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Evangelium01-7:ガレキの楽園

 翌日。コーヤに謝るために、イヴと伏見は食堂へ向かっていた。しかし伏見の図書館を出た時点で、二人はその異常事態を察した。食堂には人だかりができていて、騒ぎ声が聞こえてくる。

 近くまで来ると、住民たちが輪になって誰かを取り囲んでいるようだった。

「どうしたの?」

「あ、伏見先生! なんか突然“せいじか”が来て……」

「お腹空いたよー」

 子供たちが伏見にすがりついてくる。

「ちょっと、通してくれる?」

 伏見たちに気づいた一同が、左右に割れて道を開ける。二人が輪の中に入ると、中心になっていたスーツの男が笑顔を見せた。二人の屈強な護衛を従えている。そしてその前には、明らかに立腹した様子のハナが。

「伏見さん。ようやく話のわかる方が――」

 それを聞いた群衆から、割れんばかりのヤジが飛んでくる。

「みんな、ちょっと静かに!」

 伏見の制止に、住民はしぶしぶ静まった。

「箕輪さん。お話は済んだはずですが」

「私はそうは思っていません。これからもご納得いただけるまで、丁寧にご説明したいと思っています」

「なんのお話ですか?」

 二人のやりとりを見たイヴが、ハナに訊ねる。

「政治家が東京を世界遺産に登録しようとしてるの。それには私たちが邪魔だから、どこかへ行けって言うのよ。行く場所も用意せずにね」

「ご存知の通り、我が国は窮地に立たされていましてね。残念ながら、国民すべてには保障を約束できない状況なんですよ。この点はご理解いただけたと思っていましたが」

「保障ができないのであればここを動くことはできません。この点はご理解いただけたと思っていましたが」

 伏見の反論に、箕輪外務大臣は頬をひくつかせる。

「東京が世界遺産に登録されて、観光地として注目を集めれば、かなりの経済効果が期待できます。もちろんそれですべてが解決するわけではありませんが、日本を立て直す重要な一手になるんですよ。ご協力いただけませんか」

「そのために、ここで生活を送る人たちに犠牲になれと?」

 箕輪は大げさな身振りで否定の意を表す。

「犠牲になれとは言っていません。私は、あなた方であればどんな土地でも生活できると信頼しているんですよ。そもそも東京にこだわる理由はなんですか。勝手にコンクリートを剥がして畑を耕したりしているようですが、もっと良い土壌の土地が日本にはあるでしょう。建物の安全性から見ても、非常に危険です。世界遺産登録に向けて動き出せば、整備する資金を集められる」

「今の日本に、首都近郊以外で安全な建物がどれほどありますか? それに、どんな場所でも生活できると信頼していただけるのなら、ここでの生活を認めてください。例え土壌が悪かろうと不便であろうと、彼らは環境を変える力を持っています。必ず素晴らしい街になりますよ」

「あなたは……何を言っても無駄というやつですね」

「ええ。恥ずかしながら、屁理屈はいくらでも出てくるんです」

 断固として態度を変えない伏見に、箕輪は溜め息を漏らす。

「……伏見さん。もう少し立場を考えたらどうです。ご家族があなたのお姿を見たらさぞ悲しむでしょう」

「私に立場なんてものはありません。あなたと同じ、ただの人間ですよ」

 箕輪は諦めたように首を振った。

「残念です。連行しろ」

 命令を受け、背後に控えていた男たちが動き出す。伏見の脇を抱え、引きずるように歩き出した。

 群衆は、火がついたように騒ぎ出した。罵詈雑言と物が飛び交う。

「みんな落ち着いて! 必ず戻ってくるから!」

 伏見は叫ぶが、群衆は聞く耳を持たなかった。箕輪たちの行く手を阻むように腕を組み合い、バリケードを作る。それぞれの目はぎらつき、完全に頭に血が上っていた。

 バリケードの中から、一人の幼女が飛び出してきた。そのまま護衛の男の足に組みつく。

「せんせいをつれていかないで!」

 箕輪の護衛の男は、感情のない目で幼女を見た。慌ててハナが駆けつけ、引き離そうとする。しかし幼女は抵抗し、護衛の男の足に噛みついた。

 護衛の男は足を振って、ハナごと幼女を蹴り飛ばした。そして二人めがけて、足を高く上げた。

 それまで騒がしかった群衆の声が、一瞬ぴたりと止んだ。

 いくら悪党でも、年端もいかない小さな女の子を傷つけるわけがない。でも傷つけるかもしれない。今から飛び出しても間に合わない。これから酷いことが起こるかもしれない。そんな思いが、群衆から言葉を奪った。

