祭り
彼女が目を覚ますと、彼に抱きつかれていた。
――……暖かい。ルッツ、まだ寝てる?
彼女は体を起こそうとするが、彼に窮屈なほどしがみつかれて身動きが取れない。彼女は諦めて鳥の声に耳を澄ませた。
「ねぇ」
寝ていると思っていた彼から声が発せられ、彼女の心臓が跳ねた。
――起きてた? 寝言? びっくりした。
「ねぇったら、サク」
舌ったらずに呼ばれる。
「……はい。おはようございます」
「ん……はよ」
彼は依然、彼女の動きを封じている。
「今日、お祭りだね」
「そうですね」
――去年も一昨年も、ルッツと一緒に花火を見た。
彼女は彼に手を引かれて歩いた、いつもとは違う街の熱気を思い出していた。
毎年10月30日、31日はお祭りだ。ハロウィンと重なっていることもあり、街には様々な仮装をした人達が押し寄せる。屋台が数多く出店し、表通りと広場にはランタンが並ぶ。夜になるとランタンに明かりが灯され、花火が打ちあがる。2日続きの街を挙げてのお祭りだ。
彼女は今でも鮮明に思い出すことができた。闇に浮かび上がる美しい花と、彼の綺麗な横顔を。
「俺は……、出かけてくる。浮かれた女からは情報を聞き出しやすいからね」
彼女は胸に痛みが走ったが、何事もなかったことにして答える。
「そうですか」
彼が彼女を抱く力が強くなり、彼女は苦しいのを我慢した。
「サクは……俺がいないと駄目だよね?」
彼のいつになく弱弱しい声を聴いて、彼女は心配になる。
「はい。私はルッツがいないと生きていけません。いないと、死にます」
彼は溜まらなく切なくなって、彼女の髪や頭に頬を摺り寄せて、もう一度確認する。
「俺がいないと、生きていけない?」
彼の声は苦しげだった。
彼女はおそらく何百回も言った言葉を口にする。
「はい。ルッツがいないと生きていけません」
彼女の言葉が毒針と化し、彼の胸に突き刺さった。
――しょせん俺たちは、お互いを利用しているだけだ。サクは生きるために、俺はサクの能力が便利だから、利用するために。俺も利用していたんだから、サクを責めることはできない。でも、少しは期待してたんだ。期待、してしまったんだ。
「ねぇ、俺、俺ね、消えたいんだ。何も残さず消えてなくなりたくなるんだ。サクは」
彼は泣きそうな声で話し出し、言葉に詰まった。
彼女は目を潤ませる。何百回も殺した心で、それでも残った感情が、彼女に悲しいと訴えた。
「私がどんな時も、隣に居ます。苦しい時も、辛い時も、消えたい時も、ずっとずっと一緒に居ます。……消えたくなったら、私がルッツを支えて見せます。だから、いつでも私に倒れてきてください。強がらないでください。だって私はルッツを裏切りません。絶対に。……ルッツが、私に名前をくれて、世界を教えてくれたんですよ? 私だって、ルッツの役に立ちたいんです」
彼は鼻がツンとして、涙が出そうになるのをこらえた。同時に、心に温かい何かが広がり満たされた。今までにも何度となく感じたものだった。ただしそれは、彼女と出会ってからのことだが。
――居ても、いいのかな……、
彼は考える。
――この子の隣に……居て……いいのかな。……愛ってのは、こういうのを、言うのかな。わかんないよ。だって、知らないんだ。
愛なんていらないと強がっても、彼の心はもう限界のようで、それでも彼女を信じるのは怖かった。過去に負った傷たちが、何も信じるなと、何も期待するなと喚く。期待すれば傷つくことを、彼はもうとっくの昔に何度も繰り返し知ってしまった。
――もう……やめてくれ……
気持ちが悪い。吐いてしまいたい。
どれほどの時間が過ぎたのか、2人にも分からなくなった頃、彼が彼女に回していた腕をほどき起き上がった。
彼女も起き上がり、大きく伸びをする。
「今日、外に出ないで」
彼は温度のない声で命令した。彼女がいなくなることが、怖くて仕方なかった。
「はい。出ません」
彼女は真摯に答える。
「絶対、だよ」
彼は脅すように語気を強めた。
「はい。絶対に出ません」
脅したいわけじゃないんだと、彼は不甲斐なさで立ち上がれそうもない。彼女は何も言わずに傍にいた。
