俊樹と咲良
再び、のどかな春の公園。
噴水の止められた池では、数羽のカモが水面に漂い、時折水音を立てていた。
ベンチに腰掛ける地味な恰好の男子は、やや眉間に皺を寄せながら、どこか遠くを眺めている。
その横では、丈の短いスカート姿のキラキラした女子が、肩に掛かる二つ結びにした髪を揺らしていた。
カップルと言うには不似合いな二人は、今しがた篠塚 雄大の話を聞き終えた、俊樹と日下部咲良である。
龍成との試合に負け、ボロボロになった雄大は、約束通りこちらに協力し、先程自身が知る全てを咲良に打ち明けた。
篠塚 雄大から真実を聞いた彼女は、予想通り派手に混乱。
特に、信頼していた涼子の話は、かなりの衝撃だった様だ。
何とか落ち着くと、最終的には雄大に派手なビンタを喰らわせ、俊樹達への協力を約束してくれたのだった。
咲良からは、これまで涼子が指導した対象者のリストを。
雄大も、重要なデータは昨日の壊れたスマホとは別に保管してあったらしく、涼子に従う男子生徒のリストを受け取った。
持ち込んだノートPCでバックアップを取った後、そのデータを見た華凛は、確認する事が出来たと言って一度自宅へ。
芽々は、双方のデータを一度整理してみると言い、やはり帰宅した。
龍成と雄大は、昨日の試合のダメージが残っているので休むといって、二人で何処かへ行ったが、男同士の話があるのだろう。
そんな中で、俊樹は完全にやる事が無かったのだ。
帰ろうかとも思ったが、咲良がまだ無理をしている様子だったので、不安に思い何となく付き添っている。
と言っても、俊樹から話しかける事はしなかった。
こちらからあれこれと言える程、咲良との付き合いは長くない。
だが自分の経験上、こういう不安定な精神状態の時は、あまり独りにしない方が良い。
隣に誰かいるだけで気が楽になるだろう。
そう思い、ただ黙って咲良の隣に付き添っていた。
先に口を開いたのは、咲良だった。
「……ねえ、高橋俊樹」
「俊樹だけで構わない」
「うん、あのさ…俊樹に酷い事して、ごめんなさい」
「学校の机の事なら、あれは私のでは無かったのだがな。
その謝罪は、受け取っておく」
「うん、ホントに、ごめん」
言いながら、バツが悪そうに下を向く咲良。
その気弱な様子は、入学直後に見た傲慢な態度が嘘の様だった。
「あたし、他にも沢山の人に、酷い事しちゃった」
「宮内に騙されてやったことだ、全部がお前の責任でもあるまい」
「それでもさ、あたしがやったのは、変わらないじゃん……」
「そこまで分かっているなら、皆にも謝ればいい」
「でも、いっぱい居るよ…本当に……」
「それでも、やるしかない。
それが一番良いという事は、自分でも分かっているのだろう」
それは咲良自身がやらなければいけない事。
変わってやりたくとも、出来る事ではない。
「うん、そうよね……許して貰えるかな?」
「許して貰う為に謝るのではないのだ。
ある意味で、自分自身の為でもある。
謝るというのは、自分の間違いを認めるという事。
日下部、お前がこの先の人生を、正しく進むためには必要な事だ」
「そっか、そうだよね……」
沈んだ様子の更に、やや説教臭くなってしまったか、と反省する俊樹。
気落ちした様子の咲良に、どうしたものかと気まずそうに頭を掻きながら話し掛ける。
「まあ、その……あまり難しくは考えるな。
行く時は私も一緒に行こう、そしてきちんと謝ればいい。
多少相手から怒りをぶつけられるのは仕方が無いが、あまりに相手が理不尽ならば庇ってやるし、一緒に叱られてもいいと思っている」
「あはは、なんかアンタ、言い方がうちのお父さんみたい」
「むう、何だそれは」
「ああ、ごめんごめん悪気はないの」
本気ではない不満を漏らした俊樹に、上目遣いで謝る咲良。
足をパタパタさせながら俊樹を見る彼女を見て、こういうあざとい行動を女子はどこで学習するのか、俊樹は不思議に思う。
まあ、それで許してしまうのだから、男と言うのは弱いものだ。
