宮内涼子と生活委員会【5】
放課後の生徒指導室。
涼子の前に座るのは、相変わらず氷のように変わらない表情の高橋。
昨日、あそこまで咲良を追い込んだ後だと言うのに、涼子に呼び出されてからも平然とした様子だ。
高橋には、一切の動揺は見られない。
攻め入る隙を見つけられないまま、涼子は考えていた幾つかの質問で揺さぶりを掛ける。
「机の件だけど、結局犯人は分からなかったわ」
「そうですか、ただ私は被害を受けた訳ではありませんので。
たまたま、前の席に座っていただけですから」
「そう…所で、生活委員の咲良さんだけど、どうも学校を休んでいる様なの。
高橋君は何か知らないかしら?」
「昨日会う機会がありましたが、その時から既に体調を崩していた様です」
予め用意していたような回答を言い放つ高橋。
向こうから、こちらに何かを仕掛けてくる気配が無い。
何が目的か、それが見えてこなかった。
涼子はアプローチを変えることにする。
言質を取られる様な言動は避けるが、やや核心に近い部分に思い切って踏み込んでみる。
「高橋君は、例えば…先生の事、どの程度知ってるの?」
そのセリフに、僅かに高橋の眼が動いた事を、涼子は見逃さなかった。
やはり、この男は涼子の秘密について何か握っている。
その小さな揺らぎだけで確信した彼女。
だが、続けられた高橋の言葉は、涼子にとって少し予想外であった。
「私はまだ入学したばかりですから、殆ど何も知らないも同じかと思います。
でも、私が例えば先生の、普段表ざたにしていない事を知ったとしても、プライバシーをみだりに公開するような事はしないでしょう。
もっとも、私は何も知らないのですから、公開しようも有りませんが」
その、こちらにすり寄る様子の高橋の言い方に、若干の違和感を感じる涼子。
遠回しな言い方だが、何か掴んでいるのは予想できる。
だから、涼子は高橋がそれをネタに、何か脅しをかけてくるのではと思っていたのだが。
だが、高橋がこちらに敵対する気が無いならば、涼子の最大の武器が使える。
そう、”女”という武器を。
生徒指導室のエアコンは、少し高めの温度に設定してあるので、やや暑い。
白いブラウスの胸元は、その豊かな谷間が見える程度にボタンを開けられている。
スカートは入学式の日に着ていた物より丈が短く、正面に座れば男の視線を釘付けにするよう計算されている。
あとは、涼子が優しい言葉を掛けてやれば、経験の浅い男子たちは簡単に涼子の手に落ちた。
それが、例えば”イジメや嫌がらせ”を受けて、心身が弱っている生徒ならなお簡単に。
それが、宮内涼子の”生活指導”の方法だった。
「それなら、先生の事…ちゃんと知りたいと思わない?」
思わせ振りな言葉を吐き出しながら、やや前屈みにゆっくりと足を組み替える涼子。
大抵の男子生徒は、その仕草に視線が釘付けになる筈だった。
涼子は真っ直ぐに高橋の眼を見つめ、蠱惑的な視線を送る。
そして、高橋の視線が自分に向いていない事に気が付いた。
その様子は、まるで涼子など風景と変わらないといった様子。
そんな涼子の憤りなど知らぬ事とばかりに、高橋は口を開く。
「先生は、大変教育熱心な方だと存じています。
それだけ知っていれば、私には十分だと思います」
ここに及んでも、まるで”女”として意識されていない。
確かに嫌がらせは失敗して、多少は指導の効果が落ちる。
だが、今まで自分に惚れなかった男子生徒など居ない。
その絶対の自信が、涼子の中で音を立てて瓦解していく。
これ以上は何をしても無駄、そう判断した涼子。
「…そうね、変な事聞いたわね。
机の件については引き続き調べておくから、今日はもう帰っていいわよ」
「分かりました、それでは失礼します、先生」
初めて会った時と同じように、腰を曲げて一礼して退室する高橋。
それを見送った涼子は、指導室に鍵を掛けると、高橋が座っていた椅子を思い切り蹴りつける。
派手な音と共に転がる椅子を見下ろしながら、スマートフォンを取り出す。
厳重なロックを解除し操作すると、【ボクシング部】と表示されたアドレス帳に眼をやる涼子。
既に打算や理性など吹き飛んだその顔は、”女”としてのプライドを踏みにじられ、憤怒の形相で歪んでいた。
◇
生徒指導室を後にし、誰も居ない静かな廊下を歩く高橋。
その前に、一人の小柄な女子生徒が立ち塞がった。
耳が軽く出る程度のショートヘア。
右側の前髪を3つのヘアピンで上げたその顔は、中学生の様な幼さの残る顔立ち。
その印象とは裏腹に不敵な笑みを浮かべる彼女は、どこか油断ならない人物だと見る者に告げていた。
「はじめまして、高橋俊樹さん。
ボクは2年3組、放送委員会所属の…星野芽々です。
お貸ししたカメラは…役に立ったみたいですね?」
無邪気にも見えるその笑顔のまま、だが眼はしっかりと高橋を見据えて話す星野。
そう、円谷を通じて借りたビデオカメラは、この星野からの提供によるものだった。
「ふふ…ダメですよ、いくら本体のデータを消しても、復旧する方法は有るんですから。
そんな訳で、あのカメラに残っていた日下部の動画は拝見しました。
よくまあ、あんな映像が撮れたものですよ。
正直、見た時は嬉しさよりも…寒気がしましたが」
その言葉に、今まで変化の乏しかった高橋の眉毛がピクリと動く。
僅かな変化を観察した星野は、満足気に表情をゆがませると、そのまま言葉を続ける。
「しかし、入学して数日で【生活委員会】の闇を暴き、【宮内涼子】の真実までたどり着くとは…高橋さんは、何者なんですかね?」
「それは、私も気になりますわ」
「……!?」
濡れ羽色の髪を揺らしながら、仮面の様な微笑みを浮かべた女。
何時の間にか高橋の背後には、緋ノ宮華凛が迫っていた。
「随分と面白そうなお話をなさってますわね?
