逃亡
「ほんとに良い所なんだ。のどかでね、サクもきっと気に入るよ」
「はい」
「川があってさ、すごく透き通ってるんだ。底の石も、泳いでる魚も見えるぐらいに。それからね、夕方になるとね、実った稲穂が太陽に照らされて、金色に輝いてすごくきれいなんだよ。それからね、」
彼らは夜のうちにこの街を抜けようとしていた。零時もとうに過ぎたというのに、相変わらず仮装者たちは夜の街を徘徊している。子供はさすがにいないようだが。
彼は継ぎ接ぎだらけの服を着てフードを深くかぶり、マスクまでして顔が分からないようにしてあった。ゾンビのようだ。彼女は真っ黒なワンピースを着ているが手や首から包帯が垣間見える。顔を隠すようにとんがり帽子を深くかぶっていて魔女のようだ。お互い手を繋ぎ、隣町まで足早に歩いていた。
――カルス、ずいぶん自然の多い町みたい。うーん、村なのかな?
彼が言うには、カルスという町まで逃げるようだ。そこで身を潜めるつもりなのか。
「ふぅ……ここまで来たら、逆にこの仮装は怪しいかな?」
隣町まであと少しだ。仮装者もまばらになり、祭囃子も聞こえてこない。バレス地区の中心街からは大分離れたようで、ランタンもぶら下がっていなかった。
「サク、足は大丈夫?」
彼が心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「はい、まだ歩けます」
「……ほんとに? サクはいつも平気な顔するから、痛くてしょうがなかったらいうんだよ。君をおぶるくらいなんてことないんだからね」
そう言って彼は真っ暗な路地裏へ彼女の手を引いて歩いていく。
「ここで捨てよう。もう隣町だ」
彼は継ぎ接ぎだらけの服を脱ぎ棄て、時計を確認した。彼女もワンピースを脱ぎ捨てる。2人とも下にもう一枚服を着込んでいたようだ。
「暗くてよく見えない……でも、列車が出るまでまだまだ時間があるね。日も昇ってない」
「そうですね……始発は確か、5時にならないと」
「だね。それまでに、できるだけ遠くへ行こう」
彼らはそのまま路地裏を突っ切って狭い小路を行く。足音が反響する石畳の坂を登り、手を繋ぐ2人に月明かりが優しく降り注いだ。
――月がキレイ。
彼女は夜空を見て目を細めた。
――あれ、塔の上に……誰か……いる?
彼女が瞬きすると、影はなくなっていた。
――見間違いかな。
冷たい静寂を切り裂いて、銃声が暁の空へ轟いた。とっさに彼の前へ出た彼女の身体が沈む。続いて二発。闇を貫いて、彼の体に熱い銃弾が押し込められた。狙いを外した一つは石畳に弾痕を刻みつけて転がった。
「おい!! 女は撃つなっつっただろーが!! 倒れてんじゃねぇか!!」
塔の上で声を荒げた男がスコープを覗き込んでいたスナイパーの胸ぐらを掴み上げる。
「しゃあねぇよ!! 女がいきなり前に出たんだ!! 狙って撃ったんじゃねぇよ!! だいたいいくら俺が夜眼だっつっても、こんな暗闇で撃てって方がどうかしてんだ!!」
スナイパーは自身の胸ぐらを掴んでいる手を払った。
「くっそ!! 役立たずが!!」
「あんだと!?」
「てめぇはもういい。夜眼くらいまだまだいるんだ。使えない奴は死ね」
スナイパーは目を見開いて、塔へ手を伸ばす。しかしその体は既に空中にあった。
「あああっ!!」
恐怖に染まった顔で男は真っ逆さまに落ちていく。
スナイパーを空へ放り出した足を下げて、燃え立つ血のような紅い目をした男は悪態をつく。
「くっそ! くそ! くそ! くそ! くそが! 上にどう報告しろってんだ!」
――え?
サクの身体が、目の前で倒れていく。
刹那、腹に熱い痛みが突き刺さった。それは彼の中に留まって、痛みを増していく。
「!! っは、」
彼は倒れ込みそうになる足を何とか踏ん張らせて、倒れた彼女を脇にある薄暗い路地に引き込んだ。屋根が邪魔するがかすかに月の明かりは届いている。
「サク、サク!」
彼は彼女の顔を覗き込む。
しかし鮮烈な痛みに耐えかね彼女の隣に倒れ込んだ。
「う……ぐっ」
彼女の身体から赤い血が流れ出していた。目の前が、真っ赤に染まる。
――サク、やだ、こんなの、やだ
彼はもはや体を動かすこともできず、喉がカラカラに乾いていく。頭が霞がかって、それでも最後は彼女を見ていたいと、動かない手を伸ばした。石畳に広がった血路に指先を這わせて、愛を紡ぐ。
――サク、愛してる。愛してるんだ。ねぇ、聴いて。サク。……まだ、っ、言って、ないんだ、
彼は月に照らされた彼女の安らかな顔を見て、目を閉じた。
彼の脳から記憶が――彼女との記憶が―――漏れ出していく。
――全部……奪われてくみたい――
伝えたら、君はどんな顔をしただろう。
君に永遠を求めて、俺は、君に愛を求めて、……愛って、なんだろう。俺は必死に探してた気がするよ。 生まれた過去を憎んだって、君と出会ってからは、そんなに悪くもないかなって……。
……俺たちの生まれた意味は……、なんだったのかな。ねぇ、サク。
逃亡を図った2人は、互いに手を取り合うこともできず、動かなくなった。
数日後、2人の男女がいなくなった側に、一束の花束が贈られていた。
それを見下ろしていた男が、花束の中からカードを取り出す。
「なになに? ……あー…、ルッツ・ヴェルマーとサク・トリスハート、永逝……。はあー、まじで死んだのかよー。俺 首跳ねられちゃうよ。まじどうすっか」
寂しげな花束を足元に見下ろして、スナイパーを突き落した男はこの先の自分の未来を憂いて嘆息する。
「あの影の女も捕まえらんなかったし、つーか死んでるし、レトリアも終わりだな。エルディーにでも逃げ込むか。……飼い殺し同然だが、このままレトリアに始末されたくもないしなぁ」
男はだるそうに立ち上がると、しわの寄った眉間を手で揉みほぐしながら路地裏へ消えていった。




