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Evangelium02-2:恐るべき大人達

「……ふう」

 イヴは鍬を地面に立て、滲んだ汗をぬぐった。

 ここ数日空を覆っていた雲はどこかへ消え去り、陽の光が輝いていた。イヴは眩しそうに目を細める。

「イヴちゃーん! 休憩しようよー!」

 遠くからハナの呼ぶ声が聞こえて、イヴは手を振って答えた。

 コーヤへの謝罪以降、住民たちは考えを改め、イヴと仲良くなっていった。そしてこの街のルールに従い、“役割”を与えられることになった。役割をこなすことが、食べ物を貰うための条件だった。

 イヴに与えられた役割は、畑仕事。

 来年、神田解放区は初の米作りを開始することになった。丁寧に土を耕し、家畜の糞を使った肥料を撒き、田植えに向けて土壌を整えている。

 イヴは畑を耕す作業を一旦中断し、休憩を取っている仲間たちの元へやってきた。靴を脱いで、ビニールシートの上に座る。

「はい、冷たい水」

「ありがとうございます」

 伏見から受け取った水を、イヴは一気に飲み干した。気温は次第に下がりつつあったが、体は動かせば温かくなる。冷たい水が体に沁み渡るのを感じた。

「かなり土も出来上がってきたかな。水路はちゃんと機能してるし。下準備だけで二年もかかっちゃった」

 ハナが土を手でほぐしながら言う。

「ねー、いつまで耕せばいいのー?」

「できる限りだよ」

「ええー!」

 手伝いに来ていた子供たちから不満の声が上がる。

「本当はこんなところでお米を作るなんて考えられないんだって。だから土だけでもちゃんと作らないと」

 ハナは言いながら、ぼろぼろになるまで読んだ“米作り大全”の表紙を叩く。

「ねえ先生、ここって何をする場所だったの?」

 子供に訊ねられて、伏見は咀嚼していたふかし芋を飲み込む。

「野球っていうスポーツがあってね。ここは野球の試合ができる場所だったんだ」

「やきゅうってなに?」

「んー、細かいルールは説明が難しいけど、一人が球を投げて、一人がそれをバットっていう棒で打ち返すの。それを交代しながらやるスポーツ」

「それって楽しいの?」

「楽しいよー。周りにある席が全部埋まるくらい、観客が来てたんだから」

「えー、日本中の人集めたってそんなにいないよ」

「それは日本中を見てから言うんだね」

「むー」

「先生大人げないなー。ね」

「そうですね」

 満場一致で大人げない大人のレッテルを貼られるも、伏見は得意気な顔をしていた。

「おーい!」

 全員が声のした方を見ると、野球場のスタンド席にある入り口から、一組の男女がこちらに向かって手を振っていた。

「お、もう一人の大人げない先生が来たね」

「あっちの先生は大人だと思うよ」

 ハナの発言に、伏見は心外な様子だった。

「な、なぜ。僕となんの違いが?」

「もうすぐお父さんになるし」

 髭面で白衣姿の男性は、お腹の大きくなった女性を気遣いながら、ゆっくりと田んぼに下りてきた。

「よー、やってるな」

「こんにちは」

 二人は靴を脱いでビニールシートに足を踏み入れると、輪の中に招き入れられた。

「やあ。もう動いて大丈夫なの?」

「ええ。安定期に入ったみたい」

 お腹をさすりながら、女性は伏見に笑顔を返す。

「ご飯を食べすぎてしまったのですか?」

 イヴの何気ない一言に、一同は絶句した。その後、ハナが吹き出したのをきっかけに笑いが起こる。

「どうしました?」

 一人冷静だった伏見が口を開く。

「紹介するよ。この子はイヴ。最近知り合って、この街に住むことになったんだ」

「や、やあ。初めまして」

「うふふ、面白い子ね」

「イヴ、近くの街で診療所をやってくれてる、須藤シンジ先生。と、その奥さんのヒトミさん」

「よろしくお願いします」

 紹介を受けて、イヴは頭を下げた。

「よろしくな、イヴちゃん」

「よろしくね」

「そして、お腹の中にいるのが二人の赤ちゃん」

「赤ちゃん?」

「二人の遺伝子から生まれた子供。新しい命だよ」

「触ってみる?」

 ヒトミに言われて、イヴは膝立ちで近くまでやってきた。そして恐る恐る、膨らんだお腹に手を当てる。

「ここに、子供が?」

「そうよ。ほら」

「……動いています」

 イヴが顔を上げると、ヒトミは柔らかな笑顔で応えた。

「もう名前は決まってるの?」

「ああ。マナコにしようと思ってる」

「なるほど、良い名前だ」

 伏見は納得したように頷き、シンジは照れ臭そうに笑った。

「女の子なのですね」

「ええ。あなたみたいに美人になるといいんだけど」

「俺の娘じゃ期待できないけどな……」

「はっはっは」

「なんでお前が笑ってんだよ!」

 須藤は肩にかけていたポットを伏見に投げつけた。辛うじて眼前で受け止める。

「あ、危ないよ!」

「散歩のついでに差し入れ持ってきてやったんだ、ありがたく受け取れ」

「差し入れ?」

 伏見がポットを開けると、甘い匂いがあたりに漂った。

「おしるこだー!」

 子供たちは自分のカップを持って、大興奮で伏見を取り囲む。

「こ、こら! 一人ずつ一人ずつ!」

 聞く耳を持たない子供たち全員におしるこを配り終わると、伏見は暴風の中を歩いてきたようなありさまになった。

「大丈夫ですか?」

「……命に別条はないね。はい」

 伏見は戻ってきたイヴにおしるこの入ったカップを渡す。イヴは感謝を述べて受け取り、伏見の隣に腰を下ろした。

「皆さん幸せそうです」

 笑顔でおしるこを啜る仲間たちを見ながら、イヴはそんな感想を漏らす。

「……幸せがどういうものか、わかってきたかな」

「理解できているとは言い難いです。でも、なんとなく感じてはいます」

「幸せってそういうものさ。形はないけど存在している」

「私もいつか、あの二人のようになれるでしょうか」

 イヴの視線の先で、須藤夫妻は心の底から幸せそうだった。伏見はおしるこを啜り、頷く。

「なれるさ。いつか君も誰かと結ばれて、子供ができて、年老いて死んでいくんだよ」

「……それは、とても幸せなことですね」

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

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