勝負
日野翔太と話し合った翌日の昼休み、風紀委員会室。
「いくら”おっぱい”が怖いからってオトコに言い寄るなんて最低!!
翔太のアホ!! 野獣!! BL!! うえぇぇぇぇぇぇん!!!」
「ああ!! 待って逃げないで!! その誤解はシャレにならない!!」
「まりちー! 食べ物は投げちゃダメだよーーーーー!!」
両手に持っていたメロンパンを、翔太の顔面に投げつけて逃げ出したのは、朝日麻莉奈。
それを翔太と桃井由香が追いかける、いつもの微笑ましい光景が、俊樹の目の前で繰り広げられていた。
昨日、翔太が人相が悪いと言ったのを根に持っていた龍成が、ふざけ半分で翔太に絡んでいた時。
話の流れで「友達ならオレの良い所上げてみろよ」と龍成が言った。
素直な翔太は、龍成がぶっきらぼうな言い方ながらも、風紀委員に来た時から色々教えてくれた面倒見の良さ、などを例に挙げる。
褒められてまんざらでもない龍成に、「だから、最初会った時から龍成君の事は好きですよ」と翔太が言った時、丁度いいタイミングで麻莉奈が入って来たのだ。
その時の体勢もまずかった。体育会系な龍成のノリで、まあ肩組んだりと距離感が近かったのだ。
それを色々と、風紀に反する方向に誤解した麻莉奈が、何時ものように逆上して逃げ出したのだ。
しかし、流石にアレだけで誤解されるのはいかがなものか、雰囲気で判るだろうに。後、いつも廊下は走るなと言っただろう、と思う俊樹。
室内の空気が落ち着きを取り戻すと、取り敢えず麻莉奈が投げた2個のメロンパンを拾い上げ、軽くホコリを払う様に叩いてからテーブルの上に置いた。
ふと、珍しく疲れた様子の龍成と目が合う俊樹。少し気まずい空気が流れる。
「トシさん、オレにアッチの趣味はねぇからな……」
「ああ…分かっている。
しかし、朝日は何故昼飯がメロンパン2個なのだ?」
「確か『御利益』とか言ってたぜ」
メロンパンを食べても、胸がメロンになる訳は無いのだが。
その、藁をも掴む様な麻莉奈の努力。
見ている方まで涙を誘う。
豊胸のコツを調べておくか、と思う俊樹だった。
「そういやトシさん、何で今日は風紀委員会室で飯食おうなんて言ったんだ?」
「今日は昼の放送で『風紀委員会活動報告』が流れるからな」
「あの録画したヤツだな」
毎週、風紀委員会からのお知らせという事で、放送委員会にお願いして週一回、放送枠を貰っているのだ。
昼休みは時間が限られるので、前もってカメラに録画し、それを流してもらっている。
それに、失敗できない生放送ではハードルも高い。
「クラスメイトが居る中で、自分の姿がモニターに映るのは気恥ずかしくてな」
「そりゃそうだ」
言いながら笑い合う俊樹と龍成。
翔太達が出て行った為、今この部屋に居るのは二人だけだった。
華凛は自分のクラスである1−6組に居るのだろう。委員会活動では無いので、特に声は掛けなかった。
翔太は移動中に出会ったので、そのまま流れで付いてきたが、それを知った由香と麻莉奈がやって来て、あの騒ぎになった。
麻莉奈がメロンパンを取りに来るのか、少し心配な俊樹である。
そんな事を考えていると、ドアをノックする音が部屋に響いた。
この【風紀委員会】のドアをノックする人物は、今の所は少ない。
頻繁に来る部外者の芽々はノックなどしないし、教師以外の関係者もノックの習慣があるのは俊樹位だ。
何と無く、誰が来たのか予想が付いた俊樹は、やや躊躇しながらも、どうぞと声をかけると、静かにドアが開く。
そこにはやはり、黒髪をポニーテールに纏めた3年の女子、橘絢歌の姿があった。
制服姿の彼女は、可憐で凛としたスミレの花の様で、日曜のクールで大人びたパンツスタイルとは違う魅力を出していた。
表情に乏しいく分かりにくいが、若干頬を染めた彼女。
普段の余り表情を変えない絢歌を知る人間が見れば、その変化に驚くであろう。
「えへへ、来ちゃった」
◇
立ち話も何なので、絢歌に席をすすめる俊樹。
用件は大体分かるが、どうしたものかと思っていた。
「アヤ先輩、さっきのセリフは芽々の入れ知恵だよな?」
「うん、なんで…わかったの?」
「余りに似ていたからだ。アヤさん」
独特の間が有る話し方も消えるほど、かなりレベルの高いモノマネだった。
芽々は、『こういう感じでいけば掴みはオッケーですよ!』などと言っていたのだが、それをそのまま本人レベルで真似てしまったので、誰のセリフなのかバレバレなのだった。
絢歌の思わぬ特技に出鼻を挫かれつつも、用件を聞きだすべく話を切り出す俊樹。
「それで、アヤさんはどういったご用件で?」
「うん。アヤ、風紀委員会に入ります」
「それは決定事項なのか」
有無を言わせない言い方に、半ばあきらめつつも、一応確認をするべく話を進める俊樹。
「アヤさん、貴女は引退するとはいえ【弓道部】に所属しているでしょう」
「昨日、辞めてきた。だから、大丈夫」
「ああ、だから今日になったのだな」
絢歌の様子から、翌日にでも来ると思って居た俊樹。
一日開いたのは、色々と準備をしていた為だと知り、納得する。
「書類も、全部書いて来た。後は…トシ君だけ」
