カニ漁
「ちょっと大変じゃないですか!! 怪我してないんですか!?」
「落ち着け日野、我々を見れば判るだろう」
「円谷君が、手を擦りむいた程度ですわね」
「ああ、ぶん殴った時にあのヤロウのピアスが引っ掛かってよ」
勿論、この場に居ない星野芽々と橘絢歌にも、特に怪我はない。
「そうだな…続きを話す前に、日野には少し説明が必要か。
でなければ、理解出来んだろう」
「えっと、俊樹さん何の話ですか?」
そう言うと、一口お茶で喉を潤す俊樹。
俊樹にしては、もったいぶった言い方だった。
「話が変わるが、この風紀委員会で私が会長な理由は、まあ何となく分かるな?」
「ええ、まあ。今学校で俊樹さんを知らない人なんて、居ないと思いますから」
「じゃあ、緋ノ宮が副委員長なのは何故か分かるか?
実は最初私は、龍成を副委員長に推したのだ。
だが龍成本人が嫌だと言い出した」
「ガラじゃねえからな」
「龍成君が自分に似合わないっていうのは、俺も分かりますが」
「まあ、それだけでは無い。
龍成は、華凛の上でやる自信は無いと言ってな」
「はあ、まあ…それも分かりますよ」
実際、国内有数の財閥のご令嬢であり、学年でも俊樹に並ぶ才女である緋ノ宮華凛。
家の権力を除いても、彼女自身尊敬に値する能力を持っているのは、日野も知っていた。
「いいや、日野。お前は”円谷龍成”という男の価値観を分かっていない」
「え? どういう事ですか??」
「これは、龍成から説明してもらった方が良いだろう」
そう言って龍成を見る俊樹。
華凛は特に口を挟むでもなく、微笑みを浮かべているだけだ。
別に俊樹の口から説明しても良いのだが、華凛の前で本人の事を遠慮なく言うのは憚られたので、なんとなく押し付けてしまったのだ。
「まあ別に難しい話じゃないぜ?
やっぱ言っておかねぇと、日野には分かんねぇか。
あのな? お嬢はオレなんかより、メチャメチャ強えんだよ。
自分より強いヤツの下につくのは、当然だろ?」
「……龍成君、今何て言いました?」
◇
「…おい、何が起こってんだ」
セイジにすれば突然の出来事だった。
不良達が動き出そうとした時、端の方に居た一人が宙を舞っていた。
背中から派手に落下した男は、肩が外れおかしな方向に曲がった腕を抑えて、泣きながら悲鳴を上げている。
その後ろにいた男も間を置かずに悲鳴を上げる。彼の右手の指は3本ほど反対側に曲がり、右足は膝から真横に曲がっていた。
3人目が華凛の掌底を顔面に受けて崩れ落ちた所で、ようやくセイジの頭が状況に追い付く。
そこには白いワンピースを着て、腰まである長い黒髪をなびかせる緋ノ宮華凛が居た。
何時の間にかその手には、白地に金の刺繍が施された革製のグローブを付けている。
「ああ、この手袋の事でしたら、貴方達は酷く臭いし汚いので、直接触りたくないでしょう?
でも、それは生まれ付きでしょうから、今から綺麗に生まれ直せと言っても無理でしょう?
だから私がこうやって譲歩して差し上げてますの、有り難く思いなさい」
話しながら、足元に転がった不良の膝を勢いよく踏みつける華凛。
骨の折れる鈍い音と悲鳴が上がる。
その拍子に、華凛の白いワンピースの裾から、鍛えられた足と白いスパッツが垣間見えた。
「オイ、女ぁ! ふざけた事言ってんじゃ――!?」
セイジが言葉を続けようとした時、一瞬で華凛の姿が消える。
龍成でも反応出来ない速さで動いた華凛、武道を修めた人間になら『初動が分からない』と言われる動きだった。
そのままセイジの眼球を素早く打つ。
視界を奪われたセイジは、訳も分からない内に背中から投げ落とされた挙句、顔面を踏みつけられた。
セイジが余りの痛みと流れ出た鼻血に、声も出せずにいると、不意に背後が騒がしくなる。
見れば、何時の間にか唯一の出入り口に黒いワゴン車が止められ、完全に塞がれている。
車からは今まさに、黒服を来た屈強な男達が、統率された動きで次々と出てきている所だった。
「お嬢様、2人でした」
「そう、それで連れてきたの?」
「ええ、ですが思いの外軟弱でして。正直ご期待に添えないかと」
「まあ、仕方ありませんわね」
後ろにいた黒服が、二人ほどの男に猿轡をかませて連れてきた。
