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Evangelium02-4:恐るべき大人達

「はい。というわけで、野球をします」

 伏見は暴風の中でダンスを踊ったような姿でそう言った。近くにあった学校の跡地に集まった子供たちは、未だご立腹だった。

「まったく、自分にもわからない問題を出すなんてずるいよ!」

「いやね、答えのない問題について考えるのは大切なことでね……」

「屁理屈はいいから、野球教えて!」

「はい」

 少し離れたところで、イヴはうっすらと微笑みながらその様子を見ていた。

 伏見は地面にひし形の図を書きながら、野球のルールを簡単に説明していく。子供たちは時折疑問を口にするものの、先程の授業よりはわかりやすかったのか、すぐにルールを飲み込んだようだった。

「じゃあ先生チーム対イヴちゃんチームね!」

「え、僕たちも参加するの?」

「まだよくわかってないから見本見せてよ」

「んー、さすがに野球選手だったことはないんだけど……イヴはどうする?」

「やってみます」

 心なしか楽しげなイヴを見て、伏見は折れた。


「じゃあ、まず見本ね。僕がボールを投げるから、イヴはそれを打ち返して、ベースを踏みながら走る。オーケー?」

「了解です」

「いくよー」

 伏見はぎこちないフォームから、なんとか調達できたテニスボールを投げた。イヴは鉄パイプを構え、腰を入れた姿勢から振り抜いた。鉄パイプの芯がテニスボールの中心をとらえ、スイングのエネルギーが打球へと無駄なく移った。

「おうっ――」

 打球は見事に伏見のみぞおちへと打ち返された。

「おー!」

「大丈夫ですかー」

 見ていた子供たちからは歓声が上がる。イヴはマウンドの伏見に声をかけながらも、冷静に走塁した。

「タ、タイム……」

 伏見はうずくまりながら、両手でTの字を作る。子供たちとイヴが集まってきた。

「野球って危ないスポーツなんだね」

「これは、子供たちがやるには危険ではないでしょうか」

 伏見はふるふると首を振る。

「あ、あのね……打ち返すとは言ったけど、打ってピッチャーにボールを返せってことじゃないの……」

「え、じゃあどこでも打っていいの?」

 まったくルールを飲み込めていなかった子供たちとイヴに、伏見は再度、細かに説明をしていく。痛みに耐えながら。

「わ、わかった?」

「そういうことだったのですね。わかりました」

「完璧! 今度はもう大丈夫だよ!」

「よ、よし。それじゃやり直しだ」

 ようやく伏見が立ち上がると、子供たちが散ってそれぞれのポジションに就く。イヴはバッターボックスへ。

「なるべく守備に取られないようなところへ打つんだよ! 狙っちゃダメだからね!」

 伏見に念を押され、イヴはこくこくと頷いた。まだ顔には冷や汗が浮かんでいたが、伏見はへっぴり腰になりながらもボールを投げた。

 イヴのフルスイング。パコン、という気の抜けた音と共に、テニスボールは伏見と子供たちの頭上を飛んでいった。そしてそのまま、校舎の屋上へと消えていく。

「……この場合、どうすればいいのでしょう?」

 鉄パイプを持ったまま、イヴは立ち尽くす。

「あ、えーと……ホームランだね。無条件で一点入るやつ」

 伏見の説明を聞いて、待機していたイヴチームから歓声が沸き起こった。

「あー、ごめんイヴ。走塁ついでにボール取ってきてくれる? 球になりそうなもの、あれしか見つからなかったんだ」

 イヴは頷き、小走りで校舎の中へと入っていった。

 しばらくして、イヴが屋上から顔を覗かせる。

「先にみなさんでやっていてください!」


 イヴは見つけたボールを校庭に向かって投げると、振り返った。屋上にある室外機等が載ったペントハウスの上で、麻布を身にまとった少年が佇んでいた。イヴは一度建物の中に戻ると、上へと続く階段を上る。

 階段を上りきると、イヴはすぐにその後ろ姿を見つけた。コーヤは室外機に腰かけ、流れる雲を眺めているようだった。イヴは少し迷ったが、足を踏み出した。

「こんにちは」

 コーヤの傍まで来て、イヴはアラビア語で声をかける。反応はない。それでもイヴは気にすることなく、コーヤの隣に腰かける。

「良い天気ですね」

 イヴは手を日よけにして空を見上げる。冬の澄んだ空には太陽が輝き、暖かな光が差していた。泳ぐように、ゆっくりと雲が流れていく。

「雲がお好きなんですか?」

 返答はなかったが、イヴは少年が何を思っているのか、必死に知ろうとしていた。

「一緒に野球をしませんか? 楽しいですよ」

 校庭からは楽しげな子供たちの声が聞こえてくる。しかし少年は口を開かない。

「……この前は、すいませんでした」

 沈黙。横を見ると、コーヤは感情のない顔で、ただ空を見ていた。

「本当に、すいませんでした。勝手に体が動いてしまって。あなたにはなんの非もないのに。

 ……伏見さんから、話を聞きました。あなたが喋らなくなった原因も。

 私も、あなたと同じでした、と言ったら失礼かもしれませんが……。私も、長いことゼロのままだったんだと思います。考えることを放棄して、ただ流れのままに生きていました。あなたは自分で考えて、ゼロを導き出したんですもんね。同じだなんて、本当に失礼ですよね。

 でも私、それではいけない気がします。私も、ゼロのままではいけないと思ったから。ゼロのままでは、きっと生きていないのと同じです。私にもまだ、答えはわかりませんが……。きっと生きているということは、ゼロではないと思います。私も自分の心で、もう一度考えます。だから、もし良かったらあなたも、もう一度考えてみませんか?

 どれだけ時間がかかっても構いませんから……あなたの言いたいことを、言ってほしい。あなたのしたいことを、してほしいんです」

 必死に考えた言いたいことを言い終えて横を向くと、コーヤがいつの間にかイヴを見ていた。まっすぐな目で。

「すいません、ただの独り言です。気にしないでください。……良かったら、野球、しに来てください」

 イヴは最後にそれだけ言い残して、ペントハウスを後にした。

 その日、コーヤが野球に参加することはなかった。

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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