デート
放課後、俊樹は絢歌と咲良に連れられて、何故か保健室に居た。
「…そこまで悪くなっているのか?」
「トシ君、残念だけど…現実を見なきゃ、ダメ」
俊樹の前には、切れた輪っかの様な記号が並んだ、視力表が置かれていた。
今しがた測定した視力が、以前よりも悪化していた事に落ち込む俊樹。
だが、そこに絢歌は更に追い打ちをかける。
「それに、この放射状の線…縦の線が、濃く視えるのは…乱視も入ってる、と思う」
「…乱視? 近視ではないのか?」
「うん、眼球が歪んでると、ダブったりボケたりして、ちゃんと見えない。
つまり、トシ君は……物の視方が、歪んでる」
「モノの、見方が、歪んでいるだと……?」
「俊樹、あんた性格だけじゃなく視力まで……」
思わずツッコんだ咲良の言葉に、ガックリと項垂れる俊樹。
あ、言っちゃったー。という表情の咲良を余所に落ち込む俊樹。
その肩に、慰める様に手を置く絢歌は、耳元で優しく話し掛ける。
「だから、ね。今度の休みに…アヤと一緒に、眼鏡…買いに行こ?」
◇
休日、街を歩く俊樹と絢歌の姿があった。
俊樹は、何時ものスラックスに半袖のボタンダウンシャツ。夏休みも近づいて気温も上がって来ており、少し暑い。
絢歌も、以前見た私服と似たようなデザインのスキニーパンツ、上は少し肩を見せる涼し気なデザインの服だった。
高校生にしては大人びた雰囲気の二人は、手をつないだりしている訳ではないが、程よい距離感で歩く。
落ち着いた雰囲気が、周囲には大学生位のカップルに見せていた。
「しかしアヤさん、眼鏡を買うのにわざわざこんな街中に来なくても…近所の量販店で良かったと思うのだが」
「それじゃダメ、眼鏡だって…オシャレアイテム。
それに、トシ君、人相悪くなるから掛けたくない、って言ってた。
なら、デザインは…大事」
言われると反論の余地が無い俊樹。
ちなみに、レンズの度数などは前日に眼科で測って調べて貰っているので、後はデザインなどで選ぶだけだ。
乱視の為に今まで正確に視力を測れていなかったのか、測定結果が思ったより悪くなっていたのがショックな俊樹だった。
「又、掛けなきゃならんのか……」
「ん、トシ君何か言った?」
「ああ、いや何でもない」
思わず考えが言葉に出てしまい、少し慌てる。
【高校生】としての生活にも慣れてきた為か、どうも気が緩んでいるな、と気持ちを引き締める俊樹だった。
◇
「ここまでは順調ですわね」
以前、絢歌をショッピングモールで監視する時にも使われたワゴン車の中で、今日は華凛と芽々の二人だけがモニターを見ていた。
咲良は、「女の約束だから」と今回は一切関わらないと決めたらしい。
まあ、しつこいくらいに絢歌に対し「後で結果を教えなさいよ!」と言っていたので、気にはなっているのだろう。
「それにしても、あやさんは今回うまいことやりましたね!」
そう言う芽々だが、俊樹の視力について、さり気なく絢歌に気が付かせたのは芽々――鴉子なのだが。
前世でも今ぐらいに眼が悪くなり、眼鏡を掛ける様になった。
その時には、鴉子が付き添って眼鏡を選んだのだった。
そう、この【眼鏡デート】は前世で鴉子が俊樹と付き合うきっかけになったイベントでもあった。
あまりに警戒心なく絢歌の提案にのった俊樹をみていると、すっかり忘れている様で面白くなかったが、40代にもなれば高校時代の事を鮮明に覚えているのも難しいのだろう。
ともあれ、こうして俊樹の性格や行動パターンを熟知している鴉子は、これならば自分の思い通りにシナリオを進められそうだと、内心でほくそ笑む。
背格好や顔つきも、どことなく前世の俊樹と似ているなと思いながら、魂が同じだと肉体にも影響されるのかと考える彼女。
ただ、前世では鴉子の知る限り近視だけで、乱視では無かったのだが。
拗れてしまった性格の現れなのだろうかと思い、ガッカリする彼女。
とにかく、この計画が上手く行けば、俊樹と絢歌の仲は大きく進展する筈だと考える鴉子。
だが、この手は”一回限りしか使えない”、ある意味裏技。
その一度のチャンスの為に、わざわざ絢歌から咲良に釘を刺して、今回ばかりは邪魔をさせない様仕向けたのだから。
「この、【雛鳥作戦】が上手くいけば……」
「ん? 星野さん何かおっしゃいまして?」
「お腹がすきましたねーっていいました!」
思わず漏れ出た鴉子の言葉だが、芽々本人はその自覚は無い。
何も無かったかのように振舞うと、自分のバッグからチョコ菓子を取り出し食べ始める。
その様子に疑問も持たず、「よく食べますわねぇ」とため息をつきながら、再びモニターを見つめる華凛だった。
◇
目的の店に着いた俊樹達。
