俊樹と絢歌
「つまり、本気で佐々木を自分の物にしようとした訳では無かった。
自分に女性としての魅力があるのか、他の男も誘惑にあっさり負けてしまうのか、そういった自分の不安や疑問を、佐々木にぶつけようとした訳か」
俊樹にそう責められ、涙目で俯く橘。
因みに、他のメンバーは離れたテーブルでこちらの様子を窺っている。
星野などは、映画も見ないのにデカいポップコーンを独り占めして、口に放り込み続けていた。
個人的な話を大人数で聞くのも悪いだろう、と俊樹が言いだしたので、委員長である俊樹が代表して話を聞くことになったのだ。
緋ノ宮は俊樹が何を言い出すのか、不安そうではあったが。
「そんな事をして…何になるんだ?
もう、貴女を苦しめた多嶋は、この学校に居ない。
橘さん、周りの友人達も、貴女が悪い事は何もないと…言ってくれていた筈だ」
「はい…ごめんなさい…」
俯いた橘の前の、テーブルに涙がぽたぽたと雫を垂らす。
「申し訳、ありませんでした…それと、佐々木君たち、後で全部、話して、謝ります」
「……すまない、それは許可出来ない」
何故なら、もう二人はラブラブモードだったので。
館内に入るとき、手なんかもう恋人繋ぎだったのだ。
そこに橘の話なんかしたら、お通夜みたいになってしまう。
俊樹は、いかなる時も空気を読む。
一方、離れて見守る緋ノ宮たち三人には、状況がイマイチ掴めなかった。
「モグモグモグ……何か橘さんが『佐々君達に正直に謝りたい』って言って、としきさんが『空気読め』的な事を、オブラートに丁寧に包んで差し出してます」
「星野さん、聞こえますの?」
「読唇術的なアレです、モグモグ…ごっくん」
「メメは無駄な技能覚えるのは得意だかんなー」
訂正、ワリと正確に掴んでいた。
そして、5分程でポップコーンのLサイズを完食した星野。
あまりの早さに驚きを隠せない緋ノ宮が目を見開いているが、慣れている円谷は気にした様子もなかった。
次はキャラメル味かなー、と独り呟く星野に緋ノ宮が引いているが、構わず話す彼女。
「しかしまあ、大丈夫ですかねーとしきさん」
「まあ、変な事言わないか心配ではありますわ。いつもの事ですけど」
「ああーそういう事じゃないんじゃよ、かりんさんや」
年寄り口調になる星野には突っ込まず、その言葉に首をかしげる緋ノ宮。
今の所、普段の俊樹に比べると、大分穏便に話を進めている様に見える。
この先何を言い出すのか不安ではあったが、あまり問題にはならないだろうと思って居た。
「いえ、なんだか普段のとしきさんらしくないなーと思いまして」
「まあ、そう言われると、そうですわね」
「いやートシさんは元々あんなもんじゃね?」
言ってみれば、普段に比べると入り込んでしまっている、という感じだろう。
円谷はその辺り、分かっていたのか何も考えていないのか、判断できないが。
すると、不意に押し殺した様な声が聞こえてきた。
橘たちの座る席から聞こえるその声は、嗚咽の音だった。
普段はあまり変化を見せない表情を隠そうと、口元を抑えてむせび泣いている男がいる。
そう、俊樹だった。
「……いいんだ、私が許そう」
「……え?」
突然、目の前に座っていた男子がガチ泣きし出したので、呆気に取られる橘。
流れていた涙も、驚きで引っ込んでしまう。
「…佐々木たちの事は良い。あの二人は今回、何も被害は受けていない。
むしろ今回の事で、より絆が深まる事だろう。
だが、君が真実を話し謝ろうとすれば、水を差す事になってしまう。
…それにな、『ゆう君の手、あったかいね♪』とか『こっこの手も、いつもあったかくて可愛らしいよ』とか言い合うカップルだ、ほっとけ。
むしろ、もっと現実のままならん部分を見せて、教育してやったほうが良いのではと思った程だ。
だから、ヤツらを思えばこそ謝罪は必要ない」
「え…と、はい」
泣きながらも佐々木達に若干イラッとすると言う、器用な事をする俊樹。
いつもとはまた違うテンションの俊樹と、若干引く橘。
風紀委員の面々も、俊樹の変化に気が付いていた。
「あー、としきさん何か変なスイッチはいっちゃってますよ」
「いや、と言うか本気で泣いてますわよね?」
「トシさんは、情に厚い所あっからなぁ」
だが、そんな事は関係ないとばかりに、俊樹は話を続ける。
「…俺はな、橘さんが此処に来てからずっと見ていた。
今回の件も、最初から関わって全て知っている。
それに、今こうして過去の話も聞いた。
全て知った上で、俺が言う、君を許すと」
その勢いに飲まれて、頷くしか出来ないでいる橘。
普段から俊樹の突飛な言動に馴れている緋ノ宮たちも、ちょっとどうしたという様子だった。
――それは、俊樹の前世の話だ。
離婚し、バツイチの課長として部下を纏めていた俊樹は、よく若い社員から夫婦生活や恋人との悩みを相談されていた。主に居酒屋で。
