愛の重さ
――して
――どうして。
――どうして、置いていったの!?
――何故何も言わないのよ!!
――あたしは……。
――あたしは絶対に、貴方を許さない!
◇
「――俊樹? ちょっと大丈夫!?」
「――トシ君、起きた……?」
身体を揺さぶられて、俊樹の意識は覚醒した。
目の前には、咲良と絢歌の顔がすぐ近くまで迫っており、一歩引いた場所に居た華凛が、不安そうな表情を浮かべている。
「俊樹さま、大丈夫…ですの? 今、何処にいるかお分かりになりまして?」
「ああ、ここは……【風紀委員会】か」
見覚えのある室内の風景に、安堵する俊樹。
先程、咲良と絢歌がやり合った痴話喧嘩の殺気にあてられ、目を回していたのかと思う。
今までも何度か、疲労などで極限状態の時に前世での記憶がフラッシュバックする事があった。
ここ最近は頻度が高い、そんな風に考えていた俊樹。
今の彼女は…恐らくは娘の方なのだろう、と思い悩む。
「……相変わらず名前は思い出せない、か」
思わず、考えるまま独り言が漏れる。
華凛の肩が、少しだけ震えた事には、俊樹は気が付かなかった。
◇
ぐったりと再起不能の翔太達3人を、やや雑にソファに並べて座らせた後。
華凛は一同を見回すと、おもむろに話し始めた。
「…まあ、皆さん落ち着く時間が必要ですわね」
言いながら、深いため息をつく華凛。
取り出したいつもの胃薬をボリボリとかじり飲み込むと、気まずそうに下を向く二人の3年女子を、白い目で見る。
普段に比べると冷淡な口調で、露骨に非難する様に言葉を続ける華凛。
「全く、現【風紀委員】と元【生活委員】が……校内で痴話喧嘩ですって?
お二人とも、本来模範となるべき立場でありながら、何たる醜態ですか。
本当に嘆かわしいですわ」
「うう、ごめん、悪かったわ……」
「ご、ごめんなさい……」
先程までの様子が、嘘のように大人しくなった二人。
3学年でも一目置かれる彼女達を、借りてきた猫のようにさせた華凛。
それを目の当たりにした悠一たち3人も、この1年生女子は逆らってはいけないのだと一瞬で理解した。
「はぁ…あの様にあさましい姿を晒して、衆目を集めるとは。
これではとても、おと…俊樹さまの伴侶として、相応しくありませんわねっ。
もう少し女性として、慎み深さを見せて頂きたいものですわっ」
「あ、うん、何かアンタ、ノリがおかしくない?」
「……お姑さん、みたい」
「気のせいですわ。あくまで【風紀委員会 副委員長】としての義務感からの発言でしてよ」
【風紀委員】としての発言のワリには、俊樹に関する事にしか言及していないのだが。
疑問に思う面々だったが、怒られている立場上ツッコミし難い咲良と絢歌。
そんな女子3人をよそに、俊樹は沼の様に重たい空気から解放された今の状況を維持すべく、何か話題を変えようと必死に考える。
「そういえば、此処まで翔太達に付き添ってもらった、先輩方はどうするのだ?
このまま、引き留めておく理由も無いだろう」
「あら、それもそうですわね」
すっかりその存在を失念していた事に、申し訳なさそうな顔で悠一達3人に顔を向ける華凛。
此処まで翔太達を連れてきてくれた事に、感謝の言葉を伝える華凛を見ながら、ふと考える悠一。
悠一達3人の問題も、咲良と絢歌の泥沼の痴話喧嘩で流れてしまっていたが、何も解決していない。
いっそこのまま、【風紀委員会】に相談してしまうのが良いのではと思ったのだ。
【風紀委員会】といえば、相談したカップルの多くが破局する【別れさせ屋】と噂されているのは知っていた。
だが、精神的に病んでしまったと思われる美夜子を、このまま何もせず放置も出来ない上に、先程と同じ状況になれば悠一には説得する自信もない。
なりふり構っている状況ではない、と思ったのだ。
何より、目の前にいる華凛は、居合わせた全生徒がドン引きするほどの殺気をまき散らしていた二人の女子を、ここまで大人しくさせることが出来る人物。
美夜子が下手な気を起こそうとしても、華凛ならば止めてくれるだろう、という期待があった。
ならば、ここで彼女ら【風紀委員会】に頼るのが一番なのでは、と思ったのだ。
最悪、美夜子が大事にならなければ、愛梨と別れることになってしまっても構わないとさえ、この時の悠一は考えていた。
「あの、それでしたら…僕たち3人の事で、相談に乗って欲しいんですが」
「む…お前達も何か、訳ありと言う事か」
「恋愛の相談ですか、丁度よろしいかもしれませんね……」
相談という言葉にいち早く反応したのは、俊樹だった。
内心では、これで話題を変えられる、と考えて必死に喰い付いたのだ。
そして悠一の発言に、思わず息を呑む美夜子と愛梨。
だが、一連の騒動で一度頭が冷えていた美夜子と愛梨も、そう言われて悠一と同じような結論に至ったらしい。
