三角関係
「アンタが悪いんじゃないのー!!」
「はぁ!? 先にしかけたのはそっちでしょ!!」
現場に到着した彼は、やや長めの溜息をつきながら頭を抱えていた。
人垣の中心には3人の男女、恐らく皆1年の生徒だろう。
未だ掴み合いのキャットファイトを止めようとしない少女2名と、やや離れた位置で狼狽える1名の男子が原因だという話は聞いている。
幸いまだ教師の姿は見えない、あまり大事にならないうちに介入すべきだろうと、野次馬達を押しのけて前に出ると、その場の全員に聞こえる様ハッキリとした口調で、彼は告げた。
「全員そこまでだ!!」
腹から響くような声に、一瞬にして場が止まった。
「風紀委員長だ」「俊樹さんが来たぞ」「あの人が噂の」
集まっていた生徒たち皆、潮が引く様に道を開けていく。
周囲の視線が集まる。俊樹本人は余り目立つのは好きでは無いのだが、既にこの【清崚高校】で【風紀委員長 高橋俊樹】を知らない生徒は居ないのだから、手遅れとも言える。
やや頭が痛くなりそうなのを押さえながら、ボロボロの男女3人の前に出る。まずはこの場を解散させなくてはいけない。野次馬化した生徒たちを見廻し、その場の全員に分かる様に宣言する。
「この件は、風紀委員会が預からせてもらう」
◇
3人のうち女子2人は興奮状態で話が聞けそうに無かった為、残った男子生徒に事情を聞くことになった。
俊樹自身、修羅場の渦中にいた興奮状態の女子に上手く話を聞きだせるとは最初から思わなかったので、早々に女子風紀委員に丸投げしたのだが。
特に今回は、発端が恋愛絡みだと既に判明している。頭に血が上り、恋に盲目になった女子だ。理屈は通じないし、下手をすれば理不尽な理由で暴れ出し被害が大きくなる。感情で行動する彼女達は俊樹の苦手とする人種だ。
頼もしい風紀委員会の女子達ならば、彼女達の神経を逆なでせずに尊重し肯定しつつ、上手く話を聞きだして宥めてくれるだろう。多分。
俊樹は藪を突く様な真似をしない。
「すいませんでした、全部俺が悪いんです」
日野翔太という名前の彼は、開口一番そう言った。
彼自身から聞いた話と、事前に得ていた情報から事件までの流れをまとめるとこうだ。
一週間ほど前まで、翔太には彼女が居た。争っていた女子の片方で、名前は朝日麻莉奈。
もう一人の女子は桃井由香、翔太の幼馴染だ。
付き合い始めてからは二人で下校していたが、ある日麻莉奈が私用で時間が合わない時があり、その日翔太は幼馴染の由香と一緒に下校していた。
家が近いため子供の頃から兄妹の様に接していた為か、由香は翔太に対して距離感が近く、その日もふざけて翔太に腕を組んできたらしい。
流れで判ると思うが、そこを用事を済ませた麻莉奈が追い付いて目撃してしまった。
「この浮気男!!」
「ち、ちがうんだ麻莉奈」
「触らないでよ! このクズ!!」
追い縋ろうとした翔太の手を叩き落とし、そのまま麻莉奈は走り去ってしまったそうだ。
由香も泣きながら翔太に謝り、一緒に誤解を解くと約束したそうだ。
取り敢えず謝罪のメールを送り、落ち込んだ翔太が家に帰り暫くして、麻莉奈からのメールが届いた。
何とか誤解を解けるだろうかと期待したが、気の強い麻莉奈からのメールの内容は、翔太をこれでもかと糾弾するものだった。
「絶対に浮気している」
「クズ男」
「胸が大きければいいのか」
「全て翔太が悪い」
「メールの返信が遅いときがあったのも怪しい」
「そもそも普段から愛が足りない」
「土下座して翔太持ちでデートに連れて行くなら謝罪を聞いてやる」等々。
精神的に参っていた所、罵詈雑言と余りに上から目線の言い方。胸の大きさの件は嫉妬だろう。愛が足りないとかは意味が分からない。
自分が悪いと思って居た翔太だが、何かがプツンと切れてしまった。そのまま全ての着信を拒否にしてしまったのだ。
翌日、その事を由香に話すと「あたしも一緒に付いて行くから、今からでも謝った方がいいよ」と言われたが、すっかり冷めてしまった翔太にその気は無かった。冷めたと言っても冷静とは言えなかったのだが。もう少し時間を置けば違ったかも知れない。