彼らは、セイジが見張りとして表に置いて来た部下だった
ガタガタと震えて顔に痣をつけた彼らは、既に戦意は残っていないのが一目で分かる。
「お嬢様、申し訳ありませんが刃物は取り上げさせて頂きます」
「それだと、物足りないですわねぇ」
「余りお遊びが過ぎますと、我々も困ります」
「分かってますわ、それでもケーキ3つ分位の運動にはなるかしら?」
「いささか、足りないかと」
「はぁ、そうですわね」
話している間にも、やってきた黒服たちは次々とセイジ達を制圧し、隠していた刃物まで取り上げた。
すでに俊樹達の周りは黒服のボディーガードたちがガードしており、絢歌はその突然の出来事を呆気に取られながら見ていた。
「ねえ…トシ君、何が、起こってるの?」
「いや、重ね重ね巻き込んで済まない」
「あー、オレの仕事も終わりか。まあ正直、今回はちとヤバい相手だったから助かったぜ」
「ああ! あやさんも一応コレ持ってて下さいね!!」
どうぞ! と元気よく星野芽々が渡してきたのは、護身用のスタンガンだった。
安全装置の解除法や使い方を、慣れた手つきでレクチャーする芽々。
「オイ! お前らオレさまを無視してんじゃ――。」
華凛に踏みつけられた時に出した鼻血を、拭きもせず立ち上がるセイジ。
だが、言い終える前に一瞬で踏み込んだ華凛が、数度その顔を打つ。
喋ろうと口を開けたままだったセイジのアゴが、そのまま閉じる事なく斜め下にズレた。
「あががが!!あ″っ!!がががば!!」
「五月蠅い、許可なく喋るなウジ虫」
普段俊樹たちに向けられる声とは全く異質な、冷たい無機質な声に、その華凛を初めて見た絢歌は背筋を凍らせる。
思わず、先程セイジ達が現れた時よりも強く、俊樹にしがみ付いた。
「アヤさん、アレが我々に向けられる事はないから、安心してほしい」
「う、うん…かりんちゃん強いから、びっくりしただけ……」
既に不良達の武装は解除されたが、何故か拘束されることなく黒服たちの輪の中に集められて居た。
リーダー格のセイジが痛みにのたうち回る姿に、最初の威勢は消え去っている。
既に龍成に倒された薮内だけ、輪の外に転がされていた。
「だからヒロが、オンナに手は出すなって言ったのによ、なぁ?」
「いや、オレだって、あんな化け物女だとは思わなかったぜ……」
そもそも薮内は、龍成と俊樹だけをターゲットにしていた。
それは、オンナに手を出すのはクズのやる事、という薮内のちっぽけな美学も有ったが、かつての学校仲間が必死に『緋ノ宮華凛と言う女には絶対手を出すな』と訴えていたからだった。
ただ、薮内は華凛と面識が無いので、どの女子が華凛か分からない。
だから自分の取り巻きにも『オンナには手出し禁止』とだけ言っていた。
もっとも、セイジがその事を聞いていても信じなかっただろう。結果は変わらない。
そして、集められた30人の不良達の前に、緋ノ宮華凛が歩み出る。
その傍らには、執事の恰好をした男性が居た。
真っ白な髪の60歳前後の、初老の紳士といった感じだが、立ち姿はやけに存在感が有る。緋ノ宮家に長年仕えてきた、菱方 佐助という使用人である。
半分ほど中身を減らしたスポーツドリンクの容器を佐助に渡しながら、華凛は問いかけた。
「佐助、このウジ虫共はさっき、”緋ノ宮”に何と言っていたかしら?」
「はい。お嬢様方を駄賃に持って帰る、などと宣っておりました」
「佐助、その後どうすると言ったのかしら?」
「はい。持って帰って遊ぶ、そう宣っておりました」
「佐助、そんな身の程を弁えない汚物共は、どうすればいいかしら?」
「死が救いと思うほど、償いを刻み続けてやらねばなりません」
「まあ、それはステキ! さすが佐助ね!」
喜色満面の華凛と、仮面の様に表情を変えない佐助。
その笑顔のまま、すっかり萎縮した不良達に向けて華凛は語り出す。
「”警察に逃げ込める”と思わない事ですわ。
”死んで逃げられる”と思わない事ですわ。
先ず、この”緋ノ宮華凛”が手ずから罰を与えます、光栄に思いなさい。
肉を断ち、骨を断ち、心を断つ。
気絶出来るなんて、思わないで下さいませ?
逃げられる、なんて希望も有りませんわよ?