彼自身のイメージにある眼鏡屋よりカジュアルな雰囲気に腰が引けたが、絢歌に押される様に店内に入る。
眼科から貰った眼鏡の処方箋を見せると、レンズの在庫が有るのでフレームが決まれば30分程で仕上がるらしい。
こういうのは大体1・2日掛かるものだと思って居た俊樹は驚いたが、加工する機械も日々進歩してるのだろう。
それに若い人はせっかちだ、サービスを向上させなければ生き残れないのだろうと納得する。
商品を選ぶ最中、二人に声を掛けてきた若い女性の店員を、「結構です」ときっぱりした口調で追い払った絢歌に、女性の強さを感じる俊樹だった。
「トシ君、アヤも…掛けてみた」
そう言いながら、赤いセルフレームを掛けて上目遣いに顔を近づける絢歌。
やや近すぎる距離は、恐らくよく見えないだろうと気を使っての事なのだろうが、流石にそこまで距離を詰められると女性として意識し、どきりとする。
「いや、似合うが…アヤさんは別に必要ないだろう」
「もうすぐ夏、紫外線カット、いいかなって」
誤魔化す様に話す俊樹に、答える絢歌。
透明だが、紫外線をカットできるレンズを入れる事も出来るらしい。
ふと、カラフルなフレームの中に、金色の四角いメタルフレームの商品を見つける俊樹。
最初に買った眼鏡が同じ様なデザインだった事も有り、前世では同じ様なフレームばかり掛けていたなと懐かしく感じながら掛けてみる。
「やはり、こういうデザインが一番違和感が無いな」
ややインテリっぽいデザインのそれを掛けてみて、どうも人相が悪いのはどうしようもないか、などと自嘲する俊樹。
うっすらと、前世の妻が確か「鬼畜っぽくてステキ!」などと意味の解らない事を言っていた事を思い出して、少し苦笑いする。
だが、不意に掛けていたフレームを絢歌に奪われる。
「トシ君、こういうのより、もっとカワイイのが良い」
この、【カワイイ】という便利ワードを女子が使う時は、大抵碌な目に遭わないと身構える俊樹。
案の定、その後たっぷり時間を掛けて、店中のフレームを試す勢いで”着せ替え”させられる俊樹だった。
◇
「――形状はスクエアでフルリムのフロントにはステンレスを使用してテンプルには軽量かつ柔軟性に優れた素材を使用しラバー製の耳元はセルフで調整可能の」
「…アヤさん、詳しすぎないか?」
「アヤ、勉強してきた」
勉強するなら大学受験の勉強をした方がいいのではと思う俊樹。
最終的に絢歌が薦めてきたのは、濃いブルーの落ち着いた雰囲気のフレームだった。
横からみると、テンプルにはうっすらと模様が入っている程度だが、掛けている内側に寒色系のストライプがデザインされており、シャープでありながらカジュアルなデザインに仕上がっている。
「…まあ一言で言えば、それなりに若いデザインだな」
「ん、こういうの…イヤだった?」
「いや、悪くないな」
前世で掛けていた銀色のデザインに比べると、幾分若く見えるのが気に入り、結局その青いフレームを選んだ俊樹だった。
◇
眼鏡の仕上がるまでの間、店内で待つことにした二人。
そういえば、この後の予定を詳しく話していなかったなと思い、絢歌に話を振る俊樹。
「どこかで、お昼ご飯にしてから…身体を動かす」
「飯は分かるが、カラダ……?」
イマイチ言葉の足りない絢歌に再度問いかけると、近くにある屋内型のアミューズメント施設に行こうという話らしい。
ビルの中にボーリング場やバッティングセンター、ダーツなどの運動設備が整っている、有名な全国チェーンの店舗だ。
「私は、あまり運動が得意ではない。はっきり言ってアヤさんの相手にはならないと思うが」
「ううん、眼鏡の慣らしが、必要」
「ああ、そういう事か……」
あのアミューズメント施設には、素人でもすぐ出来る様な激しい運動を伴わない設備も多い。
ボーリングなどは、怪我の心配も少なく手軽に眼鏡に慣れるにはうってつけかもしれないと思い、納得する俊樹。
「しかし、本格的にデートだなこれは……」
「トシ君、イヤ、だった……?」
「ああ、すまないそういう訳ではないんだ」
以前、咲良と買い物に行ったりもしたが、あの時はデートという感じではなかった。
だが、今日は流石にデートだろう。それは俊樹でも分かる。
そんな風に高校生らしい日常を、再び送っている事に少し感慨深くなっていたのだった。
「アヤさんには感謝しているからな、今日は私が…デート代を持とう」
「ふふ…うれし……」
空気を読んだ俊樹の、あえて使った”デート”という言葉に反応し、嬉しさで少し舌足らずな口調になる絢歌。
今更ながら照れ臭くなり頭を掻いていると、仕上がりを知らせにベテランらしい30代位の女性店員さんがやってきた。
「はい、じゃあ掛けて見て下さいね。当たって痛い所は無いですか?
