高橋俊樹という男【4】
日下部の自宅に直接定期を届けに行った。
玄関先で対応してくれたのは母親だったが、話した感じでは私の心配は杞憂だった様だ。
一戸建てのよくある住宅に、両親と妹4人で暮らしているらしいが、ごくごく普通の明るいご家庭だ。
日下部の母も最初は訝しんでいたが、私が学校の制服着用だった事もあり、世間話をしていると逆に打ち解けて、色々と話し込んでしまった。
特に、特待生で主席入学だという事を話した時から、日下部母には大分気に入られてしまった。
やはり、女性には肩書やブランドが強いな。
そして、私が一人暮らしでこれから夕食を自分で作ると聞いた日下部母は、せっかくだから上がって食べて行きなさいと言い出した。
これから家に帰って自炊も大変だ、願っても無い事であったが、先輩女子高生の家に上がり込んで夕飯をご馳走になると言うのは、アラフォー男子にはキツイのだが。
それに、今日は田舎から荷物が届く予定だ。
不在で再配達させるのは、運送業者さんに申し訳ない。
やんわりと断ろうかと思ったのだが、主婦特有の強引さに押し切られてしまった。
まあ、ここで無理に断っても失礼だ、運送業者さんには悪いが仕方が無いと諦めることにした。
リビングに入ると、既に日下部の父も帰宅していた。
定時にすんなり帰れる身分とは羨ましいが、この事からみても日下部の家庭環境は良好と言えるだろう。
娘の男が来たのかと、最初は警戒心をあらわにしていたご主人だが、落とし物の事や入学直後から助けてもらった、と適当に話を作って説明すると納得してくれた。
まあ、娘を思う父の心情も、分からなくはない。
その後、食事の用意が出来るまでご主人と談笑する。
40歳過ぎた位だろうか、この世代とは本当に話が合う。
お陰で話が弾み、大分気に入られてしまった。
もちろん、話すついでに奥さんを立てる事も忘れない。
仕事にかまけて家事を奥さんに丸投げしていると、家庭での信頼を失うから、休みの日のトイレ掃除くらいはした方が良い、などと話しているとすっかり奥さんに気に入られた。
日下部の為にも、このご夫婦には末永く円満に暮らしてもらいたいと思う。
食事時になると、2階に引っ込んでいた中学生の妹さんも降りてきたが、私を見てもさして興味を示さず、会話の節々でたまに『俊樹さん、オジサンくさいー』などと茶々を入れて、奥さんに怒られていた。
好きなアイドルがテレビに出る時間だという事で、夕食をさっさと済ませるとテレビに向かう。
あまり急いで食べると消化に悪い、もっとゆっくり食べればいいのにと思わず漏らすと、日下部母に、何だか俊樹君の方がお父さんみたいねぇ、などと言って笑い出した。
しかし、こうして日下部夫妻と話していると落ち着くな。
精神年齢が近いので話も合うし、学校に居る時の様なストレスを感じなくて済むのは有り難い。
強張っていた表情筋も自然とほぐされていく様だ。
そんな事をしている内に、どうやら日下部本人が帰宅した様だ。
遊び歩いていた事を少々咎められていた様子だが、あの年頃ならあまり押さえつけるのも良くない。
そんな事をさりげなく言ったら、俊樹君は大人ねぇ、アナタみたいな人が咲良と付き合ってくれればいいのに、などと言い出したが勘弁してほしい。
あんな気が強くて自己主張の激しい女子と、付き合える自信はない。
正直言えば恐い、私があんな女子と付き合ったら、1日で胃がやられる自信が有る。
定期入れに貼ってあった彼氏らしき人物を心の中で称賛しながら、やんわりと断った。
それにしても食欲も無く、大分顔色が悪い。これはいよいよ生理が一番重い時期に入ったか。
そんな事を考えていると、日下部父が娘の様子を心配したのか、大丈夫かと何度も声を掛ける。
気持ちは分かるが、ご主人には日下部の構って欲しくない様子が分からないのだろうか。
ここは一つ、遠回しに注意しなければいけない。
「ご主人、年頃の娘さんですから余り、その…男性が体調不良について、突っ込んで聞くのは……」
「俊樹君、何がだい?」
「ああ…もうアナタってば、本当にデリカシーが無いんだから」
同じ女子だからであろう、奥さんは日下部が生理だとすぐに理解してくれた。
今迄そんなに酷くなかったろうというご主人に、酷い時だってあるのよ、だからアナタは咲良にウザがられるのよ、と辛らつな言葉を浴びせる奥さん。
まあまあ、と夫婦の間を取り持っていると、俊樹君の方がよく分かってるわね、こんな旦那になっちゃダメよ。と奥さんに言われて、私とご主人は愛想笑いするしか無かった。男はつらいな。
その後、足元がおぼつかない様子の日下部を、何故か私が彼女の自室までエスコートする羽目になった。
俊樹君お願いね、と言う奥さん。あまり変な気は効かせないで欲しい。
まあ、私自身も日下部に少し話がしたかったので丁度いい。
部屋に向かう途中、生理痛の為に憔悴しきった日下部を刺激しないよう、慎重に言葉を選び話し掛ける。
いくら情緒不安定だからと言っても、あんな嫌がらせをしている事が知られては、育ててくれた両親に心配を掛けてしまう。
ご家族の為にも、軽率な行動は慎む様に、それに私だって心配している。
そんな事を説明すれば、ようやく日下部も納得して、泣きながら謝罪してくれた。
弱っていた事が幸いしたのだろう、今度は冷静に話を聞いてもらえた様だ。
家族や宮内というアラサー教師に、今回の事をバラされるのを恐がっている様子だが、日下部がちゃんと現状を理解し謝罪したのだ、もちろんそんな事はするつもりは無い。
安心してほしいと言った。
色々とあったが、これで一安心だ、本当に良かった。