勿論それで終わりでは無く、あくまで始まり。
そうそう、落ちてる鉄パイプはご自由にお使いくださいな、少しはマシになるでしょう。
みっともなく足掻いて、せめてケーキ2個分位は私に運動させなさい。
それではウジ虫の皆さま――、ごきげんよう」
◇
「その後は酷かったな、蹂躙と言えば良いのか……。
逃げようとする奴は、周りの黒服に押し戻されてな。
全員華凛に、どこかしらの骨を折られて、立って居る者がいなくなると、そのまま緋ノ宮家の黒服に全員連れていかれて……終わりだ」
「まったくよ、オレに殴られるダケで終わりゃあ、もっとマシだったのになぁ」
「あの、信じられないんですが……」
話しだけ聞けば誰でも同じ感想を述べるだろう。
だが、華凛はわざわざ佐々木達の尾行の為に、機材人材を惜しげも無く投入するような娘。
そんな財力を持つ緋ノ宮家が、ボディーガード無しで華凛を行動させる事など無い。
実際、俊樹達に気が付かれない様、常に数人が警護してた。
華凛本人が恐ろしく強いので、普段は余り警護の意味は無いのだが。
「おめぇな日野、お嬢を良く見てみろ。
足なんかスカートだから良くわからねぇが、アスリートみてぇに太くなってんだぞ」
「円谷君? 今”足が太い”とおっしゃいました?」
「あ、いや、すまねぇ。悪かった肩から手を放しいででででで!!」
座っていた椅子から、まばたき程の瞬間で龍成の背後に回った華凛。
女子に『太い』と言う単語は禁句だと言ったのに、と内心溜息を付く俊樹。
これからも女子の生態に関して、より力を入れて指導しなければと、余計な気持ちを新たにしていた。
ともかく、肩に親指をめり込ませる華凛と為す術無くやられる龍成を見て、翔太も信じる気になった。
「本当に強いんですね、緋ノ宮さんそんなに綺麗なのに……」
「あら、日野君は正直ですわね。おほほほほ」
機嫌が良くなり、龍成を解放する華凛。
イケメン日野のファインプレーである。
「つまり、最初からそうなるって、全部分かってたって事ですか?」
「そうですわね」
そうでなければ、いつもは高級車に乗り移動する華凛が、『運動しながら帰る』などと言い出す訳がない。
薮内達が後を付け回していた事を、当然ながら緋ノ宮の警護は察知していた。
それが、【宮内涼子事件】で退学した元生徒だと分かった段階で、禍根を残さない為にも一網打尽にすべく、自分達を囮に使ったのだ。
普通のご令嬢なら絶対に許可出来ないが、護衛達も華凛の実力を知っている上に、反対すれば『緋ノ宮を侮るのかしら?』と言う華凛。
その詭弁に、立場上誰も反対出来ない。精々、刃物NGにする程度だ。黒服の皆さんは苦労人なのだ。
唯一、意見出来そうな使用人の佐助は、『その程度で負けるのであれば、緋ノ宮を名乗る資格無し』と、武闘家みたいな事を言う始末。この爺さんも何かヤバイと俊樹は思っている。
まあ、そんな状況に護衛達も馴れてしまっているのだが。
「それで、襲ってきた連中はどうなったんですか?」
「気絶しない様に痛めつけた後、全員の急所にストンピングしましたので、少しは気が晴れましたわ。
何人かは不能になったかもしれませんわねぇ。
今は骨折で、緋ノ宮傘下の病院に入院中ですわ。
退院したら入院費返済の為に、カニを捕りに――」
「日野、それ以上突っ込んで聞くな」
「あ、すいません」
股間を抑えながら華凛の言葉を遮る様に、翔太を注意する俊樹。
翔太も同じような体勢で頷く。
そしてカニ漁とは、北の海に行くアレの事だろう。
退院が無駄になるかも知れない、と思う俊樹だった。
「最初の薮内たちは更生出来そうだから、そこまで扱いはひどくねーよ。
怪我も打撲だけだしな」
「あの方達だけでしたら、私の出番は無かったのですけどね。
吉蔵君のお陰で、実戦訓練の機会が出来て良かったですわ」
「華凛、吉蔵とは誰の事だ」
「セイジさんの本名ですわよ」
「あの金髪ピアス偽名だったのかよ」
すでにカニ漁への出稼ぎが決定している吉蔵君。
果たして、更生し立派なカニを捕れる様になるのだろうか。
まあ、余罪も有りそうな人間を、緋ノ宮が自由にする可能性は低いだろう。
その前に、北の大海原でカニのエサになってしまうかもしれないが。
「さて、ここまで話した内容を踏まえて、日野に聞きたい」
「はい、何ですか……?」
俊樹の真剣な雰囲気を察し、翔太も気を引き締める。
華凛と龍成も、俊樹の言葉を待つように口を閉ざした。
「聞いての通り、我々【風紀委員会】は厄介事に巻き込まれやすい。
それも全て【宮内涼子事件】に端を発している。
そして今後も、似たような事が無い、とは言い切れない。
その上で日野翔太、お前はまだ【風紀委員会】に入る事を希望するか?」
「俊樹、さん……」
翔太の名前は、未だ風紀委員会の名簿には載せられていない。
俊樹達と違い、翔太は【宮内涼子事件】に関わっていないのだ。
その為、俊樹は翔太の委員会入りを直前で保留、危険性を説明した後に改めて問いただす事にしていた。
翔太に関しては校内での活動に限定するつもりだったが、それも絶対とは言い切れない。
そして今日、ある程度【風紀委員会】を理解したであろうと判断し、その上で最後の判断を翔太にさせる事にしたのだった。
俊樹と翔太の間に、重い沈黙が流れた。