林檎
「はい、これお見舞い」
そう言いながら咲良が差し出したのは、俊樹が以前コーヒー屋で彼女にプレゼントしたタンブラー、その色違いバージョンだった。
わざわざお揃いを選んだ事や、なぜ入院のお見舞いにタンブラーなのか等、色々と疑問は残るが、それよりもまずツッコミたい部分を指摘する。
「……何だこれは、色々追加されている気がするが」
「えへへー、カワイイっしょ」
元々はシンプルなデザインだったのだが、至る所に英文字やキャラクターのシールが貼られていたり、ラメっぽくキラキラしてたりする。
意味の分からない”カワイイ”を目の当たりにした俊樹は、疲労感もありそれ以上は詮索しない事にした。
女子が”カワイイ”とか言い出したら、聞き流すのに限るのだ。
「というかこのシール、洗う時に大丈夫なのか……?」
「防水だし、そう簡単には剥がれないわよ」
なんとまあ無駄な力作だろう、この女子は何か買う度に毎回こんな作業をやっているのかと、感心なのか呆れなのか分からない表情を浮かべる俊樹。
ただ、製品自体はステンレス製で保温力も高く、ワンプッシュでフタが開くので、便利で入院中も重宝しそうではあった。
折角持ってきてもらったのだし、丁度水を飲むのに不便を感じていたので、中に水を入れて置いてもらうことにした。
「少し、腹が減ってきたな……」
食事制限はされていないので何を食べてもいいのだが、夕食まで時間が有る。
売店で何か買って来てもらうかと考えていると、窓際に置かれた大きなカゴの存在を思い出す。
リンゴやバナナ、小ぶりなメロンまで入っている、まるでドラマやアニメに出てきそうな果物の盛り合わせだった。
こういうテンプレートでベタなお見舞い品を用意するのは、多分華凛だろう。
「フルーツ食べるの? あたしが剥いてあげるから好きなの言って」
「ああ…じゃあリンゴを頼む」
部屋に付けられた小さな水道で手を洗う咲良を見ながら、彼女がリンゴを剥く姿が想像できず、思わず出来るのかと言いたくなる俊樹。
その想いとは裏腹に、慣れた手つきで果物ナイフを手に取ると、するすると紙皿の上でリンゴを剥いて行く咲良。
「中々、上手いものだな」
「えっと、ほら妹いるとさ、たまにお姉ちゃんしないといけないし」
姉の威厳ってヤツよね、などと言いながらも照れ臭そうにする咲良。
聞けば、たまに料理などもしているという。
あの母親の事だから、今の内に花嫁修業も兼ねて色々と教えているのだろう、と感心する俊樹。
くし形に切ったリンゴを紙皿に並べると、備え付けの小さなフォークを手に取り、その中の一個に刺すと、俊樹の方に向けた。
「ほら…その点滴刺さった腕じゃ食べにくいでしょ。
た、食べさせてあげるからっ」
「そうか、色々と世話を掛けてすまんな」
「べ、別にこの位気にしなくてもいいし。
ほ、ほら、あー……」
『あーんして』と言おうとした咲良が、口元までリンゴを持ってくるのを待たずに、起き上がっていた体を前のめりにする様にリンゴにかじりついた俊樹。
流石華凛が持ってきた果物だけあり、瑞々しくしっかりした歯応えで糖度も高く、美味い。
だが咲良の方は、その躊躇ない様子に若干肩透かしを食らった様な気分になる。
「凄く普通に食べるし…ドキドキしてたあたしは何なの……」
「…何を呟いているのか知らんが、悪いが少し大きいから半分にしてくれると助かるのだが」
物怖じしないと言うより、慣れているといった表現が合う俊樹の様子に、”前の女”の臭いを嗅ぎ付ける咲良。
既に他の女に餌付けされていた事実に落胆するが、俊樹の様子から既にこの世には居ないだろうと思っている咲良。
開き直ると、半分に割ったリンゴを俊樹の口元に持っていく作業に戻るのだった。
◇
リンゴを食べ終えた俊樹は、これまで倒れていた為に得られなかった情報を、咲良から聞いている所だった。
「学校に関しては、これから誰かが”舵取り”をしなければいかんだろうな」
多くの教師と生徒が、様々な形で学校を去る事になった今回の事件。
教師は華凛が何とかするらしいが、崩壊した生活委員会を始め、生徒の自治的な組織も立て直す必要があった。
「生徒会は、暫く使い物にならないと思うわよ」
「何? どういう事だ?」
「副会長と会計の男子が、涼子せ…あの女の事件の”被害者”だったの」
話を聞けば、現在3年生を中心に構成されていた【生徒会】は、今回の事件で副会長と会計を含めて半数ほど学校を去る事になったらしい。
涼子と関係を持った者もいるが、親が転入学を希望する生徒も多かったのだ。
学年が上の生徒ほど当事者に近い今回の事件。