 容赦なく、かかとは振り下ろされた。しかし男が想定していたよりも早いタイミングで、足は何かに当たって止まった。

 思わず目を閉じていたハナは、ゆっくりと瞼を開く。

「イヴ、ちゃん……?」

 目の前には、それほど大きくない背中があった。イヴは膝を折り、腕を十字に交差させて、かかと落としを受け止めていた。

「不覚です」

 イヴの頬に血が流れる。あまりの衝撃の重さに完全に受け切ることはできず、革靴の底で額を切っていた。

「……き、君は」

 イヴを見て、正確にはイヴの目を見て、箕輪の顔に恐怖が浮かんだ。

 護衛の男はそんな箕輪の様子に気づかず、そのまま強引にイヴをねじ伏せようとする。

「やめろ!」

 箕輪の忠告は遅かった。イヴは交差した腕を解いて男の足を取り、軽く地面を蹴ってひねるように回転した。男は瞬時に危険を察知し、足にかかる負荷に合わせて地面に倒れ込んだ。

 男はすぐに体勢を立て直す。もしも受け身が間に合わなければ、足をねじ折られていた。見ると、イヴはすでにハナたちを庇うように直立している。

小柄な少女に投げ飛ばされて、黙っているわけにはいかなかった。男が立ち上がり、攻撃をしかけようとして、

「もういいと言っている! 殺されたいのか!」

 雇い主の怒号で止まった。

「護衛の者が失礼しました。今日はこれで引きさがります」

 本来は謝って済む問題ではなかったが、伏見を解放し、大人しく立ち去る箕輪たちを、群衆は止めなかった。

住民たちの注目は、すでにイヴへと移っていた。敬仰と畏怖の入り混じった視線が注がれる。

 しかしイヴは事態が収束したことを確認すると、視線を無視して、怪我の手当てもせずに歩き出した。群衆が割れて道を作る。イヴはテーブルで一人食事をしていたコーヤのところへ、まっすぐにやってきた。

「昨日は、すいませんでした」

 謝って、イヴは頭を下げた。コーヤがスープを啜っている間もイヴは頭を下げ続けた。しかし結局何の反応もせずに、コーヤは空になった食器を持って立ち去ってしまった。

 頭を下げ続けるイヴの肩を、伏見が叩く。

「怪我、大丈夫?」

 イヴが顔を上げると、伏見はポケットからハンカチを取り出して血を拭った。

「問題ありません」

「でも手当てしないと……。あれ」

 傷痕はすでにかさぶたになり始めていた。

「……イヴ、君は――」

「おねえちゃん!」

 伏見の言葉を遮って、明るい声が聞こえてきた。見ると、箕輪の護衛に噛みついた女の子が、スープの注がれた皿を持ってやってきた。

「助けてくれてありがとう! これあげる!」

 女の子は土に汚れた顔で笑った。イヴは膝を折って女の子に目線を合わせ、それを受け取った。

「ありがとうございます」

「こ、これもどうぞ」

 女の子の横から、ポテトサラダの載った皿を差し出す少年が。

「これ、少ないけど食べて!」

「あとで食べようと思って取っておいたけど、あげるよ」

「昨日の雨をろ過した水、飲みたい?」

 気づくと、イヴの周囲は食べ物や飲み物を持った人で溢れていた。戸惑うイヴが振り返ると、伏見は嬉しそうに微笑んでいる。

 それを見て、それまで完全だったイヴの表情が、初めて崩れた。

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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