邂逅
放課後、下駄箱の並ぶ正面玄関で、一つの事件が起きようとしていた。
「お、落ち着くんだ美夜子!!」
「そ、そうよ! そんな事したって何もならないでしょ!」
向かい合う3人は2年の生徒。
一組のカップルらしき男女の前には、構えたカッターナイフを手首に向ける女子生徒の姿があった。
「嫌よ、悠一…私と別れて、そんな女と付き合うなんて…理解出来ない……!!」
美夜子と呼ばれた女子は、真っ赤に血走った目を二人の男女に向けたまま、カッターの刃を音を立てて伸ばす。
「君とはもう終わったんだ! 僕が今好きなのは、愛梨なんだよ!!」
「往生際が悪いわよ! そんな事したって彼が戻ってくる訳ないじゃないの!!」
悠一と呼ばれた男子生徒は、1週間程前まで目の前の美夜子という女子生徒と付き合っていた。
だが、彼女の過度な束縛に耐えかねた悠一は、自ら別れを切り出した。
そして、昨日から愛梨と交際を始めた所だったのだ。
だが、まだ悠一を諦めきれなかった美夜子は、それを知り二人の前に立ちふさがったのだった。
「嫌よ……私が一番彼を愛してるのよ? そんな女に愛の強さでは負けないのに……何故なの?
だったら、もう生きてる意味なんてない…このまま悠一の前で散って、あなたが一生忘れられない様にしてあげる」
「だ、駄目だはやまるな!!」
「命を無駄にしちゃ駄目よ! 考えなおして!!」
騒ぎを聞きつけたのか、悠一達の周囲が騒がしくなってきた。
それを察知した悠一は、周囲に助けを求めるべく美夜子から目を離し、助けを求めるべく動き出す。
「お願いだ! 誰でもいいからたすけ……??」
よく見れば、その喧噪は彼らから離れた所に集まっていた。
何事かと廊下を走る生徒達も、みな悠一達とは全く関係ない場所に集まり注目している。
人込みに向かう生徒達の中に、クラスメイトの存在を確認した悠一は、美夜子と愛梨の事も忘れ思わず声を掛けた。
「な、なあ! 何があったんだ!?」
「ああ!? なんだ悠一かよ、いいから来てみろって!!」
そのまま級友に腕を掴まれると、引きずられる様に群衆の中に混ざってしまった悠一。
残された女子二人も、何とも言えないおいてけぼりな空気になる。
水を差された形の美夜子と愛梨も、仕方なく悠一のいるであろう野次馬達の中に入り込んでいくと、最前列に近い場所に悠一と先程の級友が一緒に居るのを見つけた。
「ちょっと悠一、何があったのよ」
「な、あんたさり気なく悠一の隣に居座らないでよ」
「二人とも静かにして、あれ見てよ……」
その騒ぎの中心に居るのは、3人の男女だった。
一人は、黒髪をポニーテールに結った、女子にしてはやや背の高い凛とした佇まい。
切れ長の瞳の整った顔立ち、和の雰囲気が似合う奥ゆかしい雰囲気の女子、橘絢歌。
もう一人は、かつて存在した【生活委員会】のトップ。
二つ結びの髪を肩に揺らし、雑誌のモデルにもスカウトされた経験があると言われる、今時のキラキラ女子、日下部咲良。
そんな二人の傍で、石膏像の如く固まって動かないのは、今や知らない者が居ないもっとも知名度の高い1年の男子生徒。
普段から険しい眼つきの眉間には、さらに力が込められており、顔全体に脂汗がびっしりと浮き上がっているのが分かる。
彼こそが入学後僅か1週間ほどで学校の悪事を暴き、不正教師達を断罪した、現【風紀委員会 委員長】高橋俊樹その人だった。
「あーあ、出会っちまいましたか」
「いや、メメどうすんだよコレ……」
やや離れた場所で呟いたのは、【放送委員長】星野芽々。
その隣には【風紀委員会】に所属する、【クレイジードラゴン】円谷龍成も居た。
「うふふ……日下部さん、少し”おはなし”しよ?」
「……アンタは、橘絢歌ね」
そこにいる全員が見ただけで判断出来る程の、子供でも分かる状況。
例えるなら『修羅場(※見本です)』と立札が書かれて展示されている様な感じだった。
