お出かけ
話の本筋から離れます。2人がデートしてるだけなので、読んでも読まなくても話はつながります。
翌日、彼らは少し遠出して繁華な街をぶらついていた。
彼はなんだか疲れてしまったので気分転換しようと、久々に遊びに出ることにしたのだ。そして彼は、彼女に『心から』楽しいと感じて欲しくて、街へ連れだした。
彼は左手で彼女と手を繋ぎ、右手には紙袋をぶら下げている。
紙袋の中身は服だ。
彼は普段、彼女に似合いそうな服を勝手に買ってくるが、今回は彼女に自分で選んでもらおうとした。しかし彼女は――初めて服や靴を買いに出かけた時もそうだったが――「服なら足りています。でもルッツが選んでくれるならどんなものでも着ます」と言ったため、結局ルッツが選ぶことになった。
それなりに長く一緒に暮らしているにも関わらず、彼女の好みに関する判断材料がなく彼はずいぶん頭を悩ませた。この5年間のうちに分かった事といえば、彼女は彼に対して絶対にノーと言わない事くらいだ。普段彼女が来ている服も全て彼が買ってきたもので、彼女一人で買いに出かけるのは食料や日用品くらいだった。
――サクの好みが判明しない。頭痛がしてきた。
今回は彼女に似合うものではなく、彼女が好きなものを買う、ということが重要なのだ。彼は彼女の微妙な表情の変化を読み取ろうとしたが、彼女は無表情でいるか微笑むかだけでなんとも分かり辛い。
――本当に俺が選ぶなら何でも嬉しいの? 嫌なものだってあるでしょ。そうだ、それでいこう。
彼は何かを探すようにいろんな店を眺めまわし、一見の怪しげな店を発見した。
――うわっ……よし。
「ね、ねぇサク! あの店、入ろうか」
彼は一方的に言って彼女をぐいぐいと引っ張る。つい手が力むようだ。
彼女は人にぶつからないよう注意しながらついていく。
店の名前は『❤THE★COSPLAY❤』その名の通りコスプレ屋さんだ。ハロウィンが近いからか、入り口はちょっとしたハロウィン仕様になっていた。
2人は開けっ放しの扉から店内に足を踏み入れた。外の光を遮る分厚いカーテンに彼はどことなく怪しい雰囲気を感じ、店の奥の方を見ようと目を凝らすがすぐに止めた。奥に行くほど薄暗くなっており、さらに棚が所狭しと並んでいるので全く見えない。まるで迷路のようだ。
扉脇の小さなテーブルの上には、いくつものお化けのぬいぐるみがくたびれた様に座っていて、天井からは黒いトンガリ帽子や星や月の飾りがぶらさがっている。
床には中身をくり抜かれてニヒルに笑うカボチャが来客を見上げ、そのすぐ横の床からはミイラのような手が生えていた。
入って右の棚にはアクセサリーやハロウィン仕様の雑貨が置いてあり、値札がついていた。
彼は店の雰囲気に尻込みしそうになるも、きちんと物を売っていると分かったため、意を決して歩き出す。
2人は店内を見まわしながら棚と棚の間を縫って奥へ進んだ。見通しが悪く、棚に並ぶものも骨董品や頭蓋骨、用途のわからない液体など怪しくなってきた。
――人体模型だ。ちっさ。これ目玉!? 気持ち悪っ!! 本物じゃないよね……まさかね。作りものだよね、作り物。うわー色んな物があるにはあるけどさ、変なのばっかり。売れてるの?
「いらっしゃいませ」
しゃがれた声に吃驚して2人が後ろを振り向くと、曲がった腰に長い白髪、年齢不詳の胡散臭い――ある意味では百点満点の――お婆さんが、薄暗い店内に溶け込むように去っていった。
――足音が、しない……
向き直った彼女が不安を目で訴える。彼の手を両手で握った。
――あ、かわいい。いやいや。
「大丈夫だよ。びっくりしたけど」
「……はい」
彼女は両手を放さない。
――正直心臓が飛び出るかと思った。お化け屋敷かここは。
彼は勇気を出して奥へ進む。
「オルゴール?」
彼は繋いでいた手を離して可愛らしい見た目の箱を手に取った。彼女も覗き込む。箱の後ろにネジがあるが回さずに開けると、
「「「「「「ギャハハハハハハハハハハヒャハハハハハハ」」」」」」
「「ひっ」」
ぱたん。
老若男女の笑い声を大音量で店内に響かせた箱は、ふたを閉めると沈黙した。心臓が鳴りやまないままにそれを棚に戻す。耳の奥でヒステリックな笑い声が木霊した。
――ネジ回してないのに! なんで!? 呪われてるの!?
