第1章 神楽の夜 ――carnival――
この世界の誰一人として、神を見た者はいない。
それでも、この世界の誰もが神の存在を知っている。
――We can believe in invisible God.――
パン、パン! と狼煙が上がる音が空に響く。
続けてヘリコプターのプロペラ音、派手なファンファーレ、そして、騒がしい男の声が箱庭全体に拡散された。
「んんんーレディースアーンドジェントルメーン! お待たせしました! 月に一度のお楽しみ、神楽の夜がやって参りましたー! 今晩の実況もお馴染み、HBCのサザーランド安田がお送りいたします!」
ハウリングはご愛嬌。ズラリと並んだ屋台で好きな食べ物を見繕った人々は、揉みくちゃになりながら今か今かとその時を待っていた。
僕は物心ついたときから毎月この風景を見てきたわけだけど、飽きるということが全くない。むしろ、熱気とか高揚感とか、祭りの前のワクワクした空気にあたっているときが一番好きかもしれなかった。
「二真くん? そろそろ出番なので行きませんか」
「本当にお前は好きだな、下見るの」
隣から声をかけられて、僕は自分の役割を思い出す。
足下に広がる楽しそうな人の群れから目を離し、今いる足場よりも遥か上にあるタワーの天辺を仰ぎ見た。
「みんな〜、1ヶ月ぶりだねっ! こんなにたくさんの人に来てもらって、エシュはご機嫌だよー」
甘く、一切の邪気がない少女の声が通ると、観客たちは一斉に腕を振り上げてものすごい盛り上がりを見せる。
それに応えるように、街路に設置された超巨大ディスプレイが映し出したのは、1人の愛らしい少女だった。
「さーあ、今月も守人衆のみんなに頑張ってもらって、神様にアピールしよっ! エシュも頑張るから、応援よろしくね!」
薄桃色の髪をふんわりたなびかせ、両手でピースサイン。彼女がおわすのは箱庭の中央に位置するタワー――箱庭で一番背の高い守人衆のタワーの頂上だが、眼下の景色を怖がるような雰囲気は欠片もない。
13歳かそこらにしか見えない少女は、しかしこの世界に7人しかいない御使いの1人であり、そして第3箱庭、別名・陽の街の主でもある。まさに今、他の6つの箱庭でも同じような祭りが行われているだろうけど、ここまで声援を受けている御使いは彼女――エシュ以外にはいないと思う。外見的、そして性格的に、エシュは絶大な人気を誇っている。
「そしてね、今回はさらに素敵なお知らせがあるんだ」
パチンとウインクしたエシュはにっこりと笑う。
「どどんと大サービス! 今夜は気まぐれな恩恵がエリア内に出現しまーす」
ドッと聴衆が揺れる。
気まぐれな恩恵。
その単語で箱庭の盛り上がりは最高潮だ。
「おおっとー! エシュ嬢から嬉しいお知らせだー! なんと、7ヶ月ぶりに気まぐれな恩恵が出現するとのこと。これはぜひとも手に入れたいところだ! 演者諸君の頑張りに期待します!」
イーレギフ、イーレギフ、と頭の悪そうなコールが足下を震わす。
気まぐれな恩恵が出ると言われたら、さすがにこちらもぼんやりしている場合じゃない。
「ギフトか、今回は誰の分だろうな」
「前の時は誰でしたっけ?」
「第2班の高間さんだ」
「ああ……あまり使い勝手のよくないイレギフでしたか。味方も巻き添えになるとか、ねえ?」
「……気にしてたから、本人には言ってやるなよ」
「んー、私の予想ではそろそろ二真くんに回ってきそうだと思うんですけど」
「僕?」
苑実が澄んだ淡緑の双眸を僕に向けてきた。
「二真くんが最後にイレギフ手に入れたのってかなり前でしたよね? そろそろ3つ目が出てきてもおかしくないんじゃないでしょうか」
「確かにそうかもな。2つ目が出てきたのも、お前が一番早かったし」
翠はいつも通り、親しくならないと真意を解読できない仏頂面のまま、苑実の後ろでコクコクと頷いている。羨ましむべきか憐れむべきか、この男の顔は精悍すぎて感情を表現するのに向いていない。
「うーん、そうかな」
イレギフ、3つ目……あまり実感がわかない。
まあ、盛り上がることは間違いないから、出てくるものをみすみす見逃す手はないか。
「じゃあ、今夜も張り切って行ってみよ〜! てーんかい!」
エシュがパンと両の手を合わせた。
タワーの頂上、エシュを起点に光の幕が下り、内部がぐにゃりと歪んで理が書き換わる。
エシュが人間ではないと、人外の存在であるということを、僕はいつもこの瞬間思い知らされる。
まるで魔法みたいに、というか、神の御使いとしての御業を行使して、エシュは舞台を創り出す。
神に捧げる神楽を演じるに相応しい舞台を。
「今回のクリア条件は、最奥にある巨大障害物の排除だよ! 7つの箱庭のうち、どこか1つでもクリアできれば神様的にはオッケー。今回もキレッキレな動きを期待してるね!」
光の幕の内部は一般的な物理法則をまるっと無視した空間に変異している。そびえていたはずのタワーは影も形もなく、どこかファンタジックな迷宮がデデンと構えていた。
おお、途方もない奥行き。こりゃ最奥まで辿り着くのに相当骨が折れそうだ。少しくらい手抜きしてくれてもいいのに。
「――じゃ、行きますか」
「油断するなよ」
「分かってるよ」
攻略に欠かせない相棒・神装をそれぞれ携えて、僕らは開始の合図を待った。
苑実はバズーカ砲・《疾姫》を担ぎ上げ。
翠は太刀・《炯覇》で空を薙ぎ。
そして僕は、双刀・《白鬼》と《黒寿》を交差させて前に構えた。
「準備はいいかい!? 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 神に捧げる宴のおこぼれ! 3……、2……、1――ゼロおおおおぉおおお! スタートぉおおお! 第11,997回、神楽の夜開幕です!」
神様、見てるかい?
神楽の始まりだ。