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Evangelium02-8:恐るべき大人達

「そして、私たちは日本に連れてこられました」

 隣で話を聞いていた伏見に表情はなかった。クローディアスは居心地の悪さを感じたのか、いつの間にか反対側のソファで寝息を立てている。

「……私がしてきたことは、間違っていたのでしょうか」

「それを決めることは、できないかな。前にも話したように、どんな意見や行動にも正の面と負の面がある。ただ……法という基準に当てはめると、間違っていると言わざるを得ない。例え君がそれを知らなかったとしてもね」

「私は、どうすればいいのでしょう。このままここにいてもいいのでしょうか」

 伏見は深く息を吐き、それから笑顔を作った。

「事実上、ここに法律はない。君の過去を知る者もいない。いつかは罪を償わなければいけない時が来るだろうけど……それまでは、ここにいなよ」

「……ありがとうございます」

 イヴは同じように笑顔を作るが、神田での生活を経て、内心では自身の罪深さに気づきつつあった。

 それを察してか、伏見は明るい声で訊ねる。

「ところで、何か楽しかった思い出はない?」

「楽しかった思い出、ですか」

「それだけ過酷な環境で生活していたんだ。何かでストレスを発散していなかった?」

 イヴは唇に指を当て、再度記憶を探る。

「ピアノの――」

 何かを言いかけて、イヴは目を見開いた。

「ピアノの?」

「しっ」

 唇に当てていた指をピンと立て、静かにするようにという仕草をする。

「……どうしたの?」

「音がします。……V-39の音です」

「V-39?」

「私たちが移動に使っていた輸送機です」

 伏見の表情に緊張が走る。耳を澄ますと、微かにプロペラの音が聞こえた。そしてそれは、次第に大きくなってくる。

 伏見はソファから飛ぶように立ち上がり、エレベーターホールへと出て屋上まで続く階段を駆け上がった。

 三階に辿り着くとすぐに電子黒板の電源を入れ、危機管理用のアプリケーションを立ち上げる。西の空へ向けられた監視カメラの映像に、星空に紛れて点滅する光点があった。

 画面の隅にあるサークルに、伏見は手を押しつける。指紋が認証され、管理者権限でのみ実行できるコマンドが表示された。その中から緊急時のアラートを選択し、実行するか否かの選択肢が表示されると、迷いなくイエスを押した。

 ビルの最上階に設置されたスピーカーから、警報音が鳴り響く。

 それを確認して、伏見は急いで一階へと戻る。

 イヴは怯えた様子のクローディアスを抱きかかえて待っていた。

「どうしたんですか?」

「いいから早く!」

 伏見はイヴの背を押して、エレベーターホールへ行くように促す。自らも向かおうとするが、何かを思い出したように自室へと駆け込み、コートを持って戻ってきた。

 二人はエレベーターホールに入ると、伏見がスイッチを押してエレベーターの扉を開く。すぐに乗り込んで、B2のボタンを押した。

 ようやく伏見の表情から緊張が消える。

「どこへ行くんですか?」

「避難所さ」


「誰もいない?」

 輸送機の中で報告を受けた及川は、怪訝そうな表情を浮かべる。

「はい。ほぼすべての建物を確認させましたが、人っ子一人いないようです。衛星にも、人と思しき動体は検知されていません」

「……神の御業、でしょうかね」

「神、ですか」

 嬉しそうに笑う及川に、部下は愛想笑いで応えた。

「なぜ笑う?」

 突然言葉の温度が下がって、部下は硬直した。及川の顔からは普段の柔和な笑顔が消えており、刺すような視線で部下を見つめている。

「あ、いや……」

「神を冒涜しているのですか?」

「い、いえ。そんなことは。失礼、しました……」

 深々と頭を下げる部下を見て、及川の表情が不気味に笑顔に戻る。

「今日は引き上げましょう」

「え、撤退ですか?」

「ええ。どうやら彼は、私が思う以上に私のことを知っているらしい。研究所に戻って、博士にもっと詳しい話を聞かせていただきましょう」


「ここは……?」

 エレベーターを降りたイヴは、目の前に現れた地下通路を見て戸惑う。

「東京の地下には色々秘密があるんだ。もっとも、そのほとんどは震災で崩れてしまったけどね」

 伏見はコートから携帯端末を取り出し、遠隔操作でビルの電力を遮断した。かすかに聞こえていたサイレンの音が止む。同時にエレベーターのランプが消えるが、通路の足元は非常灯の明かりで照らされている。別系統の電源が確保されているらしかった。