「あんまり、触らない方がいいかもね、他の商品も」
「そう、ですね」
彼女は手を胸に当てている。
彼は心臓を落ち着かせるために周囲に怪しい物が無いか確認する。そしてかろうじて手が届きそうな一番上の棚を見上げると、見たことのない植物が置かれていた。奇怪な色の花を咲かす植物が植木鉢に植えられていたが、その花の周囲で虫が大量死していたことは見なかったことにしてさらに奥へ進む。
彼女は不安なのか先を行く彼の服を握り締めた。
――コスプレって看板なのに服がないんだけど。
服を探しつつも彼はどこからか漂ってきた甘い香りに心を惹かれた。目的そっちのけで辺りに目を配る。すると、ご自由にどうぞと手書きのメモが入った籠に、透明の飴玉が溢れんばかりに詰め込まれていた。彼は生唾を飲み込み、伸びそうになる手を抑える。
――こんなもの、怪しいに決まってる。駄目だ。駄目だ。
むりやり視線を外し隣を見ると、彼女も透明な飴を凝視していたので手を引いて香りの届かないところへ逃げた。
キレイなガラス細工だが使い道に悩む物や、何故か洗濯バサミがあったり、瓶にはなんだかよく分からない生物がホルマリン漬けにされていたりして、目的の服は一向に見つからない。
「ん?」
彼は何かを見つけたようで、彼女の手を引く。
彼女は店内に入ってからというもの珍しそうに、でなければ不安からか、あちこち見まわすばかりで商品を触ってはいない。
――何か手に取ってくれれば、分かりやすいんだけどな。
彼はやっと見つけたコスプレ衣装の前で立ち止まる。けっこうな数がハンガーに吊るされてずらりと横に並んでいる。
――変態って思われたら嫌だな。俺はこんな趣味、断じてないし。
彼はおもむろに1つを取り出して見てみると、大胆に背中が開いた、深いスリットのある赤いドレスだった。
――こんなの外じゃあ着れないよね。派手すぎて下品だし露出しすぎ。
彼は何も言わずに元に戻し次の服を掴んだ。上下別れているようで、上の服はベストのようだ。丈が短すぎてお腹周りの生地はなく、ほぼ胸を覆うだけでボタンは1つ、腕も丸出しだった。スカートは膝上15センチといったところか。
――この服の用途がまるで分らない。何のコスプレだか見当もつかない。けど、ここでの目的はサクに嫌と言わせることだ。
彼は思い切って彼女に問う。
「サクはこういうのどう、好き? 嫌い?」
口を開けて衣装を見ていた彼女が彼の顔を見た。
「……」
彼女は彼の顔を見つめるだけで何も言わない。
彼がもう一度問おうとした時、返事があった。
「ルッツが好きなら、好……き……かも、しれない、です」
彼女は困ったように目をうろうろさせる。
――お? 後もうひと押し?
「俺のことはいいからさ、サクがどうなのか教えてよ」
「ルッツは好きなんですか?」
「え、いやそんっっ! ん、ええと、俺は、そうだなぁ、うーん、サクは?」
――先に俺が答えたら負けだ! サクは必ず俺に合わせてくる! それがサクの戦法だ!!
「ル、ルッツがこういうの好きなら、あの、が、頑張り……ます……」
――……頑張り……ます?
彼女は恥ずかしいのだろうか。顔を隠すように俯いてしまった。
――頑張る……頑張る……頑張る……はっ! あああ! 何考えてんだ俺は! ないよ! 俺はこんな破廉恥な服なんて全くこれっぽっちも興味ないよ! ないから!
いきなり頭を猛烈な勢いで振り出した彼に、彼女は驚いたように顔を上げ心配げに声をかける。
「あ、え、あの、ルッツ?」
呼ばれた彼はぴたりと止まり、しばらく彼女を睨みつけるようにしてから言った。
「……出ようか」
言うが早いか服を戻すと、彼女の手首を掴んで急ぎ足で棚やら壺やら障害物を避けていく。
彼の背中のせいで前の見えない彼女は小走りでついていくのに必死だ。何かわからないぐにゃりとしたものを踏んで彼女は思わず小さな悲鳴を上げたが、彼女がこけそうになるのも彼は気づかないのか速度を落とさない。
店の出入り口が見え、彼は外の明るい光にほっとして至近距離にいた老婆の横を通りすぎた。一瞬にして肝が冷える。彼女は悲鳴を飲み込むように喉をこくりと鳴らし、咄嗟に空いている手で彼の腕を掴んだ。
老婆は棚と棚の隙間から2人の後ろ姿を見やり、
「お気に召す物が無かったようで。またのご来店お待ちしております」
生気の感じられない声で呟いた。
2人は半ば走り出るようにしてその店を後にする。
店からは充分に離れたが、彼の足は止まらない。
彼女は小走りで大人しく彼の後をついていく。
しばらく行くとオープンカフェなどが乱立している広場に着き、彼はそこでやっと足を止めた。綺麗な色のガーデンパラソルがいくつも太陽の光を反射している。
彼女は息が上がっており、彼が止まってから体の力を抜いて、乱れた息を整えている。
彼は振り向いて初めて彼女の様子に気づいた。
「あっ、ごめん、つい急いじゃって」
「はぁっ……いいです」
「大丈夫? どこか休憩しようか。ごめんね。あの店から一刻も早く離れたくて」
「私も、はぁ、離れたかったので」
「うん、あんな店入って悪かったよ、最初から変な雰囲気あったよね」
「ふふっ」
――あ、
「でも、ちょっと楽しかったですよ」
そう言って彼女は、いつものような微笑ではなく、楽しげに笑った。
彼はその甘い笑みに目を奪われて、周囲の景色が消え去ったかのように、彼女しか見えなくなった。
――今日の目的、1つクリア。
2人はとりあえず空いているベンチに座り、彼は飲み物を買ってくるからと、どこかへ行ってしまった。
彼女は1人で心細いのか地面を見つめている。
それを遠くから時折確認しながら、彼は列に並んでいた。タピオカジュースを買うようだ。
――俺はストレートでいいけど、サクは……何がいいだろう……、ミルクティー? ココナッツ?