そんな風に考えながら、苦笑いを浮かべる俊樹。
咲良は、その顔を横目に映しながら、再び話し掛けた。
「子供の頃さ、あたしお母さんの化粧品にイタズラして、口紅折った事あって。
絶対怒られるって泣いてたら、お父さんが『一緒に怒られてあげるから、ちゃんとごめんなさい言いにいこうな』って言って。
その後、何故かお父さんの方が余計に怒られたんだけど」
「ふっ、良いご家族だな」
「あたし、ちゃんと謝るよ、全員に。
だからさ、俊樹も、ちゃんと見ててね」
「ああ、任せろ」
一気に喋った為か、ふうと一息つく咲良。
その顔が、先程まで雄大たちと話していた内容を思い出し、硬いものになる。
「…正直さ、まだ信じられないんだよね。
あたしの事付け回してたストーカーも、それを涼子先生に相談して、助けてくれた、雄大の事とか…全部最初から仕組まれてたなんて」
「そうだな」
信頼していた、恩師だと思って居た宮内涼子。
それが、実は裏で糸を引いていたのが涼子本人だったと知った咲良。
当然、そのショックは計り知れない。
「あたしが雄大を好きになって、恋人同士になったのも、涼子先生が彼にそう言ったから、命令で付き合ってた、だけだって」
「そうだ、な」
「雄大が本気で好きなのは、涼子先生だけで、あたしとはただ、生活委員に繋いでおく為に、利用するために、付き合ってたって。
裏で涼子先生は、あたしを使って色々酷い事とか、他の男子といけない事するために、利用してただけだって。
いざとなったら、あたしに押し付けて、切り捨てるつもりだったとかさ」
「…だが、思い当たる節はあったのだろう」
「うん、なんか少しおかしいなって、思ってたかも。
雄大も、部活に本腰入れてるからって、恋愛には積極的じゃないし。
涼子先生のいう事だって、生活指導なんだって無理に自分で納得して。
……結局さ、あたしも後ろめたい気持ち、ずっと誤魔化してたんだよね。
じゃ無ければ、いくら何でも俊樹の天然に振り回されたりしなかったし。
イジメとか嫌がらせとか、悪い事してるって思ってたから、アンタが言った事も全部、悪い方に誤解してたんだなって。
今だったら、ちゃんと分かるよ……」
俊樹の盛大な勘違いと天然、それに振り回された形になった涼子や咲良たち。
だが、最初から後ろ暗い事が無ければ、ここまで拗れる事も無かっただろう。
結局は、自分たちが悪い事をしているという思いがあったから。
そうやって考えた結果だったのだと、この時には咲良も、そして雄大も自覚していた。
俊樹が視界の正面に来るように、ベンチに座る身体を斜めに向き直した咲良。
お互いの膝の位置が少し近づき、足が軽く触れあう程度の距離になった。
「アンタは…俊樹は、本当は…まあ天然だけど…わりと良い奴だって分かったから。
だからさ、ねえ、アンタがあたしより先に、泣かないでよ」
「そう…か」
「そうか、じゃないわよ。ばーか」
「そうだな……」
何時の間にかこぼれていた目元の雫を、袖口で拭う俊樹。
そのまま無理に笑おうとすると、溜まっていた涙が流れて落ちた。
それを見る咲良の瞳も、段々と潤んでくる。
「ねえ…あたしも、泣いていい?」
「……思いっきり泣け」
「頭、撫でないでよ……ああ、ほらそんなことするから、もうだめ」
「…我慢しなくて良い」
「あ、あ、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
俊樹の胸に顔を埋め、縋る様にして泣きじゃくる咲良。
彼女が泣き止むまで、俊樹はずっと頭を撫で続けていた。
◇
「……ゴメン、あんたの服よごしちゃった」
「いや、まあ気にするな」
俊樹の服は、今しがた咲良が泣き顔を押し付けていた為に、涙と化粧で汚れてしまっていた。
公園のトイレで体裁を整えてきた咲良だが、さすがに化粧までは時間がなかったのか、ほぼスッピンになっていた。