彼がいなくなった部屋の窓から楽しげな祭りを見下ろす。
賑やかな喧騒がガラスを通り抜けて彼女の耳に吸い込まれていく。雑多な音が聞こえるが、彼女は何も聴いてはいなかった。その瞳は、死んでいた。
彼がいないのなら祭りなど意味はない。どれほど鮮やかな飾りも、滑稽な仮装も、綺麗な花火も、彼のいない世界ではすべての色が失われた。彼女にとって、彼が世界に繋がる唯一の鍵なのだ。
5年前の夜、彼の手を掴んだその時から、彼女の人生は始まった。
ある孤児院で育った彼女は、最初からそこへ居たのではない。物心つく前のおぼろげな記憶では、もっと緑豊かなところで過ごしていたようだ。しかしいつの間にか彼女は無機質な部屋にいた。真っ白と、黒い鉄格子。親の顔すら思い出せなくなって、いや、いるのかどうかも分からなくなっていた。
孤児院は5年前の火事で焼け、彼女はその火事に乗じて逃げ出したのだ。
鉄格子を影で切り裂き廊下へ出ると、真っ白な通路の奥から炎が見えた。彼女はふらふらと歩き出す。別にそこで死んでも良かった。生きる理由なんてなかった。だが本能が火を避けるように、彼女は火のない方へ歩き出す。
眼が眩むほどの照明に照らされた廊下を進んでいくと、そこだけまるで爆発があったかのようにぽっかりと壁が崩壊していた。外に見えた暗闇に吸い寄せられていく。瓦礫をまたいで、幾年ぶりかの土を踏んだ。
窓辺に手をついて通りを眺めるが、依然その瞳に光はない。
――ルッツは今、他の女性と。
なんだか分からないがモヤモヤとする。どういうわけか胸の辺りが気持ち悪いと、彼女は胸をさすって紅茶を飲みほした。しかしよく分からないものは消えてくれない。諦めたようにソファーに身を沈めて、目を閉じた。
――そういえば、今日は何時に帰って来るのか言ってくれなかった。もしかしたら、帰ってこないのかな。どちらにしても、夕ご飯の用意はしておこうか。
午後の陽気に当てられた街は華やかな衣装で溢れかえり、道行く人たちにも笑顔が咲く。
そんな中、つっけんどんな顔で雑踏に紛れる男がいた。男はピエロのような格好で、頬に星マークをペイントし黒いハットをかぶっている。衣装については全く浮いてはいないのだが、その男が歩くたびに人々の目を引くものがあった。黒いハットから覗く髪が右は濃いオレンジ、左が薄い紫ときれいに別れているのだ。珍しいというより異常な髪だが、今日はお祭りということもあって、さらに言えばハロウィンカラーということもあって、なんとなくスルーされている。
「すごおおおい!! その髪どうしたの!? お兄さん!」
「お兄ちゃんの髪すごいね!」
「かっこいい!」
男が目線を下げると、可愛らしい着ぐるみを着た3人の子供たちに行く手を阻まれていた。男は不機嫌な顔から笑顔に変わって、
「君たちの仮装もすごいですね。ママのお手製ですか?」
「うん! そうなんだよ!」
「かわいいでしょう!」
そういって、ウサギの着ぐるみを着た女の子が軽やかにくるりっと回った。丁寧に尻尾まで縫い付けてある。
「はい、かわいいです」
熊の着ぐるみを着た男の子が、猫の着ぐるみを着た男の子の脇をつっついた。
「ねぇ」
それを合図に3人の子供たちは頷きあうと、満面の笑みでこう言った。
「「「trick or treat!!!」」」
「はい、キャンディー」
男はそういって何もない手のひらを差し出す。
「? 何もないよー?」
「ないよ?」
男が開いた手を重ね合わせもう一度開くと、カラフルな包み紙のキャンディーが3つ手のひらに転がっていた。男はそのキャンディーを子供たちに握らせる。
「うわあああすごい!」
「手品! 手品だー!」
「もう一回! お兄ちゃん!」
そう言って顔を上げた子供たちの前に、もう男はいなかった。
準備は滞りなく進む。花火師も、道化師も、殺し屋も、能力者も、マフィアも貴族も軍も、それぞれの思惑を秘めて、花火が光る時、誰も彼もが目を奪われている隙に大切なものを持っていく。気付いた時にはもう遅い。




