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Evangelium03-5:主よ、人の望みの喜びよ

 伏見たちが福岡にやってきてから一週間後の夕刻。

 佐伯の運転する車が、福岡のはずれにある料亭の前で停まった。

「それじゃ、周囲の警戒よろしく」

「承知しました」

 伏見は佐伯に指示を出し、車を降りた。佐伯はそれを確認すると、ゆっくりと車を走らせ始めた。

 その料亭は、素体こそ定められた工法で作られた白い箱であったが、一流のグラフィックデザイナーによってデザインされた和風装飾のグラフィックが配置され、実物と見まがうほどのテクスチャーに覆われていた。門をくぐった伏見は無意識に飛び石の上を歩くが、実際そこに門はないし、地面は平坦なコンクリートでしかない。

 玄関の引き戸を開けると、仲居が顔を出して、うやうやしく頭を下げた。

「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」

「今井の連れです」

「伺っております。どうぞお上がりください、ご案内いたします」

 伏見は靴を脱いで料亭に上がり、仲居の案内に従って廊下を歩いた。

「今井様。お連れの方がお見えになりました」

 明かりのついた和室の前まで来て、仲居が声をかけると、中から野太い声が返ってきた。仲居が膝をついて戸を開け、伏見が和室に足を踏み入れる。

「よう、久しぶりだなヒロト」

 そう言って立ち上がり、伏見のところまで来て握手を求めたのは、今井マサユキ衆議院議員だった。

「遅れてごめん。……また、一段と逞しくなったね」

 伏見は恐る恐る、筋骨隆々とした大男の手を握る。幸いその握手はソフトなもので、伏見の細い手が握りつぶされることはなかった。

「まあ、座れよ」

 促されるまま、伏見はコートを脱いで座布団に腰を下ろす。すでにテーブルには料理が用意されており、今井は自分の分をほとんど食べ終えていた。

「大学を卒業して以来だなあ」

「選挙の時、君の後援会の集まりで会ったじゃないか」

「おお、そうだった。ということは三年ぶりくらいか。どうした、突然帰ってきたと思ったら呼び出して。金にならないボランティアに疲れたのか? 仕事を紹介してほしいなら、いくつか当てがあるぞ」

 伏見が口をはさむ間もなく、今井はまくし立てた。

「いや、そういう話じゃないよ。ちょっと情報交換がしたくてさ」

 話しながら、伏見は刺身を一切れ口に運ぶ。

「情報交換? 特定秘密保護法に抵触するようなことはできないぞ」

「別に話しちゃいけないことを聞きたいわけじゃないよ。僕が東京にいる間に、今の政治がどう変わったのか気になってね」

「どう変わったか、ねえ」

 今井はすっかりぬるくなったビールを、自分のグラスに注ぐ。

「別に何も変わりはしない。“とにかく日本を立て直さねば。こういう案はどうだろう。そんなのは無理に決まっている”。……この繰り返しだ」

「これだけ行き詰まった状態で、よく国としての体を保っていられるよね。空中分解した飛行機が、なぜか飛散することなく飛び続けてる、みたいな感じじゃないかな」

「なんだ、そんな他人事みたいに」

「いや、褒め言葉だよ。それだけこの国の芯は強いんだなと思って」

 それを聞いて、今井はビールをあおった。

「確かにそうかもしれんな……。しかし、いつかは着陸しなければいけないだろう」

「そうだね。分解飛散することはなくても、このままじゃ積載量オーバーで墜落だ」

「人口減少、難民の流入、北方領土問題……何から片づければ良いのやら」

 今井は空のグラスを握りしめたまま、テーブルに肘をついてうなだれた。

「何か一発逆転の政策はないの? 先生」

 伏見は自分の瓶から今井のグラスへとビールを注いだ。

「そんなものがあれば、とっくに実行しているとも。……ああ、そういえば箕輪さんの政策があったぞ。古都東京を世界遺産にして、観光施設を作って、海外から金を集めるというものだ。どこかの誰かさんが邪魔をしているようだがな」

