Evangelium01-1:ガレキの楽園
堰を切ったように降り出した雨が、屋根代わりのビニールシートを叩いて、けたたましい音がし始めた。
簡易の段ボールハウスの中。少女は目を見開き、体を緊張させた。起き上がって段ボールの隙間から顔を覗かせる。あたりは薄暗かったが、少女の目には濡れたアスファルトと、路地を寝床にする難民たちの姿が見えていた。
そこに脅威がないことを確認して、少女はまた横になり、目を閉じる。何か夢を見ていたような感覚が残っていたが、はっきりとは思い出せなかった。
体が寒さを感じ始める。したたってきた雨水が身を包んでいた麻布を濡らして、体温を奪っていた。今夜はもう越せないかもしれない。そう思いながらも、少女の心は穏やかだった。
通りの方からやかましい声が聞こえてくる。中国語の質問に日本語で答え、英語のヤジが飛ぶ。その声の主たちは少女のいる路地の入口まで来て、そこで止まった。甲高い中国語が響く。
「ええ、ここです。あれです」
日本語の男はそう答えると、英語の男から何かを受け取って、逃げるように走り去っていった。それから複数の足音が路地に響き始め、少女は一団が近づいてきたことを察知した。周りで寝ていた難民たちが目を覚まし、不安そうな表情を見せる。少女は目を閉じたまま、神経を尖らせた。
足音が近づいてきて、少女の段ボールハウスの前で止まる。突如、屋根にしていたビニールシートが荒々しく引き剥がされた。冷たい雨が容赦なく少女に降り注ぐ。
「おい、起きろ」
何事もなく過ぎ去ることを祈っていた少女に、英語で声がかけられた。何も聞こえないふりでやり過ごそうとすると、一団の中の一人がわめきながら段ボールハウスを蹴り壊し始めた。少女は仕方なく、ゆっくりと目を開いて体を起こす。
一団がどよめいた。雨で髪が頬に張りついたその顔は、とても奇妙だった。造形に特徴が感じられない。黒い髪と白い肌からある程度の国籍は特定できるものの、正確なところはわからない。平均的で美しいと言われればそのとおりだが、人形のような不気味さも持ち合わせていた。
しかし何よりも不気味だったのは、その目。少女の持つ灰色の双眸が、路地の闇の中で鈍く光っていた。
苦々しい顔で何かを言い合う一団の中から、一人の男が出てきた。切れ長の目を持つ男は少女の前にしゃがみこんで、その目を見つめて微笑んだ。
「いいじゃない。神秘的で好みだ」
男が中国語で言うと、他の男たちも納得したように頷く。
「俺はハオ。お前、名前は?」
少女はためらったが、黙っていればまた暴力を振るわれそうだったので口を開く。
「……イヴ」
「はは、イヴか。いいじゃないか」
ハオは不快な声で笑うと、麻布の上からイヴの腕をつかんで立ち上がらせた。
「なんですか?」
「アラビア語か? この辺じゃ珍しいな」
「離してください」
「中国語もいけるのか。こりゃいい。客はほとんど中国人だからな」
そう言うと、ハオは引きずるようにイヴを路地から連れ出した。
夜の大通りは雨にも関わらず人で賑わい、様々な言語が飛び交っている。きらびやかなグラフィックが踊り、屋台からは香ばしい匂いが立ち上る。
ハオたちが歩くと、人々は避けるようにして道を作った。
「どこへ行くんですか?」
「助けてやる。代わりに仕事をしろ」
「あなたが神様ですか?」
それを聞いて、ハオは高らかに笑った。
「そうとも。ここじゃ俺が神様だ。神様の言うことはちゃんと聞くんだぞ」
「わかりました」
イヴは素直に頷いた。
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。
http://colonseries.jp/