「行こう」

 伏見に背を押されて、イヴはクローディアスを抱えたまま歩き出す。

「ここは古くから、要人の避難経路として使われていたんだ。東京の至るところに入り口があるんだけど、それを知る者は少ない」

「どこへ向かっているんですか?」

「着けばわかるよ」

 二人はしばらく入り組んだ地下通路を歩く。途中何度も分かれ道があったが、伏見は迷いなく歩を進めた。

 そして辿り着いたのは、古びた鉄製の扉の前だった。

 伏見はコートのポケットから鍵束を取り出す。その中の一つを扉の鍵穴に差し込み、回した。扉の内側で複雑な機械音がして、最終的にロックが解除される。

 伏見が扉を開けると、現れたのは昔ながらの日本家屋の玄関だった。靴を脱ぐタタキと呼ばれるスペースがあり、そこを上がるとフローリングの床になっている。玄関先には固定電話や姿見があり、奥まで廊下が伸びていた。

「さ、上がって」

 まるで実家に友だちを連れて帰ったような態度で、伏見はイヴを招き入れる。

通された先にあったのは、かつて銀行の金庫室に使われていたようなマンモス扉だった。唖然とするイヴをよそに、伏見は脇にある端末を操作して封印を解いていく。

 重い音を立てて、その鍵は開かれた。

 伏見がハンドルを回して扉を引くと、図書館で感じたカビのような匂いが漂ってきた。

「本物の歴史図書館へようこそ」

 伏見は、イヴがこれまで聞いてきた中で最も感情のない声で言った。内側にあった柵を開け、二人と一匹はその場所に立ち入った。

 イヴは息を呑む。

 そこには巨大なすり鉢状の空間が広がっていた。中心の円卓を囲むように、同心円上に弧状の書架が配置されている。しかしその書架に、本は一切入っていなかった。代わりに非常用の保存食や水が並べられている。一角には毛布もまとめて置かれており、まさしく避難所になっていた。

「ここは、なんですか?」

「今日……もう昨日か。授業でコロンシリーズの話をしたよね」

「中立的な立場から、歴史を記したという……」

「そう。ここはそのコロンシリーズを保護管理していた空間。アーカイヴって呼ばれてる」

「あなたは、いったい……」

 イヴが疑問を口にしたのとほぼ同時に、騒々しい足音が聞こえてきた。

「伏見先生! 地震、来るの?」

 先陣を切ってアーカイヴに入ってきたハナが、息も絶え絶えに叫んだ。

「地震と同じくらい怖いものが来てる。ハナのところはみんな無事?」

「う、うん。ちゃんと全員連れてきたよ」

 ハナの後ろから、わらわらと子供たちが出てくる。皆一様に眠そうにしていたが、アーカイヴの外周に列を作り始めた。

「定期的に避難訓練をしていて良かった」

 その後も続々と神田解放区の住民たちがアーカイヴへと入ってくる。地震に怯える者や夜中に起こされてご立腹な者など様々だったが、それぞれ訓練通りに列を作り、点呼をしていく。

「うん、大丈夫。間違いなく全員いるよ」

「ありがとうハナ。申し訳ないけど、今夜はここにいてほしい。保存食は食べすぎないようにね」

「心配しなくても、今は食欲よりも睡眠欲だよ。毛布借りるね」

「うん、自由に使って。クローディアスも頼むよ」

「ありがたいわ。冬場は暖かいから」

 ハナはあくびをかみ殺して笑い、イヴからクローディアスを受け取る。

「よし。イヴ、一緒に来てくれる?」

「はい」

 伏見はイヴを連れて玄関に戻ると、昔ながらの固定電話の受話器を取った。ボタンを押してダイヤルすると、低い男の声が返ってきた。

「佐伯? 遅くにごめん」

『いいえ。どうされました?』

「緊急事態なんだ。イヴをこれ以上神田で保護するのは難しくなった」

『……気づかれましたか』

「うん。少し前に箕輪外務大臣がまた説得に来たんだけど、その時にイヴを見られてる。おそらく及川と繋がりがあったんだろうね」

『どうします。まだ証拠を揃えるには時間がかかりそうですが』

「……ちょっとリスキーだけど、伏見家でかくまうしかないかな。他の家系に迷惑をかけるわけにもいかないし、国外に逃がすのはもっと難しいと思うから」

『了解しました。本日中にはお迎えに上がります』

「頼んだよ。それじゃ」

 伏見は通話を終え、受話器を置いた。後ろで会話を聞いていたイヴの表情は、わずかに曇っていた。

「教えてください。私はどうなるんですか」

 伏見は受話器を置いた姿勢のまま、溜め息をついた。

「本当は、もっとゆっくりこの世界のことを教えてあげたかった。……ついてきて」

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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