遊んでたから」
「ああ、そういう事でするか……」
元々人口の少ない山間の田舎、分校に通う生徒も俊樹と花火だけで、その分校も花火が転校する事で、休校する事になっている。
他に誰も居ない小さな分校で、独り寂しく勉強をしていた花火を想像し、少し同情的になる那由。
「だから、なゆちゃんが初めてのともだち!! うれしいなぁ!!」
「そ、そうでするか…初めて…う、うふふ。
な、なぁも花火ちゃんと友達になれて、嬉しいでするよ……?」
「ホント! わぁい!! なゆちゃん大好き!!」
「え、ふぇぇぇぇ!?」
勢いよく那由に抱きつく花火。
身長差が有るために抱え込むような形になり、少しほこりっぽい胸に那由の顔が埋まる。
彼女のメイド服が着崩れ、メガネはずり下がった。
そのまま那由が顔を上げると、すぐ近くに花火の満開の笑顔があった。
「えへへ、なゆちゃんだーいすき!!」
その瞬間、那由の中にあった何かが、ぷつりと切れた。
そっと花火を押しのけて身体を離すと、メイド服をととのえながら深呼吸して気を落ち着かせる。
「…友達っていっても、そっちだけ”初めて”なんて不公平でする。
それに、なぁはそんなので満足する、器の小さいオンナじゃないでするよ……。
そう! 花火ちゃんは今日から、なぁの初めての”親友”でする!!
これでお互い”初めて”で、平等でするよ!!!」
普段那由が見せない、やけくそ気味な宣言を目の当たりにし、一瞬固まる一同。
すると、那由の目の前にいる花火が、大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら泣き始めた。
突然嗚咽を漏らす花火を目前にして、困惑する那由。
「ふぇ? ちょ、どうしたでするか!?」
「えぇぇぇぇぇぇん!! うれしいよぉぉぉぉ!!
じーちゃんが『都会の人間はずる賢いから騙されない様に』って言ってたけど、みんなやさしい人ばっかりだよぉぉぉ!!」
「ははは、違うぞ花、那由が特別良い子なだけだ」
その瞬間、那由の中にあった何か太いものが、ブッツリと千切れた。
「ああーーーもう!! 何なんでするか!!
もう!! もう!! もう!! もう!!!
こいつらときたら!!
ずっと好きでした!!!
もう何言ってもずっと一生離れないでするよ!!
裏切ったら承知しないでするよ!!
勝手にどっかいったらゆるさないでするからね!!!」
「うぇぇぇぇぇん!! アタイとなゆちゃんはずっと親友だよーーー!!!
」
「ふぇぇぇ!? ちょ、ちょっと待ってドコに連れて行きまするかぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
お互いにしっかりと抱きしめあっていたかと思えば、感極まった花火が那由を抱え、そのまま何処かに走り去っていく。
こうなると実の妹を止める手立てはない事を知っている俊樹は、花火に親友が出来たことを喜びながら、後で説教しなければと心のメモに書き留める。
ふと傍にいる咲良と絢歌が目に入る。
彼女達は先程までと打って変わり、憑き物が落ちたような清々しい顔つきを見せていた。
「二人とも、やけにさっぱりした顔をしているが…悩みがあるとか言っていなかったか」
「何いってんのよ、その事ならもう解決したわ」
「トシ君の情報は古い、それじゃ女子の流行に、ついていけない」
全く意味が分からない俊樹だったが、女子の考える事だし、そういうものなのだろうと無理に自分を納得させる。
すでに豆粒ほどにしか見えない程遠くまで行った那由と花火を見守りながら、微笑ましい想いに包まれる俊樹だった。