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聖女が消えたその後で

作者: 真弓りの

「朝っぱらからうるせぇな…」


鳴らされる玄関のチャイムに起こされて不機嫌全開でドアを開ければ、ドアの向こうには爽やかな笑顔の配達員がいた。


荷物なんか来る予定ないんだが。


デカい仕事がやっと終わって、帰ってきたのは今朝がただ。もうちょっと寝かせて欲しかった。


差し出し人の名前を見て、思わず愚痴がこぼれる。


「なんなんだ、わざわざ。会った時に渡せばいいのに」


届いた小包の差し出し人は優子。


どうせ今週半ばには式の打ち合わせで会うっていうのに。…俺が忙しくて会えなかったから、心配してなんか保存食とか送ってくれたのか?お袋でもあるまいし。


いぶかりながら小包をあけた俺は、中から出てきた見覚えのある高級そうな箱を見て、一瞬固まった。


「………」


ゴクリ、と喉から音がした。



………これ、婚約指輪の箱じゃないか…?



慌てて箱を引っ掻きまわす。

中には、見慣れた優しい文字で「豊さんへ」と書かれた手紙が入っていた。


読んで、思わず床へへたりこむ。




『豊さんへ


その後体の調子はどうですか?


仕事もとても忙しそうだったから心配です。あまり無理をしないで体をちゃんと労わってくださいね。


今回は突然指輪を送って、驚かせてしまってごめんなさい。


実はこのところ体調が悪いとは思っていたんですが…27日に精密検査の結果が出て、余命半年だと知らされました。


そんなわけで結婚出来なくなってしまったので、残念ですがこの指輪はお返しします。


会って直接話したかったけれど、豊さんも忙しいし体調も悪いみたいだから、手紙を書く事にしました。


宣告を受けた日から数日は私もすっかり動揺してしまって、豊さんは疲れているというのに「会いたい」だなんて我儘を言って困らせてしまったけれど、会えないでいる内に随分冷静に考えられるようになりました。


よく考えたら、手紙で充分だって。


豊さん、同僚の方に「優子は優秀な家政婦」だから「早いとこ生涯契約しとかないと」って言ってたでしょう?


言われてみれば確かに豊さんから「好きだ」なんて言われた事はなかったね。一緒に出掛けるデートも殆どなかった。豊さんの家で片付けか看病ばかりしていたかも。


聞いた時にはショックだったけど、そう考えると確かに家政婦って納得だよね。』




なんだこれは。

なんなんだこれは。



読み進めるうちに、手が震えてきた。





『あの時は当然ショックも受けたけど、余命半年と分かってからは、この結婚が豊さんにとって雇用関係のようなものだったのは不幸中の幸いかもと思えてきました。


私も変に感傷的にならずに済むし、まだ式も挙げてないから豊さんの戸籍にも傷がつかない…むしろ良かったのかも、って。


やっとそう思えるようになったから、指輪を返そうと決めました。


来週末に打ち合わせに行く予定だった式場や、新居の内覧その他諸々はちゃんとキャンセルしたから安心してね。


会えない間に雑事は私がキレイさっぱり片付けました。病気が分かって会社も辞めたから、時間だけはあったし。豊さんは気持ちを切り替えて新しい人を探して下さい。豊さんイケメンだから、あっという間に見つかるかもね。


ご両親には…本当に申し訳ないけれど、豊さんから事情を話して下さい。


さよなら、豊さん。

もう会うこともないけど、くれぐれも体を大事にしてね。



優子』




衝撃的過ぎる文面に、頭が真っ白になった。


脳みそが内容を理解したくないのか、へたり込んだままバカみたいに何度も文面を追う。


「………」


「………」


「………」


どれくらいの間放心していたのか分からないが、少しずつ頭が覚醒してくるにつれて、俺はなんだか可笑しくなってきた。


ばからしい。


そうだよ、徹夜明けの寝起きだったんだから頭が働かなくて当然だ。冷静に考えれば分かるじゃないか、こんな事あるわけがないって。


ドッキリにしたってタチが悪い。


優子が体調悪いなんて聞いた事もない。いつだって体調が悪いのは生まれつき持病がある俺の方だ。体が弱い癖に不規則な仕事だから、デカい仕事が終わる度に寝込んじゃあいつを心配させてきた。


ここ2週間も忙し過ぎて優子にも素っ気なくしてしまった。いつもは笑って許してくれてたが、結婚を前にしてあいつも少しナーバスになってるのかも知れない。


きっとこれは、優子の抗議行動なんだろう。



そこまで考えて、自分の考えに納得する。珍しく拗ねているらしい恋人に、さすがに謝らなければならないだろう。なんせ、照れ隠しで同僚に言った言葉まで聞かれていたみたいだし。