俊樹としては、どちらかと言えばノーメイクの少し子供っぽい感じの彼女の方が、好感が持てる気がするのだが。
まあ、大人に見られたい年頃なのだろう。
「ちょっと、あんま見ないでよ……」
「む、すまんな悪気はないのだ。
ただ、別に化粧する必要は無いのでは、と思ってな」
「ああー…俊樹って、メイクとか嫌いな方?」
「ふむ…まあ、余り好きでは無いかもしれんな」
「ふーん、そう……」
つい、まじまじと見てしまったらしい。
女性に対して失礼だったな、と反省する俊樹。
幸い、咲良は特に気にしてはいない様子だが。
「取り敢えず、華凛たちが戻るまでは時間が有るはずだ。
何処かで食事にするか、一度帰るか……」
「ねえ、ちょっと待って! その、服さ、よごしちゃったし…新しいの買ってあげるよ!」
どうも、汚した服を弁償したいと言い出す咲良。
一度家に帰って着替えれば済む話なのだから、と言って断ったのだが、どうも気が済まないらしい。
こういう時、下手に断るとあまり良くない
特に咲良は今ナーバスになっている、一人にするのはまだ不安だ。
服代は後で別の形で返せばいいかと思い直し、素直に受けることにした俊樹。
それにずっと田舎で暮らしていたので、この辺りの地理にも疎い。
折角だし、慣れる意味でも咲良に先導してもらおうかと考える。
咲良に案内され公園を出てからバスに乗ると、それほど掛からず若者向けの店が並ぶ場所に着いた。
この時まで俊樹は、男子が『女子と買い物に行く』と、どういった目に遭うのか失念していたのだった。
「ほらほら、これもカワイイでしょー!!」
「可愛いとは何だ…それにデザインが若過ぎないか?」
「アンタ、あたしより2コ下のくせに何言ってるのよ」
試着室に押し込まれ、次から次へと着せ替えさせられる俊樹。
普段は寒色系や茶色中心の落ち着いたデザインばかりを着ているのだが、咲良の合わせる服は、どれも色が明るく目立つ物ばかりだった。
普段から着ているのはジャケットなど、大学生や社会人のセンスに近い。
だが、咲良が選ぶのはパーカーの付いたストリート系ファッションなどなど、正直死ぬほど似合わない。
何だか遊ばれている気分だが、咲良の気晴らしにもなるだろうと思い、渋々付き合う俊樹だった。
カワイイカワイイと言いながら、どこぞのラッパーが着ている様な服を着せては笑っているので、似合うと思って合わせているのか疑問だ。
大体、間違っても可愛いとは思えない男性ファッションの、何がカワイイなのかさっぱりわからない。
しかも、上着は汚れていないのだから合わせる必要もないのだが。
そして、何故か途中から自分の服を選び出した咲良。
女子高生のファッションなど分からないから、気の利いたコメントなど言えないのだが。
まあ時間はあるので、付き合うのも問題ない。
咲良の気晴らしにもなっているのだろう、顔色も大分良くなって、目元の隈も目立たなくなってきた、良い事なのだと思う様にした俊樹。
「そのスカートは、少し短すぎるんじゃないのか? 大体それじゃ寒いだろう」
「もうっ、足ばっかり見ないでよエッチ! あたしが聞きたいのはそういうことじゃないし!」
「あ、いや、そう言う意味じゃ無くてな…むう、まあ可愛いとは思うがな」
「あ、そう? えへへーやっぱそう思うっしょ!」
別にセクハラするつもりは無い、見ろと言われたから見ているだけなのだが、女子とは何と理不尽なのか。
正直、やりにくいなと感じる俊樹。
後、咲良自身の服を見たいなら、先にこっちの方を決めてからにして欲しいと思う。
結局、俊樹の方は、色々合わせたストリートなファッションは全てボツになり、元々の服に似た物で若干明るいデザインに落ち着いた。
俊樹も納得できる派手過ぎない色合い、良いセンスだと思う。
というか、最初からコレを持ってきて欲しかった。割と近くにぶら下がっていたヤツじゃないかな、などと思う俊樹である。
同時に、そういえば若い年頃の女子との買い物というのはこんな感じだったな。