特に反対する事も無く、そのまま【風紀委員会】への相談者になるのだった。
◇
「――それで、美夜子の束縛に耐えかねた悠一は彼女と別れ、愛梨と付き合い始めた。
だが、それを認めようとしない美夜子は、それなら自分はここで死んでやる、と言い始めた訳だな」
確認する俊樹の言葉に頷く3人。
「…耐え切れなかったんです。挙句に今度は別れるなら死ぬとか言い始めるし、愛が重いんですよ!」
「悠一が居ない世界なんて考えられないんだから、死ぬしかないじゃない!」
「諦めなさいよ! そうやって彼を困らせないで!」
再び言い争いになりそうな3人を宥める、俊樹と華凛。
普通の高校生であれば中々体験できない修羅場ではあった。
だが、俊樹は既に3人の認識のズレを理解し始めていた。
それを確認するために、まずは愛梨に声を掛けることにする。
「愛梨さん、例えば悠一さんが運悪く亡くなってしまったら、どうしますか?」
「え、決まってるじゃないあたしも一緒に死ぬわよ」
迷いなく即答する愛梨の発言を聞いて、衝撃を受けた様子の悠一。
やはり、若い彼はまだ認識が甘かったようだと確信する俊樹。
「いいか、悠一さん。この程度は、恋する女子なら普通だ」
「え……そ、そうなんですか?」
流石にノータイムで即答出来る女子は中々いないのだが、俊樹基準で言えば、これは”軽い方”だった。
翔太あたりが無事なら、まだツッコミがあったのだろうが、華凛も納得してしまっているので、この場で指摘する人間は居なかったのだった。
悠一も中々に”重い女子”に好かれやすいのだろうが、残念ながら相談をした俊樹達が格上過ぎた。
「それにだ、愛梨さんと美夜子さんだったか…お二人の悠一に対する想いも、言う程の事では無いな」
「…何よそれ、私が悠一を愛してないっていうの?」
「そうよ! こんなに人を好きになった事なんてないのに!?」
悠一だけなら説得するにも苦労はしないのだが、そこに女子2人も同時となると厳しい。
どうしたものかと考えていると、それまで傍観していた絢歌と咲良が動き出した。
「聞いてたけどさ…俊樹の言う通り、アンタたち二人とも甘いわよ」
「うん…アヤも、ちょっと言いたい事がある」
そういえば、咲良には以前にも周りに頼れと言われたなと思い出す俊樹。
絢歌も既に風紀委員のメンバーだ、ここは彼女達二人にお願いするのが良いだろうと思い、場を彼女達に譲る俊樹。
ずかずかと前に出てきた二人。
「アンタたち、死んだら好きな人と天国で一緒になれるとか、おめでたい事でも考えてるの?」
「悲恋気取りの花畑思考、そんなものは、貴女達の脳内にしか咲いてない、夢を見過ぎ」
「えっと、あの、そういう考えでは……」
「いや、あたしも本気で言ってる訳じゃなくて……」
時間が経ちクールダウンしていた重い系女子二人だが、美夜子と愛梨の態度に、見るに見かねたのか再び粘度を増していく。
「大体ね、本気で好きならアンタはその人の為だけに自分を使いなさいよ」
「えっと……あの、咲良先輩、どういう意味ですか?」
そんな事も分からないのか、と言わんばかりにため息をつく咲良。
「いい? 好きな人が誰を好きになるか、そんな事は関係ないの。
勿論、自分を好きになってくれるならそれが一番だけどね。
でも、誰と付き合おうが結婚しようが関係なく、本気で好きなら”彼”の役に立ちたいと思わないの?
あたしが美夜子さんと同じ立場ならまず、相手の女の素性を調べて、彼を不幸にするような女であれば排除するし。 問題ないなら応援するわよ、大学でも社会人になっても、ああ結婚式だって出る気よ? 子供が出来たら奥さん忙しいだろうし、たまにに代わってあたしが面倒みるの、可愛いにきまってるでしょ彼の血が半分流れてるのに。 もちろんその間も女の方は監視して、不貞でもするなら”退場”してもらうけど。 彼が会社でパワハラに合わない様に、上司の弱みを握るのも忘れないわ、自分で不倫するのは彼が嫌がるからしないけど、男なんて叩けばいくらでもホコリが出るものよ。 そうやって出世街道に乗ってもらって、幸福な家庭を築いてもらうの、あたしの力でね。 それであたしが幸せなのか? 当たり前の事を聞かないでよ、幸せに決まってるじゃない。
ちょっと考えただけで、好きな人の為に出来ることがこんなに沢山あるのに、死にたがってる無駄な時間なんて無いの、わかった?」
「え、ええええー?????」
目の前の先輩女子が、何か理解出来ない生き物に見える美夜子。
途中から咲良の目の色も変わり、言葉からはドロドロとタールの様な響きが伝わっていた。
「愛梨ちゃんも、間違ってる。ロミジュリに幻想持つだけの、考えの浅い女」
「……どういう事ですか、絢歌先輩」
切れ長の瞳をさらに細め、やや見下す形で愛梨を見る絢歌。
「好きな人を、亡くしたらからって、すぐに追いかけてどうするの?