彼女さんの方も大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「いや、彼女は学校の先輩で――」
ベテランの話術か女性社会の処世術なのか、短時間で根掘り葉掘り白状させられる俊樹。
「あら、まだ付き合ってないのね。駄目よーのんびりしてたらこんな綺麗な彼女、すぐ他の男に取られちゃうんだから。
それに彼女が3年生じゃ、卒業まで時間も無いじゃないの。
こういう時は男の子が頑張らないとね」
「うん、お姉さんもっと言って下さい」
「いや、アヤさん……」
言いたい事だけ言うと空気を読んだのか、ごゆっくりと言いたげに離れていくベテラン定員さん。
折角だから眼鏡は掛けて行くと言うと、初めてなら少し店内で慣らしてからの方が良いですよと言われたのだ。
初めてどころか、前世では二・三十年は掛けていたのだが、眼科で乱視のレンズは特殊なので慣れない人もいると言われたのを思い出し、少し掛けて時間を置くかと思い直す俊樹。
「どう…トシ君、ちゃんと見える?」
「そうだな、やはりよく見える――」
言われて隣に座る絢歌を見た俊樹は、予期せず心臓が跳ね上がった。
きちんと纏められたポニーテールの髪は、根元の鮮やかなブルーのシュシュが良いアクセントになっている。
前髪から覗く眉は細く、瞳はつり目がちだが大きめの黒目が潤んで見えて、それが彼女を儚げな雰囲気にしている。
薄い唇と細い顎の小さめな顔に、あまり化粧っ気のない肌はきめ細かくて、見ていると吸い込まれそうになった。
うなじと同じように白い肩と、開いた襟元から見える鎖骨にどきりとさせられた。
『これで大分はっきりと見える様になりますよ』と言っていた、眼科医の言葉を思い出す俊樹。
そんな彼の内心を察しているのかは分からないが、今しがた自分の購入した、同じデザインで赤いフレームを手に取る絢歌。
慣れない様子で掛ける彼女が、少しはにかむ様子が今はよく分かる。
掛けた眼鏡を両手で軽く押さえながら、上目遣いに話しかけてくる絢歌。
「ふふ……トシ君とお揃い、だよ?」
「ああ………よく似合って、いる……」
思わず「綺麗だ」と言いそうになった言葉は何とか飲み込むと、火照った顔を悟られまいと、なるべく自然を装って視線を外す俊樹。
まずい、非常にまずい。
この状態のまま今日一日一緒に過ごすのはまずい、時間を置かなくては。
そう思いながら何とか早く帰る言い訳を考えるが、そういえば既にアミューズメント施設に行く約束をしてしまった事を思い出す。
自身の失策に内心で自分を責めていると、隣で空気が動く気配。
しまったと思ったがもう遅い、絢歌が距離を詰めて来たのだ。
「ねえ、トシ君……」
身体には触れていない、しかし吐息がかかるほどの距離まで顔を近づけた彼女は、そのまま俊樹の耳元で囁く。
「今……アヤに、ドキドキってした?」
疑問形では有るが、どこか確信めいた口調の絢歌に、俊樹の血の気がさーっと引く。
間違いない、感づかれた。
かつて、鴉子が俊樹を陥落させ、その”ファーストキス”を奪った作戦。
――【雛鳥作戦】が、長い年月と時空を超え、再び俊樹を襲う!!
活動報告で、学校名の投票を行っています。
宜しければ、ご協力いただければ嬉しいです。