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Evangelium01-5:ガレキの楽園

 外に出たイヴは、その光景に息を呑んだ。

 そこはまるで廃墟だった。道路の舗装は剥がされ、剥き出しの地面に昨夜の雨が水たまりを作っていた。建物の半数は倒壊し、瓦礫になっている。そして、それらを覆うように、緑が生い茂っていた。遠くには傾いた高層ビルや塔のようなものが見えたが、それらもうっすらと緑に覆われている。

 古都東京、神田解放区。かつて日本の中枢として栄えた場所の、成れの果てだった。

 ちらほらと人の姿が見える。壊れた車のフレームやタイヤを組み合わせて作った荷車に、貧相な野菜を載せて運ぶ者。道端で焚き火を囲み、暖を取る者。瓦礫から使えそうなものを掘り返そうとする集団。国籍はばらばらで、その大半が子供だった。

「あ、伏見先生。女連れ」

 荷車を引いていた東南アジア系の少年が、伏見の姿を見つけて近寄ってきた。

「こらこら、どこでそんな言葉覚えたんだ」

「ハナから聞いた。ご飯、行こうよ」

「うん、今ちょうど――あ」

 クローディアスが伏見の手を逃れて、駆け足で東の方へと走っていった。見ると、白い煙が上がっている。

「お、今日は魚来てるんだね」

「急がないと、なくなる!」

 少年は荷車を派手に揺らしながら駆けていった。


 東へ歩いていくと、大きな交差点のような場所があった。やはり舗装は剥がされていたが、どうにか形を留めているビルが四方にあり、それぞれの間には道が伸びる。そして交差点の中心には、沢山のテーブルが並べられていた。

 すでにほとんどの席は埋まっていて、小さな子供たちが身を乗り出して食事を待っている。

 伏見はイヴを連れて、煙の上がっている場所へとやってきた。そこには簡易の調理スペースが作られており、比較的年齢層の高い子供たちとわずかな大人が、朝食の準備をしていた。

