保健室
「ひどい話でしたね、まったく!」
「もう、本当ですわ!!」
ぷんすか怒る女子たちを前に、すっかり萎縮した俊樹。
龍成が頑張ってくれたので事なきを得たが、入学早々失敗したと反省するのだった。
「緋ノ宮さん。ボク、仮に宮内を追い出しても、高橋俊樹を何とかしないと学校に平和は訪れないと思うんです」
「同感ですわ、高橋俊樹は、私たちの手で更生させなければいけませんわね」
「ええ、ですからボクは、緋ノ宮と喜んで手を組ませていだたこうと思ってます」
「願っても無い事ですわ星野さん。
正直このお馬鹿を教育するのに、一人では心許無いですので」
がっしりと固い握手を交わす2人の女子。
先程まで尻込みしていたとは思えない、芽々の変わり身の早さだった。
彼女達の中での厄介度は、俊樹が涼子を上回ったと言う事だろう。
「まあ、とにかく高橋さんにも、しっかり巻き込まれてもらいますよ!」
「高橋だと沢山居るだろう。
名前でいいぞ、俊樹だ」
「まあそうですわね。
しかし俊樹さまが案外駄目な方だったのは、想定外ですわ……」
「頭が良いからって、なんでもできる訳じゃないんですねー」
「お前ら誤解してるけど、トシさんは結構ドジだかんな?」
「むう……」
確かに、初対面だと大体”真面目そうな人”と言われるが、付き合いが長くなるほど”案外天然な人”とか言われる俊樹。
ちょっと否定できないのだ。
「あー、それにしても胃が痛いですわ、胃が痛いですわ。
星野さん、胃薬有りませんの?」
「放送室に、そんなもの有る訳ないじゃないですかー。
…何か、ボクも胃がキリキリしてきました」
「はあ、取り敢えず保健室に行きますわよ……」
「私はもう、帰っていいか?」
「駄目に決まってますでしょう! うっ、又胃が……」
「トシさん、もう荷物は諦めてよ、配達業者に電話しとこうぜ」
「む、仕方無いな」
「何なんですか、ホント何なんですか……」
すっかり気の抜けてしまった4人は、揃って仲良く保健室に行くのだった。
◇
この学校の保健室に常駐する養護教諭は、井戸端会議が好きそうなオバチャン先生である。
大して体調が悪くもないのに、サボリ目的で保健室を利用すると、このオバチャン先生のお喋りに巻き込まれるため、サボる生徒は居ない。
「はい、このお水で飲みなさいねぇ」
「感謝しますわ」
「うう、ボク苦いのニガテです……」
顆粒タイプのお薬は、子供舌の芽々には苦すぎる様だった。
「何ていうか、漢方臭い薬ですわね」
「効きそうですけど、錠剤とか苦くないヤツのほうが良いです」
「緋ノ宮の力をフルに使って、良い胃薬を探しておきますわ……」
口の端に付着した緑色の粉を、レースのハンカチで拭きとりながら答える華凛。
胃薬一個の為に金持ちの権力を使うなと言いたいが、余計な事を言えば自分に返ってきそうなので、黙っている俊樹だった。
「でも、あなたたち大丈夫? 本当に胃が痛いだけなのね?」
「そうですけど、何かあったんですか?」
「いやね、ほら入学式の次の日に倒れた男の子が居たじゃない。
その子、食中毒だったみたいなのよ。
それで、何人か他の生徒さんにも感染したみたいなのよねぇ」
「…もしかして、あのウイルス性の食中毒ですの?」
「どこの馬鹿者だ、この時期に牡蠣なんぞ食べたのは」
「たしか、一年の日野君って子かしらねぇ。
その時たまたま通りかかって助けた、朝日ちゃんって女の子と、救護に呼ばれて来た生活委員の女の子たちが多分感染したのねぇ、今休んじゃってるのよ」
思わぬところで、生活委員会壊滅の一因を知ることになった俊樹たち。
ウイルス感染症なら二次感染が心配だが、生活委員会が駆け付けた直後に、用務員のお爺さんが日野の症状から察して、人払いをした後に完璧に処理してくれたらしい。
ウイルス感染拡大を防ぐ処理法を知っていたのは、年寄りの知恵袋と言うヤツだろうか。
こういう時に年配の方々の知識と言うのは役に立つものだな、と感心する俊樹だった。
「それで、今日も一人生活委員の女の子が体調崩して帰ったから、オバチャン心配でねぇ。
生活委員長の咲良ちゃんも休んでるけど、あの子もかしらねぇ」
「いえ、日下部さんは違うとおもいますよ」
言いながら、横目で俊樹を睨む女子二人。
しかし、これで咲良以外の生活委員が何故休んだのか分かった。
フタを開ければ何ともガッカリな理由であるが、うまい具合にタイミングが重なってしまった様だ。
「ああ、そう言えば宮内先生も心配してたわねぇ。
教えてあげた方がいいわよねぇ?」
「あ! じゃあボクが伝えておきます!」
元気よく手を挙げて答えた芽々。
一瞬だが悪い顔になったのを見て、ああコイツ絶対言う気無いな、と俊樹達3人は確信した。
生活委員たちが休んでいるのを、咲良と同じく俊樹のせいだと誤解しているであろう宮内。
そのまま思い込んでくれた方が都合が良いので、情報操作するつもりなのだろう。
見た目と違い、中々強かな性格をした女子である。
その後、再び話の続きをするべく放送室に戻る4人だった。
◇
「保健室での情報で、今回の【生活委員会 壊滅事件】の全貌が、大体わかりましたねー」
「でも結局、私たち全員、俊樹さまに振り回されたのに変わりはありませんわね」
「このどうしようもない雰囲気なんなんですかね? おっかしーなーボク涙流してまでシリアスな空気醸し出してたハズなんですけどねー」
「星野さんはまだ良いじゃありませんの。
私なんて、あれだけ暗躍してたっぽいセリフを喋りまくって。
今、思い出して少し恥ずかしくなってきてますのに……」
「ああ、たしか『この学校を支配』とか『既に根回しは進んでますのよ』って言ってたアレですね。『女帝』のかりんさん」
「キャー! リピートはやめてくださいまし!