世話焼きでお人好し、人生経験豊富な俊樹。結婚と、不本意ながら離婚の経験もある。
当時は既に、家庭も持たずに一人暮らしだった。早く帰る必要も無いので、自然と部下たちと飲みに行く事も多く、その席で相談を受けることが多かった。
それが会社の信頼関係構築にも役に立ったので、俊樹も快く受けていた。いわゆる『飲みニケーション』というヤツだ。
普段は固いイメージがある俊樹だが、酒が入ると多少フランクになる。
上辺だけの取り繕う会話をしない俊樹は、時には厳しく叱責するが、問題が解決するまで何度でも、親身に相談に応じてくれる。
更に、内容が”嫁さんとの不仲について”等になると、自身の経験と重なるのか、泣きながら熱く語る様になるのだ。
ケンカしてもいい、逃げずにきちんと嫁さんと話し合え。女との話し合いは長くなるから覚悟して、何なら夜通し朝方まで話し合え、明日出勤するのが厳しければ言え、俺が有給でも何でも都合つけてやる、等々。
その熱く男らしい語りと、普段とのギャップにコロっとやられた部下は、更に俊樹を信頼するようになり、又違う相談を持ってくるのだが。
そして現在。
俊樹の心境だが、橘の告白や今迄の経緯から、彼の中には多嶋たちに対する激しい憤りや怒り、自信と似たような経験をした橘への共感や、同情からくる悲しみなど、様々な感情が渦巻いていた。
滅多にない程に感情が波打っている俊樹の脳内では、アドレナリンやらドーパミンやら何か聞いた事ある名前の分泌物、その普段感情と共に抑え込んでいるアレな物質が暴れまわっていた。
シラフのまま酔っている様な状況だ。
――要するに、泣き上戸になっていた。
そして、中身は”中年バツイチの酔ったサラリーマン”が、目の前に居る”傷心の現役女子高生”に、泣きながら説教の続きを始める。
「それにな、君はここまで一回も笑っていない。
いや、きっと多嶋と決別した日から、本当の意味で笑える時など無かった筈だ。
愛してた、ずっと幸せに暮らせると思ってた、でも裏切られた。
そうなると、自分が信じられないよな? 笑えなくなるよな? 俺だってそうだった!
何が悪かったんだろうってな…眠れない日々が続いて…あの時こうすればと何度も思うんだ。
でもな、それで逃げたり後ろを向いたりすれば、今度は5年10年経ってから後悔するんだ。
忘れろとは言わない、けど縛られてどうする!
良いんだよ、無理に全部忘れなくても。そのまま次の恋に行けばいいんだ。
不幸背負ったまま生きる必要なんてないんだ、幸せになってもいいんだよ。
君が悪い部分も有ったかもしれないし、それを指摘する人間も居るだろう。
それはそれで、きちんと受け止めて生きるのも大事だ。
だから、それとは別に、この俺が君を…橘絢歌を全部肯定する!
あんなバカ二人のせいで、君が不幸になる必要は無い!
いいんだよ恋したって! 失恋しても別れてもいいし、離婚だって何度しても別にいいんだ!
でもな…誰かを不幸にするような恋は、もうしちゃダメだ!
多嶋の様に逃げて、君みたいな若い子を、不幸にしたまま放置するなんて、やっちゃいけないし、そんなヤツのことは気にするな!!」
「良いん、ですか…? 又、男の人を、好きになって」
「いいから黙って恋しろ!! わかったか!!!」
「あ、あああ……はい!!!」
「…何か勢いで押し切った感じですが、何が起こってますの?」
「いやー、アレとしきさん自覚あるんですかねー?」
「どうだろうなぁ。まあ悪い事じゃねぇし、良いんじゃねぇか?」
今まで見守っていた風紀委員会の3人だが、目の前で起きた出来事に、色々と追い付いていなかった。
3人の前には、俊樹の手を縋りつくように握りしめ、キラキラした瞳で俊樹を見つめる橘。
そして同じく泣きながら、空いた手で彼女の頭を優しく撫でる俊樹。その表情は、実の娘を気遣う父親のようだったが。
「ねーねー、何でとしきさん、フラグ立ててるんですかね?」
「はあ!? 知りませんわっ!!」
「いや、あの感じだと自覚はしてねーと思うぜ?」
俊樹にしてみれば、まだ若い彼女を立ち直らせてあげたいと言う親心。
自分と同じような状況、というシンパシー。
それに、どことなく彼女――橘から、前世で別れた妻と似たような物を感じ取った事もあり、普段よりは感情移入してしまった、という事だったのだが。
思えば、その『前世の妻と似たような雰囲気』が何か、もっと考えるべきだったのかもしれない。
一見真面目で堅物に見えるが、どこか抜けていてお人好しな性格。
苦労しなければ成長しないという持論から、最初は厳しく接するが、必ず最後まで見守り手助けする面倒見の良さ。
その、表向き厳しいが実は優しく、でも時々やらかすので誰かが付いて無ければ。そう思わせる性格故に、前世から高橋俊樹は。
――『重い女』に好かれやすかった。