 魚を焼いているらしい場所には人が群がっていて、伏見はそこに割って入っていく。

「ハナ、おはよう」

「あ、やっと来た!」

 焚き火で魚を串焼きにしていたポニーテールの少女が、煤だらけの笑顔を見せる。その隣にはクローディアスが足を揃えて座っていて、焼き色のつき始めた魚を凝視していた。

「見てよ、港のやつらがあんなに持ってきてくれたんだ」

 そう言って、ハナは少し離れたところにあるプラスチックのコンテナを指差す。コンテナには溢れんばかりの魚が詰められており、それがいくつも並んでいた。

「今日は人数分あるよ。こいつと――」

 ハナはクローディアスの頭を撫で、

「あなたのもね」

 そう言って、伏見の後ろに立っていたイヴを見た。

伏見は脇にどいて、イヴの背を押して前に出す。

「イヴ、彼女はハナ。ここに住む人たちのお母さんなんだ」

「ちょっと、私まだ十七なんだけど」

 伏見の紹介に、ハナは魚の焼き加減を見ながら口をはさむ。

「いやほら、精神的な意味でさ。君の着替えなんかは彼女にやってもらったから、安心して」

 それを聞いて、イヴは頭を下げた。

「お世話になりました」

「いいっていいって。あの変な服にはびっくりしたけど。伏見先生に襲われなかった?」

「いいえ、特に敵性は感じられませんでした」

「先生もやしだもんね」

「紳士と言ってくれ。で、今日は何をすればいい?」

「魚のはらわた取れる?」

「任せてくれよ。実は僕、漁師をやってたこともあるんだ」

「はいはい。イヴちゃんも手伝ってあげて。働かざる者食うべからず」

 ハナは焼き上がった魚の串焼きで、イヴの顔を指して言った。


 イヴは伏見に教えてもらいながら、魚のはらわたを取り除いていく。数匹もこなすとすぐにその作業に慣れて、とてつもないスピードで下処理をしていった。

結局、残ったコンテナの半分近くを、イヴが片づけてしまった。

途中からその様子を見ていたハナは、最後の一匹が終わるとイヴに拍手を送った。

「イヴちゃん、漁師だった?」

「いいえ。魚を釣ったことはありません」

「じゃあ何やってたの? 板前さん?」

「申し訳ありません、機密事項のためお話できません」

「機密事項? まあ、いいけどさ。ところで、漁師だったらしい先生は何をやってたの?」

 伏見はようやく十匹目を終えて、包丁を置いた。

「思ったんだけど、やっぱり肝は栄養も豊富だし、取らなくていいんじゃないかな」

「残しとくと子供が捨てちゃうの。もったいないでしょ? 新鮮なうちに肝吸いにするなり、なめろうにするなりするから、終わったやつ寄こしなさい」

「はい」


 作業を終える頃には、野外食堂に空席ができ始めていた。魚の串焼きが載った皿と野菜のスープのカップを持って、伏見とイヴが席に着く。

「いただきまーす」

 伏見は手を合わせて、魚の串焼きにかじりついた。隣の椅子に飛び乗ってきたクローディアスにも、ほぐした身を分け与える。イヴはその様子を興味深そうに見ていた。

「食べないの? 見た目は悪いけど美味しいよ」

「レーションしか食べたことがありません」

 それを聞いて、伏見が悲しげな笑みを見せた。スープの皿から先割れスプーンを取り出して、器用にイヴの魚をほぐしていく。一切れをスプーンの先に突き刺して、イヴの口元に持っていった。

「食べてごらん。体の毒になるようなものは入ってないよ」

 イヴは少し戸惑って、目の前の魚の身と伏見の顔を見比べる。しかしやはり、伏見の表情に敵性は感じられなかった。ためらいながらも、イヴはゆっくりと口を開き、魚を口にした。

 しばらく無言で咀嚼していたが、イヴは違和感を覚えて伏見を見た。

「また涙が出てきました」

 イヴの目尻に溜まった涙は、溢れて頬を伝った。

「本当に毒は入っていないのですか?」

「大丈夫だよ。……美味しいかい?」

「美味しいです」

「それは良かった」

 それからイヴは、夢中になって伏見のほぐした魚を口に運んだ。手持ちのレーションが尽きてから、およそ二週間ぶりの食事だった。イヴは流れる涙を不思議に思いながらも、綺麗に魚を平らげた。

 次に野菜のスープに手をつけようと思った時、後ろから手が伸びてきて、スープの皿を持ち上げた。

 イヴが振り向くと、肌の白い肥えた男が下卑た笑いを見せた。

「新入りだから、もらう」

 片言の日本語だった。

「待て待て、ここにそんなルールはないよ」

「ひひっ」

 伏見の注意を無視して、肥えた男は逃げ去ろうとする。

 しかしその行く手を阻むように、一人の少年が立っていた。昨夜までイヴが体を包んでいたような麻布を身に纏っている。まだあどけなさは残るものの、彫りの深い精悍な顔つきをしていた。

「な、なんだよ」

 肥えた男は母国語で威嚇するが、少年は動じない。

「も、文句あるなら言ってみろよ!」

 少年は何も言わない。ただじっと、一点を見据えていた。

 一向にそこをどかない少年の無言の訴えに負けたのか、やがて肥えた男は近くのテーブルにスープの皿を置いて、ぶつぶつと文句を言いながら去っていった。周囲で見ていた食事中の住人から、少年にまばらな拍手が送られる。少年はしばらく同じ場所に立っていたが、何も言わずに立ち去ろうとした。

 それを見てイヴが立ち上がり、小走りで少年を追いかけた。追いつくと少年の肩に手をかけて引き止める。それから肩に置いた手をそのまま首に回して、足を払って、その場に投げ倒した。

 食堂にいた一同は、ハナも含め唖然とした。

 イヴはそんな中でも淡々と少年の腕を極め、娼館の主にしたように折ろうとする。

「イヴ」

 伏見がイヴの手をつかんで止めた。しゃがみこんで、傍で囁く。

「イヴ。これは正しいことなのかい?」

「はい。私はこうするために生きています」

「違うよ、イヴ。昨日も話しただろう? 自分の神様に聞くんだ。もうあの神様はいない」

「でも……」

「自分の心で、考えるんだ」

 伏見の声に熱が籠る。

 ようやくイヴは、少年の上からどいた。

 少年は立ち上がって土埃をはらうと、何事もなかったかのように歩き去っていった。

「ごめんなさい」

 謝罪にも、少年は何も答えなかった。イヴはただ、その後ろ姿を見送るしかなかった。

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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