工事現場
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
厳しい眼で睨み、捲し立てる様な口調で罵る彼女。
私はそれを甘んじて受け入れている。
一般的に見れば私に非は無い。だがやはり私が悪かったのだろうかと思う。
いや、逃げたのが間違いだったのだろう。
しかし、私は逃げずには居られなかった。そこまで心が強くは無かった。
見て見ぬふりをすれば良かったか? それも無理だ。
人間は、見知らぬ他人には無関心でも、愛する人に対しては狭量になる。
結局、彼女があらん限りの罵倒を私に向けるのは、ある意味間違いでは無いのだろう。
つまりこれは、私が受けるべき”罰”なのだ、と思った。
◇
目の前に湯呑が置かれる。
その小さな音で、俊樹の意識は覚醒した。
隣では、人数分のお茶を用意し終えた緋ノ宮華凛が、令嬢らしからぬ音を立てながらお茶を飲んでいた。
風紀委員会室には俊樹と華凛の他、円谷龍成と日野翔太の4人が居る。
昨日、結果的に別行動になった日野の報告を聞き終え、のんびりとしていた所だった。
「しかし、日野君も昨日は本当に大変でしたのね? 主に俊樹さまのせいで。
本当に、余りあの男の言う事を真に受けては駄目ですわよ?
今後無茶を言われたら、私に相談してくださいませ」
「あはは、大丈夫ですよ……」
笑顔のまま座った眼で俊樹を睨む、という器用な芸当をする華凛。
何の話かといえば、当然日野のメロンに関するトラウマの話だ。
直接的な原因は小西君なのだが、発案者は俊樹なので。
まあ、俊樹自身も用事があり、小西君に任せてその場を離れていたので、稽古をしたという事以外知らないのだが。
小西君からすれば、何の他意も無く健全に稽古をしたのだが、豪快で真っ直ぐな性格の小西君は、素人相手にも稽古に熱が入り過ぎてしまったのだ。
もし俊樹が見ていれば途中で止めていたかもしれない。その点は俊樹も反省しているのだった。
「それで、俺達はそのまま帰ったんですが、俊樹さん達もあの後すぐ帰ったんですか?」
「いや、あの後帰りにな――」
言いかけた所で、ドアをノックする音が部屋に響く。
どうぞ、と華凛が声を掛けると、ガチャリとドアが開いた。
入って来たのは、立派な袈裟をかけた”お坊さん”だった。
中々、徳の高そうなお坊さんである。
年のころは40歳前といった所だろうか。つるりと剃った頭が輝いているが、細めの眉をした凛々しい顔立ち。若いころはモテたであろう、中々美形な壮年の男性だ。
「お邪魔してすまないね。緋ノ宮さん、委員会の活動後で良いから、校長室に来てくれるかい?」
「ああ、例の件ですわね。分かりましたわ」
僧侶スマイルを浮かべたまま、それだけ伝えると立ち去るお坊さん。
残された面々の間には、何とも言えない空気が漂う。
「今日は作務衣じゃねぇんだな」
「来客でもあったのだろう」
「みんな平然としてますけど、俺まだ慣れないです」
「おほほほ」
特に宗教系でもないこの【清崚高校】で、何故お坊さんが校長なのかは色々あるのだが、概ね生徒には好ましく受け入れられている。
問題が有るとすれば、この住職校長は毎朝校門前に立ち、合掌して生徒達を迎えているので、その有り難さ故か、登校する生徒達も立ち止まって拝んでしまう。
お陰で、朝は校門付近が渋滞してしまうのだった。
「まあ、話を戻そう。
あの後アヤさんも連れて、華凛と星野オススメのスイーツ店に行ったのだがな。
星野が5人前のケーキを平らげるのを見せられて、こっちの胃がもたれてきたので、帰る事にした」
「星野先輩は、本当良く食べますね」
「あの小さい身体で感心しますわね」
「…いや、お嬢も3人分は食ってるじゃねぇか」
星野芽々も華凛も、まだまだ余裕はありそうだったので、実際にはあと5人前は軽いと思われた。橘 絢歌はベリー系のケーキ一個だったので、女子が全員そこまで食べる訳ではないと思う。
よく、甘いものは別腹と言うが、腹が別でも消化吸収される身体は一つだけだと言いたい俊樹。それで余分な肉が付いても自業自得なので、余計な事は言わないが。