アヤなら、まずやる事を終わらせる。
見送る準備は、アヤが全部やるし、他の女になんて絶対触らせない、もちろん男にもだけど。
もちろん、見送っても終わりじゃない、お墓を毎日掃除しながら、彼のやる筈だった事をアヤがやる。 彼の住んでいた部屋から、彼の行きたかった大学や会社に通って、もし子供が出来てたら一人立ちさせて、彼のご両親の老後の面倒も介護もアヤがやる。 そうやって全部終わらせたら、そのうちアヤもお婆ちゃんになって、毎日彼のお墓を管理して、ある日ぱったりと掃除中にお墓の前で、老衰で息を引き取るの。
そこまでやって、ようやく彼に、後ろめたい気持ちなく逢える。
アヤが全部やっておいたから、大丈夫って言えるの、わかった?」
「あ、え? へ?????」
話している内容は聞こえていたが、脳が理解するのを拒絶していた為に、返事が出来なかった愛梨。
余りにも次元の違う、咲良と絢歌の”恋愛観”に、押し黙るしかない美夜子と愛梨だった。
◇
【風紀委員会】を後にした悠一達3人は、俊樹に付き添われて正門から外に出た所の、校庭のすぐ傍に居た。
「ごめんなさい、私……あの程度で悠一を愛してるだなんて、おこがましかったわ」
「あたしも、自分の恋心に自信無くしちゃった……こんな気持ちじゃ、もう付き合えない」
「あ、うん分かったよ……」
喜怒哀楽を忘れたかのような真顔のまま、すっかり憑き物が落ちた様子の3人。
関係をリセットした悠一たち3人は、明日からは普通の友人に戻るという事だった。
「悠一さんも、晴れて独り身に戻れたのだ。私は良かったと思う」
「……ハハ、風紀委員長…俊樹君はポジティブだね。
いや、あの二人に好かれたら、そうなるのか……」
乾いた笑い声を漏らす悠一、最初は冗談にでも聞こえたのかもしれない。
もちろん俊樹自身は、割と本気で言っている。
「なんだろう…僕何もせずに、勝手に終わった感じするよ」
「悠一さん、男の扱いなんぞ大体そんなものです」
校庭へと降りる段差に腰かける、俊樹と悠一。
目の前では野球部の練習する熱気が、砂煙と一緒に漂っている。
少し遠くから聞こえてくる気合の入った声は、相撲部の掛け声だろう。
運動部の教師が数人居なくなってしまったので、たしか今は不動校長が相撲部の顧問をしていた筈だ。
一度、各運動部を巡回していた時に見たが、マワシ姿の小西君に、褌一丁で胸を貸す、壮年で坊主頭のイケメンマッチョを見た時には、さすがの俊樹も何とも言えない気分になった。
「悠一さんは、部活動はやってないのですか?」
「ああ、僕はパソコン部なんだけど、今日は部活は無いんだ」
大人しそうな外見だと思ったが、見た目と同じイメージの男子らしい。
ならばと、段差から立ち上がり砂を軽く払う俊樹。
「それなら、これから飯でもどうです、今日は私が持ちますよ」
「はは、何か俊樹君は後輩っぽくない感じだよね、折角だし素直に奢ってもらおうかな」
結局、その後復活して合流した翔太も含めて、3人でラーメン屋に行く俊樹達だった。
◇
緋ノ宮華凛は、いつもの屋上で物思いにふけっていた。
「何なのでしょうね…橘さんと日下部さんは。
元から、あんなに重たい女性だったのかしら……それとも俊樹さんに影響されて……」
正直ちょっとアレは無いかなー、と華凛が思い悩む程の、歪んだ愛情を持つ二人。
普通の高校生男子であれば、いくら容姿が良くても尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
だが、同時に”それでも”と思う。
「あの二人でも、母さん程では無いわよね」
恐らくは、何処かに転生して潜んでいる筈の、実の母を思い浮かべる。
「しかし、何処に潜んでいるのかしら。
もしかして来年入学するつもり?
いや、母さんがそんな悠長な事をする訳がない……」
先程の、【風紀委員会】での問答を思い起こす華凛。
重たすぎるという問題はあるが、あの二人の”想い”は本物だろう。
彼女達なら本当に、俊樹が死んでも他の男にすり寄ったりなど考えない。
死後も尽くす、その覚悟は今だ高校生の彼女達には早すぎる覚悟ではある、が。
「それでも、母さん程じゃないのよね」
心底から不愉快極まりないという表情で、彼女は呟くのだった。
「母さんは……死んで生まれ変わった後も、付きまとう程に”重い女”だもの」