逆に1年生では殆ど転入希望者は居なく、2年は丁度中間ほどだと言う。
「俊樹さ、いっそ【生徒会長】になっちゃえば?」
「私はまだ、入学したばかりの1年生だぞ」
「ああ…そういやそうだったわね、忘れてたわ。
でもトップで入学したんだし、今回の件でアンタの名前広まってるから、文句言う奴も居ないと思うわよ」
実際動いたのは殆ど華凛…と言うか緋ノ宮家なのだが、彼女だけが今回の事件で目立つのは不味い。
なにせ、形だけ見れば学校内の不正を利用して、一つの学校を乗っ取ってしまったのだ。
その本人が今回の事件を全て解決しましたと言えば、学校を乗っ取る為に事件を利用した様に見えてしまう。
その為、俊樹の首席入学という肩書もあり、彼自身が矢面に立つ事を提案したのだった。
一応、彼だけでは無く芽々や龍成、それに雄大や咲良も協力したお陰という事で話は広めたが、一般の認識では今回の事件を解決したのは”俊樹”という事になっている。
仮に俊樹が生徒会長になっても、不満は起きないだろう。
「だが、現生徒会長が健在ならば、慣れた者に任せるのが一番だろう。
それよりも問題は、咲良以外の委員が”退学”になってしまった、【生活委員会】か」
「ああ、うん……」
バツが悪そうに目を伏せる咲良。
学校で食中毒の2次感染にかかったと思われていた彼女たちだが、実際には違ったらしい。
どうもボクシング部を始めとした運動部の一部男子と、カラオケ店で合コンの様な事をやっていたらしいのだが、そこで何か食あたりを起こしたらしい。
悪い事に、その店が未成年者にも陰で酒やタバコを売る悪質な店だったらしく、彼女達が掛かり付けた病院から、警察に通報があったそうだ。
学校でのイジメや街での援助交際を始め、咲良の知らない所で悪事を働いていたらしい彼女達や一部男子は、全員自主退学を選んだ様だった。
「そうなると、立て直すべき優先度が高いのは【生活委員会】か……」
「ねえねえ、考えたんだけどさ…いっそ【生活委員会】は潰しちゃったら?」
「いや、潰してその後はどうするのだ……」
「だからさ、ウチの学校も世間体悪いからって【清崚高等学校】って名前無くなるんでしょ?
あたしだってもう、【生活委員長】は返上しないとだし…だったら一回無くして、名前かえて何も無い所からやればよくない?」
「そうか、そういう事か……」
悪評の付いた【生活委員会】を解散し、ゼロから別な組織を立て直せば、元々の悪評から予想される風当たりも無くなるだろう。
幸いなことに【生活委員会】と同じ役割で、もう一つ自治組織の名称が有る。
「【風紀委員会】だな」
◇
翌日になり、俊樹の入院する病室に集まった面々。
華凛が手を回した病室は、個室でそれなりの広さが有る為、10人程度入室しも余裕のある。
そこに、咲良を除いた、華凛・龍成・芽々の3人がイスに腰掛けていた。
【風紀委員会】発足の話は概ね好意的に受け止められ、龍成と華凛も協力してくれる事になった。
ただ、芽々は次期【放送委員会 委員長】を任せて貰える予定だそうで、彼女だけは【放送委員長】として、俊樹たちをサポートしてくれるという。
それはそれで、心強い話ではあった。
「…それでは、私が【風紀委員会】会長、華凛が副会長という形で良いな?」
「それでいいぜ、お嬢はオレよりつえーしな」
「いいですけど…そのヤクザの娘みたいな呼び方は、何とかなりませんの?」
華凛の意見はもっともだが、公園で雄大の仲間たちを叩きのめした光景を思い出すと、案外しっくりくるなと思う俊樹だった。
「それで、新しい校長先生はそろそろ来るのか?」
「時間通りなら、そろそろですわね」
昨日から学校に着任したらしい校長が、わざわざ顔を見せに来てくれるという話だった。
今回の騒動の中心になった俊樹達と、なるべく早めに面通しをしたいという事なのだろう。
そんな事を考えていると、病室のドアがノックされ、華凛に促されて一人の男性が入って来た。
作務衣姿につるりと剃られた頭、一部の隙も無い【ザ・僧侶】という身なりの、40代位の男性が、美しい所作で一礼する
「紹介しますわね、新しく校長先生をやってくださる【不動 明夫】住職……じゃ無くて先生ですわ」
「ご紹介頂きました、不動です。
普段は僧侶をやらせて頂いてますが、今回皆さんの学校の校長に就任させて頂きます」
その、何かありがたい姿に思わず合掌し頭を下げる俊樹たち。
顔を挙げた芽々が、何かに気が付いたようにハッっと表情を変える。
「そうか! 分かりましたよ華凛さんの意図が!!
仏の使いである僧侶なら、生徒も気をゆるしてしまう!!
