宮内涼子と生活委員会【3】
「さっき倒れた生徒は大丈夫だった?」
「うんうん、1年の男子だけど結構カッコ良かったよね」
「アンタたち、ウチは恋愛禁止なの。生活委員がそんな話してたら示しが付かなくなるわ」
やや語調を強めて言う咲良に、慌てて弁明する生活委員の面々。
全員が女性で構成されている生活委員だが、委員長の咲良は女子の中でも上位の勢力に居る。
機嫌を損ねて明日の居場所を失いたくない他の女子は、基本彼女に従っていた。
放課後、彼女達は薄暗くなるまで居残り、高橋が在籍する1-1組の教室に居た。
すでに残っている生徒は殆ど居ない。
「じゃあ、アンタたちは見張ってて頂戴」
「はーい」「咲良は容赦ないよねマジで」「ホントうける!」
何をするかと言えば、彼女たちは高橋に嫌がらせをする為に、この教室に来ていた。
生徒を指導する側の仕事とは真逆の事だったが、咲良は今までも涼子の為に何度となく似たような事を行ってきた。
彼女達にとってこれは、いわば聞き分けの無い病人に苦い薬を飲ませる様な事だった。
嫌がらせやいじめを受けた生徒は、その後必ず涼子を頼り、差し伸べたその手を取るだろう。
従順でない生徒に対する指導であり、咲良には罪の意識はない。
昼間、高橋を観察した時に席の場所は確認してある。
その、窓際最後尾の席まで行くと、入学直後で中身の無い机に、マジックで罵詈雑言を書きなぐる。
教科書でも入っていれば尚良かったのだが、あの機械の様な高橋の事、その辺きっちりと持ち帰る性格なのだろう。
この時、もう少し疑問に思って居れば、彼女の不幸は回避できたかもしれない。
それもまた、自業自得なのだが。
ひとしきり書きなぐるが、先程の事を思い出し怒りが湧き上がって来た咲良は、その勢いのままベランダから外に出て校庭に机を放りだした。
普段ならそこまでの事はしない咲良。
だが、机を外に放り出したこの行動が、後に涼子の首を絞めることになるとは、この時知る由もなかった。
「うひょー、咲良今日はマジ容赦ないじゃん」「キャーこわーい」「キャハハハ」
「ふん、これも最後にはアイツの為になんのよ」
とにかくこれで準備は出来た。
後は明日、困り果てた高橋の前に、涼子先生が手を差し伸べてあげれば奴も落ちるだろう。
あの氷の様な高橋の表情が、明日どんな苦悶の顔に変わるのかを想像して、思わず笑みがこぼれる咲良だった。
◇
翌日、校舎は朝から騒がしくなっていた。
既に半分以上の生徒は登校してきていたが、ようやく校庭に放置された机の存在に気が付いたらしい。
他の教師の誰よりも早く登校した涼子は、見て見ぬ振りをしていたソレに今気が付いたとばかりに、騒がしい廊下を抜けて1-1組の教室に駆け込んだ。
「どうしたの!? 何のさわぎ……?」
言いかけた所で、落ち着いた様子で自分の席に座っている高橋と眼が合った。
高橋は涼子を見ると、まるで要領を得たとばかりに一人頷くと、涼子の元に来て語り出した。
「先生、どうやら校庭に学校の備品がイタズラされ、放置されていた様です。
昨日、私の後ろに”余った席”が有りましたが、その机が無くなっていますので、もしかするとその机かもしれません」
心臓を掴まれた様な感覚、涼子の全身に悪寒が走る。
――気付かれた。
あの机が、1-1組にあった物だと分かる前に来てしまった。
それはつまり、この件に涼子が関わっていると言っている様なものだ。
そして、眼が合った時に分かった。
これもすべて、高橋俊樹の仕組んだ罠だったのだ。
ヤツは、こうやって犯人がのこのこと現れるのを待ち伏せていた。
そして教室にきた涼子を一目みて、彼女の関与に気が付いた。
そもそも、机がこうやってイタズラされる事を予想していなければ出来ない。
入学間もない高校生に、そこまで予測できるものだろうか。
恐ろしく先見性が有り、頭の回る男だ。
そして犯人に関わる人物を前に、今も変わらず表情を変えない冷静さ。
ただの秀才ではない、悪魔の様な天才。
緋ノ宮など目ではない。
真に関わるべきでないのは”高橋俊樹”だったと、涼子は後悔した。
だが、まだだ。
決定的な証拠が出た訳では無い。
内心の動揺を必死に押し殺し、高橋や他の生徒に向かい話す涼子。
「予備の机、そうだったの…不幸中の幸いかしらね。
とにかく、後は先生が何とかしておくから、皆は余り騒がないで頂戴ね」
涼子は言い終わると、足早に校庭に向かって行った。
◇
放課後、咲良は一人で高橋に呼び出されていた。
今日は何人かの生活委員が急に休んだ為、委員としての活動は休みにすると、涼子から説明が有った。
その時に、今朝の事は涼子から聞いている。
あれほど狼狽した涼子先生を見たのは初めてだ、そう咲良は思った。
そしてそれ以上に、恩師をそんな目に遭わせた高橋に怒りが湧いてきたが、涼子からは下手に刺激しない様に事前に言い含められていた。
何を言われようと白を切り、出来るだけ会話は避ける様に。
曰く、”高橋俊樹は底が知れない”と。
そして、それは正解だったと咲良は思い知ることになる。
「こ、これは…隠し撮り、してたのね……!」
画像の位置から、おそらく前の席にカメラを仕込んでおいたのだろう。
携帯端末にコピーされたと思われる動画を見せられ、狼狽する咲良。
それでも気丈に振舞おうと、隠し撮りなどという表現を使うが、自分の事を棚に上げている事には気が付いていない。
用意周到にも程がある男だ。
中学を卒業したばかりとは思えない、どれ程の修羅場を経験すれば、ここまで用心深くなれるのか。
その行為に、咲良は高橋という男の”深い闇”を見た。
だが、高橋は動画が終わると迷いなくそれを削除してしまった。
それを見て一瞬驚いた咲良だが、すぐに理解する。
すでに同じものが、別の場所に保管されているのだと。
主導権は完全に、高橋の手に握られていた。
「先輩、今回の件については、不幸な間違いがあったと私は思っています。
聡明な貴女なら、今後どうすれば良いか。
私如きが言わずとも理解して下さるとも思っております。
私は、ただ平穏に学校生活を送りたいと思っているだけです。
……貴女が尊敬する宮内先生も、そう思っているのでは?」
その言い方に咲良は確信した。
この男は間違いなく、涼子先生が関与した事に気が付いている。
それをネタに咲良を呼び出し、脅そうとしたのだ。
何の為に? 相変わらず表情を変えない高橋の意図は知れないが、自分と涼子先生に害をなそうとしている、その事だけは確かだ。
咲良自身は良い、だが恩人でもある涼子先生まで巻き込もうとする高橋に激しい怒りが湧き上がる。
それが、自分達の行いの結果だという事には、眼を背けながら。
「この、少し弱みを握った程度で! アンタの言いなりになるなんて思わないで!!
アンタが何かしようとしたら、アタシが道連れにしてでも地獄に落としてやる!! 覚悟しなさい!!!」
地面に置いたバッグを乱暴に掴む。
振り回したバッグが高橋に当たるが、気にせずその勢いのまま踵を返して立ち去る咲良。
だが、この逃げとも言える場当たり的な行為が、後に彼女を絶望に追いやる事になるのだった。