少し懐かしい疲労感を感じていた。
「じゃあさ、こっちの脱いだ方は捨てておくから」
「いや、洗えば着れるのではないか?」
「えっと…メイクって結構、洗濯しても落ちにくいのよ? じゃさ、あたしが洗ってくるから」
「そういうものか、それでは頼む」
そこまでしなくてもと思ったが、洗濯くらいならそこまで金が掛かる訳でも無いので、素直に好意を受け取ろうと思った俊樹だった。
結局、自分の服まで何時の間にか選んでいた咲良と一緒に店を出ると、昼時を回っていた事に気が付く。
流石に腹が減った俊樹。
「昼食はどうす――」
「折角だし、このままランチいこっか!」
やや被せ気味に自分の意見を通す咲良。
何だかさっきから主導権を握られているが、女子と一緒だと何故大抵こうなる。
まあしょうがない、男の意見など、どうせ言っても通らないものだ、と諦める。
俊樹自身も、この後家に帰って自炊する気にはならなかったので、丁度良いだろうと思ったのだった。
「それで、この辺りに良い店はあるのか?」
「そうね、この辺なら…そこのコーヒーショップにしましょ、あそこ軽食も美味しいのよね!」
コーヒー屋か、と少し不安になる俊樹だが、まあコーヒーを頼まなければいいか、と楽観的に考える。
そんな俊樹の心配は、別の形で裏切られる事になるのだが。
◇
「それで、これは何だ……?」
「何って、コーヒーじゃない」
当然のごとく言い放つ咲良に、コイツ何を言ってるだ、という目を向ける俊樹。
「…注文する時に、商品名を言っていただろう」
「ああ、『トールバニラソイチョコレートソースダークモカチップクリームフラッペチョコレートシロップ』ね」
「お前が何を言ってるのか分からん」
俊樹の目の前には、何か太いストローの刺さったパフェの様な物が置かれていた。いや、これはパフェだろう。
断じてコーヒーではない筈だ。
「お前の、その白とピンク色のは何と言ったか……」
「え? 春限定の『ベンティアイスバニラノンファットストロベリーソースホワイトチョコチップさくら&ストロベリーフラッペホワイトモカシロップアドホイップクリーム』だけど」
「長いわ!!!」
『さくらストロベリー』のあたりで既にキレかかっていた俊樹。
普段はツッコまれる側の彼が、思わずツッコミを入れる程衝撃を受けたのだった。
珍しい光景であるが、ツッコませた咲良が凄いのか、コーヒー屋が凄いのかは分からない。
「大体『モカ』はどこに入ってるのだ……」
「ほら、コレよこれ」
「そうか…だが咲良、お前のは明らかにコーヒーでは無いと思うのだが」
「コーヒーショップなんだから、コーヒーに決まってるでしょ」
「ああ、それが今の若者の認識なのだな……」
明らかにスイーツである目の前の物体に手を伸ばす俊樹。
ドコから食べたものかと悩みながら、取り敢えず刺さったストローから一口吸い上げた。
「……甘いが、悪くないな」
「ねー美味しいでしょ!!」
落ち着いた俊樹は、一緒に頼んだクラブハウスサンドに取り掛かる。
これも中々美味いなと感心していると、咲良が『トールバニラ(略)』に手を伸ばしてきた。
「んー! こっちも美味しいわねー!」
「いや、勝手に飲むな」
「いいじゃないの、ホラこっちあげるから」
言いながら、『ベン(略)』を押し付けてくる咲良。
幾分俊樹の物より重たいそれを渋々受け取りながら、今時の若者は異性と回し飲みする事への気恥ずかしさなどは無いのか、などと考えつつ、そのピンク白い物体を一口。
「ほう、見た目ほど甘くは無いのか……」
「あんま好きじゃなかった?」
「いや、これはこれで美味いな」
「へへーそうでしょ!」
こうしていると、コーヒーに少しばかり臆病になっていた自分が馬鹿らしくなってくるな、などと思う俊樹。
案外、何もせずともこうやって高校生活を送っていれば、前世でのトラウマなど吹っ切れてしまいそうな気がしてくる。
そんな事を考えて、自然と口元が緩む俊樹だった。