俺の素直じゃない性格は分かってる筈だとは思うが、文面から見ても怒ってるのは確実だしな。



自業自得だが面倒な事になったと思いつつ携帯を取り出し、コールを鳴らした俺は、再び固まる事となる。


何度かけても繋がらない。

それどころかメールもラインも受け付けない。優子の携帯は、解約されていた。





激しく打ち始めた動悸をなんとか抑えながら、必死で車を走らせる。


まさかとは思う。


まさかとは思うが。




嫌な想像はすぐさま現実になった。

優子の部屋のドアは、既に俺が持っている合鍵では開かなくなっている。隣の人の話では、数日前に引っ越したらしい。



電話は繋がらない。

家は引っ越してしまった。

優子の友人の連絡先なんか知らない。



参った。

優子は本気で俺との関係を断とうとしている。



その事実に、目の前が真っ暗になった。昨日までこんな事は想像すらしていなかった。素直じゃなくて無茶ばかりの俺を優子がこれからも支えてくれると、何の疑いもなく信じていた。


でも、優子は…


もしかして、余命半年だというのも本当なのだろうか。それとも俺に嫌気がさして、結婚を諦めさせようとついた嘘なのか。どちらにしろ優子は強い意志で連絡手段を封じている。




今週末は、優子のご両親に正式に挨拶に行く予定だった。式場巡りに挨拶と、プライベートが忙しくなる事を見越して、今朝まで死に物狂いで仕事を詰めて詰めて、やっと終わらせてきたというのに。



激しい虚脱感に襲われて、床に座り込んだ。壁にもたれて焦点の合わない目で虚空を見つめる。



不思議と涙は出なかった。




「ははは…」




口から勝手に自嘲の笑いが漏れる。


照れ隠しの言葉ひとつ聞かれたくらいでこうもすっぱり縁を切られるなんてな。よっぽど俺は信頼されてなかったらしい。





…幸せにするつもりだったのに。


面倒臭いし照れ臭いが、結納も式もちゃんとして、親戚付き合いだってやる覚悟だったのに。


まだ電話でしか話した事がない優子の親父さんとお袋さんに、ありきたりだけど「優子さんを必ず幸せにします」って誓うつもりだったのに。




そこまで考えて、ふと思い当たる。



…優子の実家の電話番号なら、ご両親に繋がるじゃないか! アホか俺は!よっぽどテンパっていたらしい。




急いで携帯電話を取り出して、優子の実家に電話をかける。これほど、4コールが心臓に悪いものだと、俺は始めて知った。


出たのは、親父さんだった。


優子の婚約者だと名前を告げると、いきなり親父さんから怒鳴られる。


「お前のせいで、優子はーーー!!」


よく聞き取れない。

聞き取れないけど……言葉の切れっ端をつなげて理解したのは、優子の病気も、余命も、本当の話だということ。


そして優子が、そんな体だというのに、居場所も告げず行方不明だということ。


「あんたには……なかなか連絡がつかんで、まだ直接は言えとらんちゅうとった……突然余命なんか宣告されて、あんたにはすげなくされて……優子は……優子は……」


最後は切れ切れに、泣きながら俺を責める声は、既に憔悴仕切っていた。後ろで聞こえるお袋さんの嗚咽と優子を呼ぶ声が、酷く耳に残る。優子の声に、凄く似ている声だった。





あれから、半年が経った。


俺は、まだ優子を探している。優子の死なんて考えたくもない。余命宣告よりも長く生きる人だっているんだから。



探偵も雇ったし、貼り紙もネットも思いつく事はなんだってやった。それでも手がかりは欠片も得られない。親御さんが出した捜索願でも、いまだ有力な情報は得られていないらしい。


今でも休日の度に街に出る。


あいつが働いていた会社の前、あいつの住んでた街、好きだと言ってた本屋…懐かしくなって、ふらりと来たりしないだろうか。



会えたなら、まずは今までの事を謝ろう。この指輪をもう一度渡して、そして今度こそちゃんと言うんだ。


「好きだ。結婚しよう」って。

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― 新着の感想 ―
[一言] 壁に耳あり、障子に目あり 悪口、千里を駆ける 『 豊さん、同僚の方に「優子は優秀な家政婦」だから「早いとこ生涯契約しとかないと」って言ってたでしょう? 』 照れ隠しでも、いい年をした大人…
[一言] 照れ隠しだ何だといったところで、男が言葉を形にしてたのは「家政婦扱い」で「愛」ではない。 婚約者に対して「愛」を言葉にしてたかは知らないけれど、同情する気は起きないかな。 婚約者にしてみれ…
[良い点] このお話があってこそ、収まりがついた。 と、感じたところ。 [一言] はじめてお邪魔します。 久しぶりに著者様の過去作品をたどり、このお話を読み返しました。 で、やっぱり泣いてしまいました…
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