もうなんでいつも俺が決めなきゃいけないんだ、とか思わなくはないけどさあ。どうしよう……。
彼はカップを両手に持って、急ぎ足で彼女のもとへ向かう。
地面を見ていた彼女の目に彼の靴が映り、視線を上げる。
「ありがとうございます」
「うん、いいよ。おまたせ」
彼は隣に座り、ストロー入りのカップを掴んだ両手を彼女の前に出して問う。
「どっちがいい?」
「どちらでも」
さらりと返ってきた。
――うん。予想通り。
「飲み比べてみる?」
彼はまずミルクティーを彼女に渡した。
「どう?」
「美味しいです」
「はい」
彼は彼女の手からカップを奪いココナッツジュースを渡す。彼女は大人しくそれを飲んだ。
「どっちの方が美味しい?」
彼女は相変わらず無表情だが、やや言葉に詰まったように間が開いた。
「……どっちも美味しいです」
「ほんとに?」
「はい」
「どっちも同じくらい好きなの?」
「……はい」
彼女は彼の顔を見ながら不安げに答える。
「……そっか」
彼は残念そうな目をして優しく彼女の頭を撫でた。
撫でられてもなお彼女は、彼を窺うかのように目を離さない。まるで彼の表情からどの答えが正解なのかを読み取ろうとしているようだ。
――俺じゃなくて、君がどうなのか、なんて言ったってさ、きっとすり抜けてしまうんだ。自分が向き合わない限り……ああそうか。
彼は心の中で嘲った。
――俺もか。
彼は撫でるのを止め、無言で広場に視線を移し持っていたミルクティーを飲みだした。
彼女はこちらを見ない彼に何かを感じたのか、視線を自身の膝に落としてストローに口をつける。会話もないままに飲み物の量だけが減っていった。その沈黙に、いつもの居心地の良さはない。
彼は一組のカップルを目で追っていた。蔑むような目だ。
――馬鹿みたいだね、嗤えるよ。あんなの長続きしないのに。
彼は冷笑を口元に浮かべると、飲み干したカップを脇に置き無言でベンチから立ち上がった。
彼女は急に立ち上がった彼の横顔を見上げて、何も言わずに目を伏せる。
彼は歩き出す。意地の悪い笑みは跡形もなく消え去った。先程から見ていたカップルに手が届きそうなほど近くへ寄ると、さも嬉しそうな笑みを満面にたたえて女の方に声をかける。
「エミルちゃんだよね! この間は楽しかったよ、化粧薄いと印象違うからさー、最初は気づかなかったんだけど、うん、そっちの方が可愛いな。化粧は薄い方が俺の好みだ。また料金はずむからさ、都合の良い時に呼んでよ。あ、お客さんとデート中だった? ごめんね」
爽やかに言い捨てて女の返事も聞かずに、サクが座っているベンチへ戻る。
カップルはきょとんとした顔で彼の背中を見送った。
彼は軽快に笑いだす。彼の視線の先では先程まで和気あいあいとしていた1組の男女が喧嘩しだしていた。女の方は目に涙を浮かべ、男と言い争っている。
彼女は興味もないのかそちらには目をやらず、パラソルやら人混みやらを眺めていた。
「平和そうな奴らが争いだすのって、見てて笑えるよね。くだらないまま事も今日で終わりだよ」
彼は楽しげに言葉を連ねる。
「愛なんて、そんなものは本当は存在しない。愛って言葉を聞くだけで吐き気がするよ。あいつらは結局、快楽を貪りたいだけさ、醜悪だね、見ていられないよ。そう思わない?」
「そうですね」
彼女は無表情なまま返事をする。
「サクってホント俺以外興味ないよね、俺が死んだらどうするの?」
「死にます」
彼女は即答し、彼は満足そうに笑う。
その笑みに一瞬、安堵の色が浮かんだのを彼女は見逃さなかった。
「帰ろっか」
彼はベンチから立ち上がって、彼女に手を差し伸べる。
彼女はその手を取って空になったカップも2つ手に取る。
「ああ、捨てるの?」
彼は周囲を見回す。彼女もゴミ箱を探すが、見つけるのは彼の方が早かったようで繋いでいた手を引かれた。
歩く彼の後ろ姿を見て彼女は、やはり彼のことを考えていた。
――私がいなくなったら、ルッツは、……どうするの。
彼女は震えそうになる手に力を込めた。
いつの間にか陽も傾き、うろこ雲が黄金色に染まっていた。
2人は往来の激しい街路を歩いて駅へむかう。