そう言われて出された書類を見れば、俊樹のハンコを押す欄以外全て埋まっている。
校長のハンコまで押してあるのはどういう事なのだろうか。そこは最後の筈だが、どうやって押させたのか。
婚姻届を手に、結婚を迫られている様な錯覚に陥る俊樹。
まだ未成年で結婚出来ない歳だが、絢歌なら実家の住所を教えようものなら、適正年齢になった瞬間に保護者の同意書を獲得してきそうだ。
うっかり現実から逃げそうになった思考を、元に戻す俊樹。
一応、絢歌が来たら説得するつもりでいた俊樹だが、こうなると考えていた断り文句も全て無駄だ。
そう、戦う前から勝負が決まっていた。絢歌の重い女としての実力は、既に”孫子”並みなのではないだろうか。
だが、もう一つ確認しなければいけない事がある。
「アヤさんのやる気は、まあ、凄く分かった。
だが、それでも最後に確認したい。
日曜日の件でも分かると思うが、我々は【宮内の事件】で、一部の生徒や元生徒等に恨まれている。
一緒に居るだけで、逆恨みに巻き込まれる可能性もある。その時、都合よく助けられるかも分からない。
それでも貴女は、【風紀委員会】に入りたいと?」
「うん、それでも入る」
『入りたい』では無く、『入る』と断言する絢歌に苦笑いしながら、俊樹は最後に自分の気持ちを語り出す。
絢歌も俊樹にとって、もう【友達】だ。
「…正直に言うとな、個人的にアヤさんを危険な目に遭わせたくない。
これは、貴女の友人としての、嘘偽りない気持ちだ」
「…トシ君と、仲良くなりたいの」
「別に、友人として会いに来るなら構わないし、連絡先位なら教える。
【風紀委員】にこだわる理由は無いと思うが」
「それはそれで、言質は取ったけど。それダケじゃ駄目」
「なっ……!!」
ペースを崩された為か、恋する重い女の前で、迂闊な発言をした俊樹。
何と切り返そうか迷っていると、真剣な面持ちになった絢歌が、何時の間にかすぐ傍に居た。
「アヤがおかしくなって、自棄になった時に、君は怒らないで話を聞いて、聞いた後に叱って、アヤは悪くないって一緒に泣いてくれた。
年下の君に、お父さんみたいに、頭を撫でられて、凄く嬉しかった」
普段より饒舌に話す、絢歌の真剣な雰囲気に押され、俊樹も龍成も息を殺し唾を飲み込む。
「そうやって、閉じこもってたアヤの殻を、全部壊してくれた。
だから、アヤは好きになった」
「トシさん、トシさん、今先輩に告白されたんじゃねえか?」
「いや、違うだろう。名前言って無いし」
「うん、まだ告白してない」
告白では無かった様だ。
そんなわけあるか、と内心突っ込みたくなる龍成だが、俊樹の目は泳ぎまくり、正常な思考を保てていないのが傍目でも分かる。
完全に主導権を握った絢歌が、言葉を続ける。
「…でも、今はまだ駄目。
トシ君の殻は、アヤよりずっと硬くて、重なって、分厚いから。
どんなに頑張ってもアヤの好きは、トシ君の心まで届かない」
その言葉に、ズキリと胸に痛みが走る俊樹。
前世での断片的な記憶。
幸せだった時の彼女の顔、楽しかった思い出、そして裏切られた時の胸の痛み。
良くも悪くも想いが強い出来事ほど、しっかりと思い出す。
その度に、自分では女性を幸せに出来ないのでは、そんな感情で全身を締め付けられた。
自分が幸せになる方法は分からない。だからせめて人には幸せになって欲しいと思う。
その矛盾した感情が、俊樹のお節介の原動力でもあった。
ふと、目の前にいる絢歌を見る俊樹。
彼女は泣いていた、泣きながら怒っている様な顔にも見える。
そこには、絶対に自分を曲げないと言う意思が感じられた。
「学校に居られる時間、アヤには残り1年も無い。3年生には、受験もある。
だから、全力で走る。走って殴って、的に届くまで壊す。
もう道を間違わない、迷わない。真っ直ぐ行く。
ずっとトシ君の隣に居たい。
風紀委員なんて関係無い、君の居るとこが、アヤの居場所。
トシ君が行くなら、何処にだって行く。
アヤの恋、誰にも邪魔させない。
トシ君が邪魔するなら、君にだって…負けない!」
正面から、きっぱりと言い切る絢歌。
不意に、俊樹の口から、小さな笑い声が漏れた。
その清々しい表情に、どんな意味があったのか、言葉では表現出来ない。
まだ、トラウマを克服出来た訳でも無いが、ふと思った言葉がそのまま口に出てしまう。
「今回は、負け、か……」
「うん、アヤの勝ち」
「…私は手ごわいぞ、正直女子は苦手だし、結婚したら男なんぞ銀行扱いされるものだと思ってる」
「大丈夫、アヤが養うから」
「勘弁してくれ……」
ゆっくりと立ち上がる俊樹。
後ろの方では、珍しくコテンパンに言い負かされた俊樹を見て、龍成が必死に笑いを抑えて居る。
それを横目で見ながら苦笑いをしつつ、右手を絢歌の前に出し、お決まりのセリフを言う。
「歓迎しよう、ようこそ風紀委員会へ」
「うん…よろしくね」
ポニーテールを揺らしながら、普段見せない笑顔を見せる絢歌。
それを意識したのか、少し手をそわそわとさせる俊樹。
絢歌の細い指が、その手を握りしめた。
後に名簿に記される、【清崚高校 第一期風紀委員会】のメンバー5人が揃った瞬間だった。