「それで、華凛が少し運動しながら帰りたいと、今更な事を言い出してな」
「俊樹さま、何か問題が?」
「い、いや。なんでもない。
そういう事で、一駅分散歩して帰る事になり、5人で歩いていた訳だが、途中で不良30人ほどに絡まれた」
「……俊樹さん、今何て言いました?」
◇
「工事現場の資材置き場とは、ステージに捻りが無いですね」
「あら、私は好きですわよ。こういうベタな場所」
「トシ君、アヤの後ろに、隠れて」
「…あまり煽るな、女子三人」
「てかよ、全員オレより後ろ下がっててくんねぇ? 一応あぶねーし」
日曜日の為、人気のない工事現場。
周囲は防音も兼ねた板壁に囲まれており、外から中の様子は分からない。
俊樹たちと対峙しているのは、10人程の不良グループ。
緊張した面持ちの俊樹とは裏腹に、女性陣の方が堂々としている。何故なのか。
橘絢歌なども最初は怯えた様子だったが、今は後ろに庇おうとしていた俊樹を押しのけて前に出ようとするので、それを抑えるので忙しい。
結果、円谷龍成が一人前に出ると、後は全員横並びになる。
思いの外堂々とした相手の態度に、不良達は戸惑う者や苛立ちを隠さない者、様々な反応を示す中、一人の男が前に出てきた。
その見覚えのある顔に、円谷龍成は声を掛ける。
「よお、久し振りだなヒロ」
「随分と余裕じゃねぇか、あぁ? 龍成よぉ」
ヒロと呼ばれた男、かつて龍成と同じボクシング部に所属していた薮内 克広だった。
「おお、わりぃな。今日はもうオレの仕事ねぇかと思ってたからよ…つい嬉しくてな!」
「ふざけやがって…テメェとな、そこの高橋とかいう野郎には、いっぺんケジメつけさせねぇと気が済まねぇんだよ!」
「そんで、ぞろぞろと団体さんで登場ってか? 情けねぇヤツだなオイ」
「あぁ!? テメェ今の立場わかってんのか!?」
「お友達の付き添いがねぇと、お出かけ出来ねぇお坊ちゃんにビビる訳ねぇだろ? むしろテメェがビビッてんだろうが、笑えるぜ!」
「あぁ!? こいつらはなぁ、テメェが逃げ出さねえ様に連れてきたんだよ!!
学校に居た時からテメェは気に入らなかったんだ! 今日はリングもグローブもねぇ、テンカウントなんてお優しいルールもねぇ! ブチのめしてやる!!」
「おいおいマジでお優しいことだな、後ろのお友達と一緒に遊んでやってもいいんだぜ?」
「うるせえ! テメェがやれんのはリングの上だけだ! ケンカならオレに勝てる訳ねぇだろうが! オラ死ねやぁぁぁぁぁ!!」
龍成の煽りに、ギリギリと歯を軋らせて怒りをあらわにする薮内。
やや体格で勝る薮内は、一見すると龍成より有利に見える。
「たっちゃんも上手く煽りますねー、何か不良マンガみたいな展開ですよ」
「ねえ、メメちゃん。ああ言ってるけど、大丈夫なの?」
「あやさんは、もう少し後ろに下がってくれ」
「円谷君ならあの程度の三下に、苦戦する事も無いですわよ」
実際、その後の龍成の動きは凄まじかった。
薮内の繰り出すパンチや蹴り、破れかぶれのタックル全て躱しながら的確にパンチを当てる。
ものの5分程で地面と薮内は一体化していた。
「本当に凄まじいな、龍成は」
「さすが【清崚のクレイジードラゴン】ですわね」
「なに…その物騒な、あだ名」
「ボクが考えて広めました!」
「おいメメ、うるせぇから静かにしてろ」
その様子を這いつくばりながら苦々しく睨む薮内が、立ち上がろうとして崩れ落ち、再び仰向けに倒れ込んだ。起き上がる余力も無い様だ。
「ふざけやがって、てめ…何で顔、殴らねえ……」
「あぁ? 素手で顔面殴ったらオレのコブシがいてぇだろうが。
それによ、そんだけハラ殴られりゃもう立てねえだろ?」
「クソが、アホな事いいやがって…あれで手加減してたって事じゃねぇか……」
「そんだけボディ喰らって、ゲロ吐かねぇだけ大したもんだと思うぜ?」
「チッ、クソ、ざけ、んな……」
言ったきり、薮内は糸が切れたように動かなくなった。限界だった様だ。
グループの中で最も強かった薮内が、目の前で子ども扱いされ、残る9人の表情は怯えた顔に変わっていた。
