退院
その後、幸いにも数日で退院した俊樹。
休校明けに緊急で開かれた全校集会では、新たな校長の就任式はすんなりと生徒に受け入れられた。
事前に行っていた保護者への説明会でも好印象であり、お陰で教師への不信は大分無くなったと言う。
それでも、様々な形で学校を去る生徒は多かったが。
新校長から語られた高校名変更の話や、俊樹たちによる【風紀委員会】発足の宣言。
中でも、恋愛禁止を撤廃して打ちたてられた『恋愛推奨宣言』は、最初こそ戸惑いが見られたものの、以降校内でも大手を振って異性と付き合えると、急速に盛り上がりを見せた。
もちろん、それまでの恋を引き摺ったままの生徒も居たが、校内は空前の『カップルブーム』と化していったのだった。
◇
【風紀委員会】発足から暫くしたある日。
やや疲れた表情で溜息をつき、校舎の敷地内にある背もたれのないベンチに腰掛ける俊樹に、ゆっくりと近づいてくる人影があった。
「……咲良か、随分久し振りな気がするな」
「えへへ、ちょっと通りかかったからさ…俊樹、沈んじゃってるけど大丈夫?」
話しながら、俊樹の傍に来た咲良。
ベンチを跨ぎ馬乗りになる形で前屈みに座ると、足をパタパタと浮かせながら俊樹の横顔を、上目遣いで見つめる。
以前よりは少し裾が長くなった制服のスカートが広がり、健康的な足が露わになる。
「……はしたないから普通に座りなさい」
「他に誰もいないんだし、いいじゃない」
言いながらも、渋々座りなおす咲良。
跨いでいた片足を上げてくるりと向き直すと、広がっていたスカートが太腿のギリギリのまで捲れて、流石に俊樹も慌てて視線をそらした。
「んー、やっぱ女の子の身体に反応はするのよね」
「人が居なくてもな、そういう事は止めろ……」
「ごめんごめん、それで何で落ち込んでるの?」
余り聞かれたくない質問に、気まずそうに口を開く俊樹。
「あれから、5組のカップルが【風紀委員会】に相談しに来たのだがな……全員、破局した。
それを華凛が怒ったので、逃げて来たのだ」
「……アンタがいつもの調子で相談にのったら、そうなるに決まってるじゃない」
そのガッカリする内容に、思わず咲良も溜息を漏らす。
「大体、円谷はともかく…緋ノ宮に相談してないの?」
「華凛はまだ、事後処理で忙しいのだ。
そこまで言うなら、お前が相談に乗ってくれればいいだろうに」
「……あたしが、風紀委員会に顔出せる訳ないじゃん」
かつて龍成たちと敵対関係にあったが、その後和解したはずの咲良。
だが、今迄の自分の行いも有り、俊樹以外の者達には接触しないでいた。
気にするな、と言うのも難しい話かと、考え込んだ俊樹の眉間に深いしわが寄った。
「あれから学校生活は順調か? イジメられたりはしていないのか?」
「その、お父さんみたいな言い方やめて。
別にイジメられたりはしてないけど、腫物扱いね。
もっとも、他の学年から見れば3年全体がそんな雰囲気だけど」
事件の渦中にいた3年は、特に今回被害の無かった1年生からは距離を取られていた。
普通は憧れの先輩などが居れば話題になるだろうが、1年生で3年生に告白や恋愛感情を持つものは、殆どいない程だった。
「やはり溝は深い、か」
「時間が経てば変わると思うけど…俊樹独りが動いても、こればっかりはどうにもならないと思うし。
あんまり無理したら、俊樹の方が参っちゃうよ…もう少し周りに頼って?」
心配そうに俊樹の顔を覗き込む咲良。
自分のせいでは無いとはいえ、今回の事件の引き金を引いたのは自分だと思っている。
責任感故に、気が付けば無理をしていた俊樹。
だが、周りに頼ろうにも俊樹としては、級友達はまだまだ若い。
日野翔太や橘絢歌とも出会って居ない時期、この頃はまだ”保護者”的な感覚が強かったのだった。
「あたしで良ければ、さ…風紀委員会には行けないけど、こうやって相談のったりとか……その位なら出来るから」
「……だが咲良、お前も3年だし大学の受験勉強があるだろう」
「……なんで、すぐそうやって、つきはなそうとするの?」
何時の間にか、その瞳に涙を浮かべている咲良。
その泣き顔を隠そうともせずに、彼女は俊樹に詰め寄った。
「あたしがしたいから、やってるの!
学校に残ったのだって、俊樹の傍に居たかったからだし!
何でもいいから…アンタの役に立ちたいのよ……。
別に、あたしみたいな女の…恋人になってくれだなんて言わないし。
ただ、こうやってたまに、こっそり逢えれば……それで満足なの。
勉強だってちゃんとする! 俊樹にも迷惑かけないし!
あんたが過去を吹っ切って、誰かと付き合う事になっても邪魔しない!
ただ、少しでも傍に居たいの、だから……頼ってよ」
よく昼間ドラマでやっていた、愛憎劇の様なセリフを言い始める咲良。
彼女は涼子の起こした事件の加害者だが、同時に最大の被害者でもある。
ストーカーによるマッチポンプから始まり、色々な事件に巻き込まれた彼女は、すっかりネガティブ方向で”重い女”と化していた。
これまで見せていた勝気な態度からは想像もできなかったが、それも彼女の弱気な部分を補おうと意識し行動した結果だったのかもしれない。
これも宮内涼子が犯した罪の結果なのだろう。
奴が起こした事件で、こういった心の傷を抱えた生徒はまだいる筈だ。
こうして、目の前で泣かせてしまっている咲良も、その一人だ。
無力感から、やはり自分は女性に関わるべきでは無いのかと考えるが、咲良を放って置けるほど俊樹は冷たい人間でもない。
結局、以前公園でしたのと同じように、優しく頭を撫でる事しか出来なかった。
咲良にとっては、それで充分だったが。
「……またそうやって子供扱いして」
「すまんな…こんな時にどう気の利いた言葉を言えば良いのか、知らんのだ。
だが、こうやって頭を撫でるのは、公園以来2度目か……少し芸が無かったか?」
文句を言いながらも、はにかんで笑う咲良。
それを見ながら俊樹は、取り敢えず今はこれでいいかと思う。
先程咲良自身が言ったように、時間が経てば変わる事もあるだろう。
あるいは、俊樹自身の気持ちも、時の流れが折り合いを付けてくれるのかもしれないと思いながら。
「…分かった、私ももう少し周りに頼ってみる。
咲良も、私だけではどうしようもない時には…助けてくれ。
それまでは、こうやって此処で、時々愚痴を聞いてくれれば助かる」
「うん……ありがと」
この時から徐々に周囲との距離を近づけ始め、翔太や絢歌との出会い等を経て、保護者から友人へと意識を変えていく俊樹。
そんな俊樹と咲良を見守るように、校舎の屋上から見下ろす緋ノ宮華凛の視線に、二人が気が付くことは無かった。