それぞれの思惑
「えへへ、来ちゃった♪」
「”来ちゃった”じゃない……」
約束の時間より大分早い時間、案の定彼は何の準備も出来ていない。
玄関先に立つ彼。私服には着替え終わっていたが、不機嫌そうな顔で頭には寝癖が目立つ。
「いーじゃない、早く行って色々見たいし」
「…予定ではそんな事、話して無いだろうが」
「もうっ! 恋人同士になって初めてのデートなんだから、もっと楽しそうにしてよね!」
「…別に、付き合う前も一緒に買い物くらいした事あるだろう」
言いながらも、頬を染めて少し照れ臭そうにする彼。
恋人っていうのは魔法の言葉、それだけで二人の関係が今までと違う、ドキドキしたもになる。
「きー君は乙女心をもっと理解すべきよねー」
「うるさいな…俺も準備するから、少しまっててくれ」
何処か浮足立った彼の様子から、渋々といった口調は照れ隠しだって分かる。
トレードマークの眼鏡は、眼つきの悪い人相を少し隠してくれるけど、あたしは素顔も好き。
「…それで今日は映画を見るんだったな。
原作は面白かったが、少し内容が変わってるのだっけか?」
「さー? あのね、あの映画の主題歌が凄く良いのよ!!」
「鴉子、お前そんな理由で映画を見たがったのか……」
「いいから、ほら行きましょー!」
言いながら強引に彼の腕をとる。
まだ恋人同士のやり取りに慣れていない彼は、少しよろめいて照れた表情をあたしに向けた。
「いや、あのな! 近所の人に見られるだろうが!」
「いーじゃないの。それとも、見られたら困る女でもいるの……?」
「ひっ!? い、いや居ないけど…歩きにくいだろ!」
「照れちゃってー、これからもっとえっちな事もする様になるんだから、慣れていかないとダメよー?」
「だから声を抑えろ! 俺のご近所付き合いがやりにくくなる…ああ、もう行くぞ!」
「はいはーい」
◇
【放送委員会】の、くたびれたパソコンの前に座る少女、星野芽々。
施錠され、彼女以外誰も居ない室内で、先程から一人でモニターに向けて話し掛ける姿は、見る者が居れば異様に映る事だろう。
「――とまあ、そんな甘酸っぱい青春時代もあったのよ、あたしたちも。
芽々ちゃん聞いてる? 聞いてる訳無いわよねー聞いてたら困るし」
”いつも通り”に淹れたコーヒーのマグカップを傾けながらモニターに話しかけるのは、芽々自身だった。
だが、口調は普段の彼女とはまるで別人。
電源の落ちたモニターには、鏡の様に反射する彼女自身しか映していなかった。
「お砂糖が少なくなってきたわねー、それに誰かポットの温度上げたのかしら、ちょっと熱いわ…まったくもうっ。
しかしねえ、まさかあの子までこっちに来てるなんて、びっくりしたわねー。
あの子も鴉の式神を使って、こっちに来たのかしら? まあ来ちゃったものは考えてもしょうがないわよねー。
”母親”のやる事を邪魔しようとしてるのは、感心しないけれど。
そういえば、最初にここで”前世と同じに”淹れてあげた、きー君のコーヒーを捨てたのもあの子だったわねー、泣く程喜んでたのにねー……余計な事を。
でも、上手くやったわねーお金持ちのご令嬢に生まれ変わるなんて。
まーそれもどうでもいいわね。
【転生者】を探してるみたいだけれども、そのお陰であたしに気が付かなかったのかしら?
あーでも、あの胡散臭い坊主が手を抜いたのかしら。
んー、どっちにしてもお馬鹿よねー、【転生】なんて不確実な事する訳ないじゃない。
俊樹の傍に、運よく生まれるかなんて分かんないのに。
そんな事しなくても……きー君の傍で彼が好きになりそうな女子が出来たら、その子に憑りついてしまう方が確実なのにねー」
モニターには相変わらず電源は入っていない筈だった。
だがそこには、何時の間にか黒髪の少女の姿が、うっすらと浮かび上がっていた。
胸から上しか見えないが、肩より長い黒髪はクセがあるのか、やや扇状に広がっている。
切りそろえた前髪で隠れ気味の顔には、瞳が存在する筈の場所には、ぽっかりと穴の空いた様に闇があるだけ。
「まー、先手を取れたのは良かったわねー。
これも芽々ちゃんのお陰ねー本当に良い子ね。
でも、見つかるのも面倒だしー暫くは引っ込んで、大人しくする方が良いわねー。
まだ高校生活は始まったばかりだし、絢歌ちゃんと咲良ちゃんがダメなら、他の女の子を探せばいいダケなんだから。
出来れば推しの絢歌ちゃんに決まればいいんだけどねー、あの子はお家が神社だったり、ちょっとだけあたしと似通った所あるから、いいと思うのよねー。
でもまあ、慌てる事も無いわね。どうせこっちから派手に動かない限り、見つかるワケないんだし、ねー?