「…んで、お前らどうすんだ? 9人全員でくんのか?」
「な……!」
「や、野郎ふざけやがって!」
その言葉遣いに反応し、一人が先走り襲い掛かってくる。
だが、龍成はその勢いも逆に利用するように、カウンターでアゴに一当てすると、襲い掛かって来た不良はそのまま意識を失い崩れ落ちた。
目の前で起きた一瞬の惨状に、残りの8人は動けなくなる。
仮に、残っていた9人同時にかかったとしても、龍成がやる気を出せば数分で終わっていただろう。
だが、決着が付こうとしたその場、に割って入る者たちが居た。
唯一ある出入口を塞ぐように立った不良たちの後ろから、さらに20人程のガラの悪い連中がやって来たのだ。
「ヒャヒャヒャ! 随分派手にやられちまってんなー!!」
「せ、セイジさん……!?」
意識を取り戻した薮内が、驚いたように声を上げる。
金髪をオールバックにして、鼻にピアスを付けた男が前に出てきた。
取り巻きの様子から、薮内たちより立場が上の連中だろう。
「だからいったじゃん? 最初からオレさま達が手伝ってやるってよー?」
「い、いや。セイジさんに迷惑かける訳には……」
「あぁ? 黙って感謝しろや、か・つ・ひ・ろ・くん? オレさまに意見してんじゃねぇ!!」
言うより早く、革靴の先を薮内の脇腹にめり込ませるセイジと呼ばれた男。
悶絶する薮内を、邪魔とばかりに蹴り転がして、ニヤニヤと下卑た顔を俊樹達に向ける。
あきらかに暴力に馴れた連中だと分かる。取り巻き達は鉄パイプ等の獲物を持ち、見せびらかすように刃物まで準備している者も居た。
「いやね、ガキんちょシメるのなんてつまんねーだろって思ってさ?
ほっとこうと思ったんだけどよ、結構カワイイ女の子いるっつーじゃん?
だからよ、ちょっと手貸してやっから、駄賃に女だけ貰っていくわ。
いやーマジで上玉揃ってんな? ああ怖がらないでオレさま優しいから、特にベッドの上ならね?
愉しくなれる方法も知ってるし大丈夫、アヒャヒャハハ!!」
女性が10人聞いたら全員敵になりそうな、吐き気を覚えるセリフを嬉々として吐き出すセイジ。
その言葉に、嫌悪と怯えの混じった表情で俊樹にしがみ付く絢歌。
芽々はいつものふざけた表情は完全に消え去り、露骨に敵意を込めた目を向ける。
華凛は怒りの為か、表情が完全に抜け落ちていた。
俊樹も状況の不味さに、万が一に備えて絢歌だけは庇おうと彼女の前に立つ。
だが、庇われている事に気が付いた絢歌は、怯えながらもしがみ付いていた手を離し、俊樹の隣に立った。
「大丈夫、いざとなったら、アヤも戦う…!」
「それは絶対駄目だ。すまない、巻き込んでしまった」
言いながらも、なんとか丸く収める方法を考えていた俊樹。
だが、今までの様子から見るに、このセイジという男は本物の屑だった。
事実俊樹ですら、その身勝手な言葉に怒りを覚えている。
まともに会話出来るかも怪しい、平和的にと言うのは流石に無理か。
そう思った時に、倒れていた薮内がセイジに声を掛けた。
「い、いやセイジさん。オンナには手出さないでくださ…」
「あぁ? オレさまも女子高生と遊びたいなーと思ってよ、お前そんなささやかな愉しみ邪魔するわけ? 死にたい? いや死ねや!!」
言いながら、倒れた薮内の頭を踏みつぶそうとするセイジ。
だが、その前に激しい衝撃を顔面に受けて後ろに吹き飛ぶ。
セイジが居た場所には代わりに龍成が立って居た。その余りの踏み込みの速さに、不良たちは誰も反応出来なかったのだ。
「おい、このピアス野郎。勝手に話進めてんじゃねぇぞ」
「おおー痛ってぇ。中々良いパンチ持ってるねぇ?」
龍成の本気の一撃を受けて、なお立ち上がるセイジ。
口の端から血を流してはいるが、足取りはしっかりとしている。
その事から、セイジがかなりの実力を持ち、ケンカ慣れしている事が伺えた。
「……おいガキ、ラクに死ねると思うな。グローブどころか箸も持てねえ身体にしてやる。
女はあんまキズつけんなよ、全員持って帰って遊ぶんだからな。
そんじゃ、やれ」
セイジの号令で、工事現場内の不良共が一斉に動き出した。