なんという冷静で的確な判断力なんだ!!」
「おい、メメうるせぇ静かにしろ」
しかし、言われてみれば教師の淫行で揺らぐ学校に、これほど的確な人材は無いかもしれない。
聞けば、中々高位の僧侶であるらしいが、緋ノ宮家には多額のお布施などの恩が有るらしく、本来無理である所だが逆に喜んで協力してくれるという。
一先ず学校が落ち着くまでという話だが、俊樹たちが在学中は彼が校長を務め続けるだろうという話だった。
何だか一般的な高校のイメージから離れていく様な気がするが、この人柄の良さそうな壮年のご住職なら、マスコミの対応も柔らかくなるだろう。
なにより、マスコミも宗教団体を敵に回した時の面倒は避けたい筈。
事件の早期沈静化という意味でも、適材であった。
◇
挨拶を終えた新校長は、足早に去って行った。
これから学校で仕事が有るらしいのだが、忙しい中わざわざ来てくれたのだと思うと、申し訳なく思う俊樹。
そして、これから益々忙しくなることが予想されており、何だかお坊さんをブラック企業に送り込んでしまった様で、罰当たりではないかなと心配になるのだった。
「後は、学校名の変更手続きの件ですわね。
今すぐ変えても、マスコミに広められては意味がありませんし、夏休み明けに手続きを終わらせる予定で進めておりますわ。
一応、建前では今回の事件は”生徒が自分達で立ち上がって解決した”という話にしてますから、自主性を重んじる意味でも新校名は公募し、投票で決めようと思いますの。
一応緋ノ宮家の傘下に入るのですから、それらしい名前を募集する予定ではありますけれど」
華凛の話を聞きながら、考え込む俊樹。
今回の事件での後始末は、大半は何とかなりそうだと思う。
ただ、俊樹が心配しているのは、残された生徒たちの”心の問題”だった。
大人たちの犯罪に巻き込まれ、青春時代を棒に振ろうとしている若者たち。
特に、男女の距離感は今回の事件で大きく開いてしまっただろう。
男子も女子も、自分達の恋人が大人たちと浮気したのではと、疑心暗鬼になっているらしい。
表向きは校則で『恋愛禁止』になっているとはいえ、このまま冷めた青春を送らせるのは忍びない、そう考える俊樹。
「……いっそ、『恋愛禁止』を撤廃するか」
「俊樹さま、どういう事ですの?」
「今の、皆が恋愛に対し疑いを持った状況で…校則までも生徒達を縛るのは、良くないと思うのだ。
それよりも、正しい健全な恋愛を出来る様、我々でサポートしてやる方が良いのではと思った訳だ」
「なるほど! つまり【恋愛推奨条例】を作る訳ですね!!」
「それは宜しいのですけど、現状【風紀委員会】は3人しかおりませんから、手が回りませんわよ?
【生徒会】の方も半分ほど人が抜けますから、当面はあちらのお手伝いもしなければいけなくなりそうですし」
「まずは恋愛禁止の撤廃だけでも行い、徐々に固めて行けばいいだろう。
それまでは、校内で起こるであろう”恋愛関係”のいざこざを収める事に注力する。
委員を増やし、体制が整ってから本格的に行動に移る」
「オレも、それしかねぇだろうと思うぜ」
反対意見も無く、風紀委員としての最初の方針を決めた俊樹たち。
ただ、この女性に対して偏った知識しか持たない男を”恋愛”に関わらせた事を、華凛は後に後悔するのだが。
「それでは、次のお話ですけれど……俊樹さま、あなた引っ越しなさった方が宜しいですわ」
「……何故だ?」
「単純に”防犯上”の問題ですわよ」
今回の宮内涼子による襲撃事件で、俊樹の防犯意識の低さを問題視した華凛。
又、今後も【元ボクシング部】などの涼子配下だった生徒たちの、逆恨みによる襲撃が有るかも知れない。
このことは既に、俊樹を除いたこの場の3人で話し合っていた事だった。
事件直前に打合せで使ったマンションは、一般には公開されておらず緋ノ宮関係の者しか居ない。
半ば社宅のような物なので、ほぼ華凛が自由に出来るのだった。
「1フロアお貸ししますわ、そこに円谷龍成君と一緒に引っ越して頂きます」
聞けば、龍成も今現在独り暮らしだという。
龍成の腕が立つと言っても、寝込みを襲われてはひとたまりも無い。
セキュリティのしっかりしたマンションで、2人ならばどちらかに異変が有った時に素早く察知できるだろう。
同居といっても1階まるごと1フロア使って居るので間取りはかなり広く、部屋数も多い。
正直、俊樹の最初にいたアパートよりも、マンションの一部屋が断然広いのだった。
「お金の事なら気になさらなくていいですわ。
まあ無料でもいいのですけど…俊樹さまはそれでは納得しないでしょうから、前のアパートと同じ家賃で宜しいですわよ」
「それは助かるが、星野はどうするのだ?」
芽々は家族と一緒で、防犯上も問題ない住まいだと言う。
本人の希望もあり、現状で問題ないとの事だった。
「まあ、ルームシェアという事か。
これから宜しく頼む、龍成」
「おう、料理とかも独りでやってたからよ、まかせてくれよ」
「それは頼もしいな、私も料理には自信がある」
”男子厨房に入るべし”な男達が始めた料理談義を、微笑ましく見守る女子二人。
こういう時は口を挟まずに空気を読める、女子二人であった。