その後も謝りながら、親身になって麻莉奈について考えてくれた由香に、幼馴染以上の感情を抱き始めた翔太。
元々この二人が付き合うと思って見守っていた、自称キューピットことお節介な女子達の介入もあり、とんとん拍子に付き合い始める手前まで関係が進展したのだ。
浮気騒動以来、麻莉奈は沈黙を守っていた。
プライドの高い彼女は自分から歩み寄る気は一切なかったし、翔太もそのうち土下座して謝りにくるだろうと思っていた。ましてや今回は自分に一切の非は無いのだ、そう思っていたのだ。
だが、いくら待っても翔太は謝りにくる気配もない。メールも電話も繋がらない。そんな時に友人から、どうも翔太は完全に諦めているらしいという事、例の幼馴染と付き合い始めるという噂がある、という話を聞いた。
「…なによ、それ」
一瞬怒りで我を失いそうになるが、浮気騒動から時間がたち頭が冷えて居たのが幸いしたのか、すぐに彼女は現状を正確に把握した。
つまり、翔太はもう自分から離れていっていると。
それでも、麻莉奈はまだ自分は翔太と付き合っていると思って居た。
そもそも別れ話もちゃんとしていない。
だが、高校生の恋愛で『自然消滅』なんてよくある話だ。実際翔太の周囲もそういう目で見ていたのだから。
だから、翔太があの胸が大きいだけの下品な女とくっついてしまえば、二人の関係は本当に終わってしまう。既に外堀は半分以上埋まり、周囲の印象は麻莉奈=『元カノ』という認識になりつつあった。
麻莉奈はすぐに行動した。放課後時間を見計らって翔太を待ち伏せし、真意を問いただそうとしたのだ。
だが、当然そこには由香も一緒だった。
「翔太!なんで連絡もくれないのよ!! あたしたち付き合ってるんでしょ!?」
「ショウはもうアナタとは付き合ってないわよ!!」
「なんでよ! あたしは悪い事してないじゃない!!」
「その後ショウを突き放したのはアナタじゃないの!!!」
「元はといえばアンタが原因じゃないの!!!」
「アナタがキツすぎるからショウは嫌気がさしたのよ!」
「この!! 胸だけブクブク膨れた下品な牛女が!!!」
「アナタは小学校の身体測定にでも混ざってれば!? 嫉妬してんじゃないわよ!!」
頭の中で事の顛末を纏め終わると、俊樹は軽く息を吐き肺に空気を入れる。
用意したお茶は少し冷めてしまったが、温めのお茶も俊樹は好きだったので問題は無かった。
目の前にいるイケメン君こと翔太のお茶もぬるいはず。入れなおそうかと提案したが、大丈夫ですと断られた。彼もずずっと音を立てて湯呑を傾けたので、まあいいかと思う。
(しかし、まだ高校性だというのに女は厄介な生き物だ…)
過去の苦い経験を思い出し、自然に眉間に皺が寄る。俊樹にとって女性とは、例え少女であっても決して油断してはいけない人種だ。
今回の騒動の『落としどころ』を考えつつ、お茶請けの米菓をかじる。
えびを練り込んだみりん焼きが、気持ちの良い音を立て割れ、パリパリと噛むたびに歯に心地よい振動が伝わるとともに、えびの香りが鼻に抜け、みりん特有のやや甘めな旨みが広がっていく。俊樹はお茶請けは米菓派だ。
幸い、教師が駆け付ける前に自分が間に合った。そう大事にはならないだろう。
その場に居れば又違ったが、見ていない以上は生徒の証言しかないし、最悪副委員長である彼女がなんとかしてくれる。まあ、今回は本当に頼らずにすみそうだ。
考え込みながら温いお茶で米菓を流し込んでいると、翔太が口を開いた。
「すいませんでした、今回の騒ぎの原因は全部俺なんです。
あの二人…由香と麻莉奈は悪くないんです、責任は全部俺が――」
言いかける翔太の前に、まあ待てと掌をかざして制する。
若いと皆結論を急ごうとする、慌てて出した結論は碌な物にならない。
「この件は私が預かっている、そう急ぐな」
「は、はい! すいません…」
さてと、どうしたものだろうか……。
結局その日は結論を見送り、明日の放課後に改めて話し合う事になった。