私もご一緒したいのですが、よろしくて?」
「あなたは…1年の【女帝】、緋ノ宮華凛ですね」
「何だか随分と物騒な呼び名ですわね」
「校長先生に土下座させた女が、今更何を言うんですか?」
「心外ですわね、あれは向こうが勝手にやったことですわ」
言いながら、人の気配に気が付いた緋ノ宮が後ろを振り返る。
そこには、短い髪を逆立てた眼つきの悪い男子生徒、円谷龍成の姿が有った。
「おい、メメ。あんまりその女を刺激すんな、かなりヤバイ奴だ」
「…ヤバイ女だってのは分かりますよ」
「そうじゃねえんだ、こう言えば良いか?
そいつ、どんな格闘技かわからねえが、かなりやってやがる。
オレでも勝てるかわからねぇ」
「たっちゃん、こんな時に冗談はやめてください。
……本気なんですか?」
相変わらず優雅に微笑んだままの緋ノ宮。
彼女は円谷の言葉を受け答える。
「一つ、訂正させていただきますわ。
勝てるか分からない、なんて冗談はやめて下さいまし。
貴方程度なら、そうね…3人は居ないと勝負に成りませんわよ?」
「おいおい本気で言ってやがんな、流石にそりゃ傷つくが…面と向かって否定できねぇ」
「たっちゃん、マジで言ってるんですか……?」
「そんな当たり前の事は、どうでもいいですわ。
それより、これ以上話すなら場所を変えた方が宜しいのではなくて?」
たしかに、廊下の真ん中で立ち話をする内容でもないと思う星野。
「…場所を移しましょう、ボクについて来て下さい」
◇
4人は、星野に連れられて【放送委員会】の根城とも言える【放送室】に来ていた。
「あの女…宮内涼子は、生活指導教諭としての立場で【生活委員会】を操り、そして顧問である【ボクシング部】も支配下に置いて使い、裏で好き勝手やってきた悪女なんです。
教師のくせに、複数の男子生徒と男女の関係を持っている犯罪者、女として絶対に許せない、女の敵です。
たっちゃんは、入学直後からボクシング部に特待生として入ってたんですが、先輩たちにいじめられる1年部員たちをかばって対立してたんです。
でも、宮内とボクシング部、そして生活委員会の繋がりに気が付かないうちに、罠にはまって留年する羽目に……」
重々しく語る星野。
それに続いて、緋ノ宮が語り始める。
「この学校の”黒い噂”については、事前に調査してある程度は知っていますわ。
卒業生で、内申書におかしな点がある生徒がいますの…ご存知でして?」
「マジかよ…だが、あの女ならそういうのも、やってるかもしれねぇ」
「言ってしまいますけれど、その辺りのホコリを上手く叩いて、あわよくば私がこの学校を支配してしまおうかと思って、入学しましたのよ。
高校なんて何処に行っても、私が教わる事など有りませんから。
まあ、帝王学の実地勉強の為に利用させていただこうかと思いましたの」
「緋ノ宮さんの様な才女が、何故こんな落ちぶれ気味の元進学校に来たのかと不思議だったんです…ボクの想像通りの、ろくでもない人でしたね」
ギロリと緋ノ宮を睨み付ける星野。
それを事も無げに受け流すと、会話を続ける彼女。
「でも、其方にとっても悪い話では無くってよ?
上手く事を運べれば、この学校は”緋ノ宮の傘下”になり、その宮内とかいう害虫も追い出せる筈ですわ。
ここは一つ、協力するのが得ではなくって?」
「……ボクは、そんなにうまく行くと思えませんが」
「ふふ、私が何の勝算もなしに動くとでも?
あの校長を見ればお解りになるでしょう、既に根回しは進んでますのよ」
「恐ろしい女ですね、アナタは。
でも、あの【魔女】を追い出すには…その位でないと無理かもしれません。
それにもう一人……高橋さん」
言いながら高橋を見る星野。
眉間にしわを寄せたまま、彼はここまで一言も口を開かず様子を見ているだけだった。
「高橋さん、アナタは入学から数日で、たった一人で【生活委員会】を、ほぼ再起不能に叩き落としました。
その頭脳、洞察力、正直ボクはアナタに声を掛けるべきか迷いましたよ。
でも、アナタはボクが半年掛けて知り得た所まで、わずか数日でたどり着いてしまった。
ボクでは、どうする事も出来なかった…たっちゃんが、一人で頑張ってボロボロになって、留年させられて、夢だったボクシングまで奪われたのに、どうしようもなかったんです。
だから、あのビデオカメラの映像を見た時に、正直恐かったけど…すがるしかないと思って!!」
それまでの無力だった自分、助けられなかった目の前の円谷の事、怒りや悔しさが爆発し、星野の瞳から涙が溢れだした。
そんな星野を見る円谷も、怒りに拳を握りしめ、食いしばった奥歯がギリギリと軋む。
緋ノ宮も神妙な面持ちになり、星野が回復するのを待っている。
そんな中、今まで沈黙を守っていた高橋俊樹が、ようやく口を開く。
「お前達…………何の話をしている?」
「……はい?」
「……なんですって?」
「……おい、トシさんまさか」
何をいってるのか分からないといった星野。
空気を読まない言動に、ややヤンキー顔になるご令嬢。
そして何かを察した円谷。
そんな3人を余所に、高橋俊樹は言葉を続ける。
「いや、だからな……何の話かさっぱり分からんのだが」




