Evangelium02-6:恐るべき大人達
伏見が寝巻き姿で風呂から戻ってくると、イヴはすでに図書館に帰ってきていた。
イヴはソファに座ったまま、脇に本を置いて、膝にはクローディアスを乗せて、すうすうと寝息を立てていた。
「……お風呂から戻って、寝る前に読む本を選ぼうと思い、適当に一冊選んで試し読みしていたら、クローディアスが乗ってきて動けなくなり、諦めてそのまま寝た」
伏見はまるで見ていたかのように正しい推理を独り言で披露すると、奥の自分の部屋から毛布を一枚取ってきて、黒猫ごとイヴを包んだ。クローディアスは毛布の中でもぞもぞと動いたが、結局そのまま眠ったのか、毛布は規則正しく上下に動き始めた。
呆れたように溜め息をつくと、伏見は戸締りを済ませ、照明を常夜灯にして自室へと入っていった。
図書館の本が床に溢れていることから推測できるように、伏見の部屋もまた、本にまみれていた。かなり広めの部屋にも関わらず、そのほとんどは本棚と本の山で埋め尽くされ、伏見の生活スペースは狭い。本の山を崩さないように気をつけながら部屋の端のベッドまで辿り着くと、スタンドライトを点け、部屋の電気を消した。
ベッドに体を横たえ、伏見は薄暗い天井を見つめる。
そのままの姿勢で一時間ほど経って、伏見は諦めたように起き上がった。近くにかけてあったコートのポケットから、錠剤の入ったケースを取り出そうとする。
その時、遠くで数回破裂音が聞こえた。直後、図書館の方から猫の金切り声が。
伏見は頭が回転するまでに一瞬の時間を要したが、すぐにベッドを飛び降りた。
飛び込むように扉を開けて図書館に入り、すぐに照明を点ける。四つのソファの中心で、怯えた様子のクローディアスがうずくまっていた。
伏見は近くまで行って、黒猫を抱き上げる。ソファの上にイヴの姿はなかった。それから部屋を見回そうと首をひねると、すぐにイヴを見つけた。
部屋の隅、本棚と天井の隙間のスペースに、イヴはぴったりと収まっていた。
「イヴ、大丈夫だよ。下りておいで」
「……銃声がしました」
「多分爆竹かな。畑の鳥よけ用にストックしてあるんだけど、誰かが盗んで遊んだんだと思う」
「ですが銃声の可能性もあります」
「日本では銃を販売していないし、今は移民や難民が増えた関係で手荷物検査もかなり厳しいから、国が管理している銃以外は存在していないよ」
伏見は銃声の可能性もゼロではないことを承知の上で、イヴをなだめるための言葉を並べる。納得するまでに若干の時間はかかったものの、イヴはするりと本棚の上から下りた。
「……判断力が鈍っています。本棚の上に逃げても、対応の幅を狭めるだけでした」
真面目に反省するイヴを見て、伏見は苦笑する。
「ここは戦場じゃないよ」
「……そうですね。すいません」
「謝らなくていい。君は教えられたことを守ろうとしているだけだもんね」
「……はい」
伏見はクローディアスを抱いたまま、近くのソファに座った。クローディアスはすっかり落ち着きを取り戻し、伏見の腕の中でごろごろと喉を鳴らしている。
「目が覚めちゃった。良かったらちょっと、君の話を聞かせてよ」
「私の話、ですか」
「うん。座って」
イヴは言われるがまま、伏見の隣に腰を下ろした。
「何を話せばいいでしょう?」
「そうだな……君の一番古い記憶は?」
「一番古い記憶……」
イヴは遠い目をして、記憶の糸をたぐりよせる。
「温かい……水の中にいました」
「水の中……溺れたり、したわけじゃないよね」
「わかりません。でも水の中で、自分の呼吸の音を聞いていました。いつ頃のことか、はっきりとはわかりませんが」
「そっか……。それじゃ、ここに来る前のことを訊いてもいい?」
「それは、機密事項に分類される情報です」
「ここには機密の漏洩を咎める人はいない。一人の人間と、一匹の猫だけさ。僕は誰にも言わないし、こいつは喋れない」
なんの説得力もない説得だった。しかしイヴは口を開く。
「……あなたは、知っているはずです。私以上に。何か理由があって、私を助けてくれたんですね」
伏見は困ったように笑った。
「ご明察。今日の授業で、自分の立場が理解できたんじゃないかな」
「はい。アカデミーでは教えてもらえなかったことです」
「良かったら、話してほしい。君が覚えていることを、できるだけ」
イヴはゆっくりと頷いた。
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。
http://colonseries.jp/