俊樹はといえば、殺気立つ女子二人の圧にあてられ、身動き一つ取れずにいた。
もはや野次馬の一部と化した悠一は、困惑の表情を浮かべつつ問いかける。
「ねえ、これどうするの……?」
「え、あたしに聞かれても……」
「二人とも静かにして、始まるわよ」
先程まで自分達が修羅場を作っていた事などすっかり抜け落ちた3人は、目の前の愛憎劇を固唾を飲んで見守るのだった。
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最初に言葉を発したのは、意外にも普段は然程口数の多くない絢歌でございました。
「ねえ、日下部さんは、何故、そこに居るの?」
「何故って…どこにいたって、あたしの勝手でしょ……」
絢歌の問いかけに、咲良は己の後ろめたさを隠す様に言葉を詰まらせてしまいます。
煮え切らない態度の彼女を目の前にして、絢歌は静かに目を細めると、まるで見下す様に睨み付けました。
そうして、逃げることを許さない厳しい口調で咲良を問い詰めるのでございます。
「日下部さんは…トシ君と恋人になれなくても、いいって話、聞いた」
「…そうよ、それが悪いわけ?」
「その程度の覚悟で……何故日下部さんは、トシ君の隣にいるの?」
「……何が言いたいのよ、はっきり言いなさいよ!」
ここまで言っても判らないなんて馬鹿な女ね、と言いたげに鼻を鳴らし、絢歌は冷笑します。
そこで彼女は咲良を追い詰める言葉を、容赦なく吐き出すのでございました。
「アヤだったら、そんな事言ったら…もう恥ずかしくて、彼の隣には居れない」
「べ、別にいいじゃない! あたしは、ただ友達として付き合いたいだけだし!!」
「……この詐欺師、あなたは嘘をついている」
「うそ、なんて……ついてないし!!」
「じゃあ、これなに?」
そう言いながら絢歌が取り出したのは、咲良が俊樹に渡した金属製の水筒でございました。
そこに書かれた舶来の文字、そして唇形は、確かに咲良の俊樹に対する想いが籠められていたのです。
「こんな真似をしておいて、よくも抜け抜けと、”恋人になれなくてもいい”なんて言える…これを見れば、あなたの本心は誰だって分かる。
口では自分に都合の良い事を宣いながら、内心は全然諦めてない……あなたは、まるで”女狐”。
あなたの様な女は、トシ君にふさわしくない…だから……別れて」
「わ、別れてって…別に付き合ってる訳じゃないし。
大体、アンタだって別に俊樹と付き合ってる訳じゃないし!
判ったわ…アンタ、自分が彼女になれないからってアタシに八つ当たりしてるんでしょう!?
アンタこそ俊樹に相応しくないじゃない!!」
「アヤが目指してるのは、恋人じゃない…トシ君の”奥さん”。
誰と付き合おうが、最終的にアヤが奥さんになればいい、必ず……。
でも、今の日下部さんは、言ってる事と気持ちがちぐはぐ。
あなたのやり方は、そう……卑怯よ」
咲良の切り返す言葉にも、絢歌は全く動じる事がありません。
冷笑を浮かべたまま語る彼女の瞳には、狂気的とも言える覚悟と愛が燃え盛っております。
嗚呼、咲良には今その様が、メラメラと燃え盛って見える事でございましょう。
絢歌の狂おしい炎に中てられた咲良でしたが、それは彼女の中に抑え込んでいた、俊樹への想いをかき乱し、その濁流を押し止めていた堤防を決壊させるには十分でございました。
「……そうよ、確かにあたしは……俊樹の事が好きよ!!
でも、あたしみたいな外道な女が…今更彼に愛してるなんて言える訳ないじゃない!
だからせめて傍にいたいの! 何でもいいから役に立ちたいの!!
ただ利用価値が有るから傍に置いてやる、あたしはそれでいいのよ!!
だから…橘絢歌、あんたが奥さんになりたいのなら勝手にすればいいじゃない!!
あたしは……愛人でも、いいからぁ!! たまにこうして、日陰で逢えればそれで満足出来るから!!