は、はははは! あははははははは!! アッアッアガー!!!」
カラスの鳴き声を思わせる音で、モニターの中の少女が嗤い出す。
少し遅れて、星野芽々も嗤い始めた
不快な音が【放送室】に響き渡ると、モニターの画面から大量の鴉の羽が噴出する。芽々の口からも黒い羽が噴き出し、室内が何も見えない程の黒で染まる。
星野芽々に自覚は無い、彼女自身はいつも通りの高校生活をしており、その行動はすべて自分の意思によるものだと認識させられていた。
そうやって自覚なく、今まで鴉子の思惑に沿う様に動いていたのだった。
モニターの中に視える鴉子、肉体を持たずに現世にとどまる彼女を、第三者が見れば恐らくはこう表現するだろう。
――悪霊、と。
◇
放課後の相撲部、校長としての職務で時間が限られる中でも、顧問として欠かさず指導を続ける不動。
それでもこうして身体を動かし汗を流すのは、忙しい中で気分転換するには丁度良い機会だった。
「不動先生! 今日も胸をお借りしますばい!!」
「ハハハ、いつでもかかってきなさい!!」
土俵の上で対峙するのは、期待の新入部員である小西君。
そして、マワシを締める時間が勿体ないからと、毎回フンドシ姿で土俵に上がる不動明夫校長だった。
「うおおおおおおおお!!」
「ハハハ! 勢いが足りないなぁ、もっと腰を落として!!」
「ハハハ! 相変わらずタイヤの様に分厚い筋肉ですばい!!」
「鍛えているからね、さあ遠慮せず頭からきなさい!!」
「もちろんですばい!!」
「おお! 今のは良いぶちかましだ!!」
「ハハハハ!!!」
「ハハハハ!!!」
土俵上の熱気は、暫く冷める事は無かった。
◇
運動部で使われるシャワー室で、その逞しい身体に付いた汗と砂を洗い流す、不動明夫校長。
火照った身体が清められたのを確認し、タオルで身体を拭きながら備え付けのベンチに腰掛け、一人物思いにふける。
「…どうも、少し疑われていますかね。
心外ですねぇ、嘘は言っていないのですが…ええ、【転生者】は居ませんよ。
アレは【転生者】では有りませんからね、まあ詳しくは拙僧も分かりませんが」
そうして思い出すのは、中学生ほどに幼く見える少女――星野芽々。
何かに憑かれているらしい、そこまでは分かる。
「…人の魂であれば分かるのですが、あれは霊媒師辺りの専門でしょうね。
まあ、折角見逃してあげたのですから、上手に引っ掻き回して…拙僧が彼に近づく隙を、作ってくれると良いのですが」
そうして、彼――俊樹の事を思い浮かべる不動。
その恍惚とした表情は、彼と付き合いのある人間でも見た事が無い顔だった。
「あんな訳のわからないモノや、上辺だけの紛い物でしかない華凛お嬢様とは違いますよね。
彼の、本物の【転生】した魂の燃える色……あの、美しい色……」
【転生者】という存在については、世間一般では知られていない。
だが、不動の様なその道の人間で、ごく限られた者には認知されていた。
それでも実物を視たのは初めてであり、不動の周りにも今まで実際に見た者は居なかった。
それを、初めて目の当たりにした時以来、彼はすっかりその魂に魅入られていたのだった。
「普段から視れないのが残念でなりません…拙僧でも、何も準備無しでは視えませんからね……僕以上の術者は居ませんが、今更ながら修行不足を後悔してますよ、もっと高みを目指しておけばよかったと。
ああ、出来ればずっと彼の魂を視ていたい…そして直にこの手で、僕自身の魂で触れてみたい……」
気が付くと、収まっていた筈の熱が肉体の内側から溢れ出し、火照った身体から蒸気の様に汗が立ち上っていた。
「ああ、いけないいけない…又煩悩が溢れてしまった」
湧き上がる熱と欲望を抑え込む為に、再びシャワールームに飛び込むと、その全身に冷水を浴びる不動。
冷えた水を浴びながらも、その熱は中々収まらない。
「全く、拙僧をこの様にしてしまうとは……いけないなぁ、俊樹君」
身を沈めようと冷水を浴び続けるが、その口元のゆるみは一向に収まらない。
歪めた口のまま、不動は降り注ぐ水粒の中で呟く。
「ああ、俊樹君…本当に本当に、キミという生徒は…いけない子だ……」




