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Evangelium01-4:ガレキの楽園

 意識が戻って、イヴは何もかもが異常であることに気づき、いつも以上に神経を尖らせる。まず、冬なのに暖かかった。自分が柔らかい何かの上に横たわっていて、上から柔らかいものを被せられていることを認識する。さらに、体が異様に弛緩している。ボディースーツの圧迫感はなく、何も着ていないような感覚だった。

 次に、そこがどこなのかを確認しようとする。嗅覚を尖らせるまでもなく、埃とカビのような匂いが鼻についた。薄く目を開くと、まず目に飛び込んできたのは様々な色と文字だった。それが本の背表紙だと気づいて、アカデミーにあった資料室を思い出す。

 人の気配がないことを確認して、イヴは起き上がった。何も着ていないということはなかったが、ゆったりとしたワンピースを一枚着ているだけだった。朝の澄んだ冷たい空気が鼻をツンとさせる。外はすでに明るくなっていて、正面の大きな窓から入ってくる日光が眩しかった。

 イヴは本を積んで土台にした簡易のベッドを降りて、床に用意されていた靴を履いた。脇に畳んであった厚手のカーディガンを羽織り、本棚を眺めながら歩いて周囲を観察する。

 そこは資料室というよりも、書店という呼び方がしっくりくる場所だった。古びた木製の本棚に、様々な言語の背表紙が並んでいる。よく見ると本棚は高さが揃っておらず、それが色々なところから寄せ集められたものだということがわかる。並べられている本も寄せ集めらしく、歯抜けになったシリーズものが収められていたりした。

 部屋の端まで行って、イヴは下へ続く階段を見つけた。もう一度部屋を振り返ってから、ゴシックなデザインの階段を下りていく。階段の途中にも本棚があって、イヴは手を伸ばしそうになるが、何かに遮られたように手を引っこめた。

 階段を下りると、やはりそこも本だらけだった。壁際の本棚から溢れた本が、床にまで積まれている。イヴが部屋の奥まで行こうとした時、人の気配を感じ取った。やや警戒を強めつつ歩を進めると、見覚えのある顔が見つかる。

 座って読書をするために置かれているであろう四つのソファの一つに、伏見ヒロトが寝転がっていた。薄い毛布を被り、片足を床に落として寝息を立てている。

 イヴはこういった状況に対する選択肢を一切持ち合わせていなかった。起こして現状の説明を求める。無視して逃げ出す。そのどちらもせずに、また本棚を眺めながらうろうろと徘徊する。

 ふと、ある一冊の絵本が目に留まった。表紙に鋭い目をした猫が描かれている。イヴはそれを手に取ると、伏見が寝ているソファの対面にあるソファに腰掛けた。本を開く時に一瞬ためらったが、伏見に言われた言葉を思い出して表紙をめくった。


「うっ」

 伏見はみぞおちに衝撃を受けて目を覚ました。見ると、お腹の上には一匹の黒猫が鎮座している。

「……クローディアス、それはやめてくれって言ってるだろ」

 伏見が体を縮こまらせて悶えると、黒猫は逃げるように床に飛び降りた。内臓の不快感が和らぐのを待ってから、両足を床に投げ出すようにして起き上がり、両手を上げて伸びをする。それからいたずら猫を捕まえようとして、反対側のソファにイヴが座っていることに気がついた。

「おはよう」

 伏見は挨拶をして、クローディアスを抱え上げた。

「おはようございます」

 顔を上げて挨拶をしたイヴの頬には、涙の跡があった。

「どうしたの?」

「本を、読んでいました」

 そう言って、イヴは絵本の表紙を伏見に示す。

「ああ……。良い本だよね」

「そうでしょうか」

「泣いてるじゃない」

「読んで涙が出る本は、良い本なのですか?」

「それだけ心が揺さぶられたってことだからね」

「心が揺さぶられるのは、良いことなのですか?」

「……それは難しい質問だ」

 押し問答に負け、伏見は苦笑した。

「その猫は?」

「ああ、こいつね。クローディアス・J・クロフォード四世。長くて呼びにくいからクロって呼んでいいよ」

「黒いからクロではないのですか?」

「違うよ。こいつはクローディアス・J・クロフォード四世。略してクロ」

「黒いからではなくですか?」

「違うよ。こいつは――」

「わかりました」

 今度は伏見が勝って、満足気に頷いた。

「お腹空いてない?」

「空いています」

「素直でよろしい。それじゃ、ご飯にしよう」

 そう言って、伏見はクローディアスを抱いたまま外へと歩いていく。しかし、イヴは目を細め、ソファから動かなかった。

「どうしたの?」

「少し、眩しいです」

「……メラニン少なそうな虹彩だもんね。ちょっと抱っこしてて」

 そう言うと、伏見はイヴにクローディアスを預け、部屋の奥にある自室に入っていった。しばらくして、手に小さな箱を持って戻ってくる。

「イヴ、クローディアスが不満そうだよ」

 イヴは猫をどうやって抱いたらいいのかわからず、釣りあげた魚を恐る恐る持つような格好でクローディアスを掲げていた。

「どうすればいいのですか」

「もっとこう、柔らかく抱っこしてあげて」

「具体的に指示をお願いします」

「貸してごらん」

 伏見は小箱を持ったまま、器用に黒猫を丸めて胸に収めた。

「こんな感じ。それと、はいこれ」

 イヴは伏見が差し出した長方形の小箱を受け取る。

「これは?」

「僕のお古だけど。良かったら使って」

 小箱を開けて、その言葉の意図を理解する。中には黒いフレームの伊達眼鏡が入っていた。

「紫外線をほとんどカットしてくれるから、多少マシになると思う」

 イヴは眼鏡を取り出して、慎重に両手でかけた。

「うん、似合う似合う」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。じゃ、食堂に行こう」

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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