それも許されないなら…一度だけでいい、俊樹の、彼の愛を分けてよ!!
そしたらあたし、遠く離れた場所で、彼から貰った愛と一緒に、一生……誰ともかかわらずに生きて行くから……」
咲良は、堰を切ったように想いを吐き出します。
そんな彼女の激情も、絢歌は意に介しません。
冷たく見下す視線のまま、淡々と彼女を追い詰めるのでございます。
「トシ君が、そんな事言われて放っておける訳ない。
日下部さんは彼の優しさに付け込んで、同情を引くマネをしてるだけ。
悲劇のヒロインぶってる割には、やってることはただの、メス猫の所業。
出来の悪い脚本、それとも喜劇なの? アヤを笑わせたいの?
ならもう十分だから、幕を下ろして帰って頂戴」
「この…言わせておけば……!!
アンタにあたしの何がわかるっていうのよ!!」
「貴女の事なんて何一つ理解できない」
想いは同じでも、まるで水と油の様に交わらない二人の女の姿が、そこに居たのでございます。
いつ切れるかも分からない程に二人の糸は張り詰め、後はただ導火線に火の点いた火薬庫の様に、爆発するのを待つ他ないのでありました――。
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「な、なあ、何が起こってるんだよ?」
「あたしこういうの、お母さんが昼間見てたドラマで見た事あるわ」
「二人とも黙って、今いい所なんだから」
非常に濃度の高い愛憎劇を見せられ、周囲の生徒達は困惑する。
中には逆に何かを期待して、眼を輝かせる者達も居たが。
ちなみに芽々は笑い過ぎで呼吸困難に陥り、龍成に引き摺られて保健室に連れていかれたので居ない。
その時、人込みを縫うようにして前に出てくる者たちが居た。
「すいません通してください! 風紀委員会です!!
うわぁ、聞いてたけど本当に俊樹さん達だ……」
「え、アタシたちでこの2人止めるの? 冗談でしょ?」
「や、やるしかないよ! 華凛さんも居ないし、覚悟を決めて!!」
翔太・麻莉奈・由香の、いつもの3人だった。
唖然とする翔太、顔を青くする麻莉奈、そして悲壮な覚悟を決めた由香。
3人の中でいち早く行動に出たのは、由香だった。
「まりちー、あたしが戻らなかったら…ショウの事お願い」
「何を言ってるの、ゆっちー……まさか!?」
「無茶だ由香! せめて緋ノ宮さんが来るまで待つんだ!!」
作り笑いと分かる表情のまま、麻莉奈の肩を抱きしめた由香は、そのまま耳元で呟く様に話す。
「今までちゃんと謝って無かったけど、あなたからショウを奪ってしまってごめんね。
あたし、あなたの事も大好きだよ、麻莉奈」
「ゆっちー…由香……アタシだって……!!」
麻莉奈の言葉を最後まで聞かずに、未練を振り切る様に翔太の方へ押しやった由香。
追い縋ろうとする麻莉奈を翔太が引き留めているのを確認すると、悲壮な表情のまま女達の戦場へと向かう由香。
にらみ合う咲良と絢歌の傍まで来ると、呼吸を整え覚悟を決める。
「せ、先輩方! ここで騒ぎを起こすのは止めてください!」
「モタモタしてて男を取られる幼馴染みキャラは引っ込んでなさい。
チチがデカいからって天狗になってるから攫われるのよ。
頭の中までメロン畑なの?」
「胸以外長所の無い、高脂肪腹黒寝取り負け犬女。
邪魔するならクーパー靱帯引きちぎる」
強烈なカウンターを2発同時に喰らい、倒れ込む様に翔太達の元へ戻った由香。
「ゆ、由香! しっかりして! 」
「ショウ…まりちー…何処……もう目がよく見えないの……」
「ああ、ゆっちー! あたしはココよ!!」
一瞬で再起不能に陥った由香を目の前に、麻莉奈は決意を固めると一人立ち上がる。
「翔太……彼女をお願い」
「麻莉奈!? ダメだ!! 今度は君まで……!!」
「アタシ、いつも逃げてばっかりだったけど……今度は逃げない!!