 口の端で笑う今井に睨まれて、伏見はバツの悪そうな顔をした。

「その件に関してはこっちにも理由があるんだからさ、勘弁してよ」

「わかっているとも。箕輪さんのやり方は、大抵の議員が疑問視している。それこそ無理を押し通そうとしているわけだからな。建造物の保全や安全管理、観光施設建設のための資金を、いったいどこから集めるというのか」

「それを聞いて安心したよ」

 伏見は自分のグラスにもビールを注ぎ、少しだけ啜った。

「他には何かないの? こんなご時世でも、やり手の政治家はいるはずだ。例えば……及川さんとか」

 その名前を聞いて、今井の酔いは一気に醒めた。グラスから手を放し、姿勢を正す。

「……ヒロト、つまらん小芝居はやめろ」

 先ほどまでとは打って変わって、凄味を感じさせる声だった。

「確信を持って、俺をここに呼んだな」

「なんのこと?」

「とぼけるな。及川さんは確かに堅実で優秀だが、派手な立ち回りをするような人間ではない」

 伏見は観念したように足を崩し、膝を立てた。

「さすが、立派に議員を務めてきただけのことはあるね。昔とは違うみたいだ」

「馬鹿にするな!」

 今井がテーブルに拳を振り下ろし、食器が音を立てた。

「でもそうやって過剰に反応すると、及川さんの裏に何かあることを白状しているようなものだけど、大丈夫かい?」

 今井の鼻先に脂汗が浮かぶ。

「……何を調べている?」

「コロンシリーズの流出による中東の宗教紛争。その裏で、及川防衛副大臣が糸を引いているという情報が入ってね。事実だとしたら、とんでもないスキャンダルだ」

 今井はテーブルの上で握りしめていた拳を引っ込めた。

「……その件に関しては、俺は何も言えない。特定秘密に該当する情報だ」

 それは、伏見が最も聞きたくなかった答えだった。

「……君も関わっているのか?」

 今度は伏見の低い声が響く。いつの間にか今井は背を丸めて、その巨体を小さく見せようと必死だった。

「……国際法に反するようなことは、何もしていない。発見された歴史的資料を、ただ公開しただけだ」

「そうやって及川に説得されたのかい?」

 今井は的確な指摘を受けて、二の句が継げなかった。

「結果、どれだけの人間が死んだか知っているのか」

「知っているさ! だがそれは当事者たちが勝手にやったことだ!」

「落ち着いてよ今井。……君がその件について罪悪感を覚えていることはよくわかった」

「……すまない」

「僕に謝ってどうするのさ。もし本当に罪悪感があるのなら、情報を提供してほしい。真実を世界に公表すべきだ」

「……それは、できない」

 今井の表情は苦渋に満ちていた。

「なぜ?」

「そんなことをすれば、日本はさらに混迷するだろう……」

「それじゃあこのまま、歴史的大量殺戮を黙認しろっていうの? ……それこそ、僕にはできないよ」

「……真実を公表して何になるというんだ。歴史の真実が記してあるという本が公表された結果が、あの宗教紛争だったんだぞ。……また新たな火種を生む気か、ヒロト」

「それは……!」

 伏見は反論しようとするが、今井の主張には説得力があった。開きかけた口を、伏見は結局閉じてしまう。

 そんな伏見の様子を見て、今井は引きつった笑みを浮かべた。

「これまでも、沢山の犠牲の上に平和が築かれてきたんだ。世界的に見れば、彼らの死はむしろ望まれたものだったんだよ、ヒロト」

 それを聞いて、伏見は頭に血が上り、思わずグラスの中のビールを今井の顔にかけた。

「……もう十分酔っぱらっただろう。目を醒ましてくれ」

 伏見は財布から紙幣を数枚抜き取ってテーブルに置くと、茫然とした今井を残して料亭をあとにした。

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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