それと、二つ名の読みが、少し安っぽくなってますわよ!」
「気に入ってたんですね、二つ名。
それはそうと、かりんさん本当に髪キレイですねーツヤッツヤじゃないですか」
「あら、わかります? 自慢の髪ですのよ、オホホホ。
何でしたら、触ってみても宜しいですわよ」
「あ、そうですか? じゃあ折角なので遠慮なく。
うわっ、マジでさらっさらじゃないですかー!
しかもすごい良い匂い! これヤッバイ!!」
「鼻を押し付けて良いとは言ってませんが、まあ仕方ありませんわね。
髪はお気に入りですから、特にお金と時間を掛けてますのよ?」
「へー、シャンプーとか何使って――。」
「専属のヘアアドバイザーが――。」
段々と最初の話からズレていく女子二人の会話を、聞き流し始めた俊樹。
今後の話をすると言う事だった筈だが、どこかに飛んで行ってしまったのか。
恐らくは宮内に目を付けられている、この場にいる4人。
俊樹の件はかなり極端な話ではあるが、それでも全員の情報を正確に共有した方が良いだろう、と言う話になったので、配達業者の営業所に電話までして居残っていると言うのに。
何故無駄な話で時間を潰すのか、釈然としない俊樹であったが、余計な怒りを買うのでそんな事は言わないのだった。
隣の席で居眠りを始めた龍成を横目に、そんな事を考えていたが、船を漕ぐ龍成に気が付いた芽々が、その肩を揺らす。
「もう、たっちゃん起きてください!」
「んー、わりい、寝てたか……」
「しょうがないですねー。
まあ丁度喉も乾いたので、みなさんにも何か飲み物入れてきますね」
そもそも、龍成が居眠りを始めたのは、お前ら女子が関係ない話で盛り上がり始めたからではないかと、俊樹は思うのだが。
そんな事を考えている間に、小走りに駆け回り人数分の飲み物を準備する芽々。
放送室といっても此処は委員会の休憩室の様な使い方をされている部屋らしく、小さな流し台や休憩時に使うポット位は置いてある。
実際に機材が置いてあるスタジオの方は、さすがに飲食禁止の様だが。
暫くして、湯気の立つマグカップに人数分のインスタントコーヒーを淹れて戻って来た芽々。
「あのなメメ、最初から砂糖入れてくるんじゃねぇよ」
「いいじゃないですか、糖分はアタマを動かすのに必要なんですよ」
「私も紅茶の方が良かったですわ、キャラ的に」
「かりんさん、もしかして形から入るタイプですか」
そんな会話を聞き流しながら、俊樹は目の前に置かれたマグカップを見つめていた。
結婚してから毎朝、コーヒーを出してくれた妻。
ご飯には味噌汁じゃないのか、と言っても頑なにコーヒーを出し続けた彼女。
自分はブラックが好きだったが、彼女が淹れる安っぽい粉のコーヒーは、いつも砂糖が多めに入り、濃い目で自分の好みには合わなかった。
半分程度残して飲み終わると、必ず彼女はそれを手に取る。
少し冷めて飲みやすくなったのを飲むのが好き、と言っているのを聞いて、わざと自分好みに淹れているのだと気が付いた時は呆れたが、それが毎朝嬉しくも有った。
だが、あの時以降、コーヒーは飲んでいない。
マグカップを口元に運ぶ。
鼻孔をくすぐる安い匂いと共に、インスタントコーヒーの粉っぽさと、入れすぎた砂糖の甘さが少し舌に触る。
そういえば、妻の淹れるコーヒーも、こんな風に甘かったかもしれない。
その時、その変化に最初に気が付いた華凛は、真っ先に俊樹の持っていたマグカップを奪い取ると、流し台に駆けて行った。
「お、おいトシさんどうしたんだ!?」
「あ、あれ? ボク何か変な物いれました?」
流しにコーヒーを捨てると、戻って来た華凛が少し青ざめた表情で、俊樹の顔にハンカチを当てた。
零れた涙の痕が、白いハンカチに付く。
「俊樹さま、落ち着いてくださいまし」
「え? なんで泣いてるんですか、としきさん??」
「おいメメ、一回ほかのカップも片づけるぞ」
ようやく意識がはっきりして、自分が泣いていた事に気が付いた俊樹。
華凛が押し当てていたハンカチを、すまないと言ってそのまま借りる。
その、まだ涙の乾いた痕が残る顔のままで、心配そうに見守る周囲の3人を見る。
「すまない、コーヒーは……苦手なんだ」
その、俊樹らしくない酷く悲し気な表情に、誰もそれ以上は彼に踏み込めなかった。