大丈夫よ、こう見えてアタシ強いのよ? この戦いが終わったら、3人で美味しいスイーツを食べに行きましょう。
すごく良い店を見つけたんだから」
「ああ! ダメだよ麻莉奈そのセリフは……!!」
盛大にフラグを建築し終わると、迷いを振り切る様に2人の”魔物”が相対する場所に向かう麻莉奈。
大きく深呼吸すると、意を決して前に出た。
「風紀委員会よ! 二人ともやめなさい!!」
「意地張って男取られた小娘は黙ってなさい。
いい男なんて一回突き放したら他の女に取られるに決まってるじゃない。
エスパーじゃないんだからアンタの内心なんて判らないわよ」
「折角手に入れた勝ちを棒に振った馬鹿。
そうやって人の話を聞かず一生後悔して生きてればいい。
寝取られ絶壁天邪鬼勘違い女」
衝撃と共に後退り、そのまま翔太の元へ倒れ込む麻莉奈。
「麻莉奈! しっかりして! この指が何本か見える!?」
「ああ、ゆっちー…そこに居たのね……アタシ達…ズッ友……よ……」
光の中で笑う由香の幻覚を見ながら、翔太の腕の中でガックリと意識を途切れさせた麻莉奈。
そんな様子をさっきから間近で見せつけられていた、悠一・美夜子・愛梨の2年生3人組は困惑しきっていた。
だが、外野気分でいた3人に翔太が声を掛ける。
「すいません、そこの女子の先輩方……この二人を…たのみます」
「まさか…!? 君もいくつもりか!! 止めるんだ今の二人を見ただろう!?」
悠一がたしなめるが、それでも翔太は力なく首を横に振り、無理に笑いながら話す。
「先輩、俺も男なんですよ。ここで引いたら…倒れてしまった彼女たちに、合わせる顔がないんで。
それに、彼女達の為だけじゃない…あそこには、俺の友達がいるんです…助けなきゃいけないんです」
そう言った翔太の視線の先には、先程からずっと石像の様に動けないでいる俊樹がいた。
言葉は発していないが、泳ぎまくる目は明らかに助けを求めており、チアノーゼでも起こしたのかと言う程に顔色は悪い。酸素が足りていないのだろうか。
「すいません、俺が戻らなかったら……二人の事、たのみます」
そして、3人が止める間もなく戦場へと駆ける翔太。
そこには刺し違えてでも、という男の覚悟があった。
「お二人とも! ケンカはやめてくだ――」
「「二股男」」
「ああああああ゛!!」
一撃であった。
「だから僕は止めたのに……」
「瞬殺だったわね」
「無理も無いわ、アレはちょっと……」
倒れ込む翔太を介抱する悠一。
もはや二人を止める者は居ないかと思われた時だった。
「……お二人とも、何をなさってますの?」
野次馬達の人垣が割れ、現れたのは緋ノ宮華凛だった。
決して大きくはないがよく響く声に、睨み合っていた咲良と絢歌が互いに離れて華凛の方へ向き直る。
「【女帝】だ」「え、【拳帝】だろ」「俺は【龍殺し】ってきいたぜ」
最近はもう、令嬢らしい呼ばれ方はしていないらしい。
【龍殺し】と言うのは、以前龍成を廊下で叩きのめしたから付いた名だろう。
その物騒なあだ名に眉をピクピクさせながら、聞かないフリをした華凛が、騒ぎの現場を見渡す。
大きく溜息を付くと、とにかくこの場は解散させなければと思い、高らかに宣言する。
「この場は【風紀委員会】が収めます、生徒の皆様は速やかに下校なさって下さいませ」
作り笑いの陰に、機嫌の悪さを感じ取った生徒たちは、そそくさと解散を始めた。
「全く……橘さんに日下部さん、風紀委員会まで来てもらいますわよ。
ああ…申し訳ないのですが、そこの三方は日野君たち3人を委員会まで運ぶのを、手伝っていただけないかしら?」
言われてハッっとした悠一達3人。
この状況で断れる筈もなく、勢いよく揃って首を縦にふると、それぞれ1人ずつ翔太達に付き添いながら、否応なく【風紀委員会】の本拠地に足を踏み入れるのだった。