01
「拙いなこりゃ……」
鬱蒼とした森の奥地で、一人の男が呟いた。
目が隠れるまで伸びた黒い前髪から、切れ長の瞳が見れる。その目に光は薄く、覇気はない。
疲れ切った様子で手頃な木に細身の体を任せ、そのまま座す。
顔に手を当てる。べったりとした手汗が顔に付着するが、それを不快と思える余裕もなかった。
空仰げば目に葉が映り、木漏れ日が男の瞳を優しく焼いた。眩しさに目を細める。
森は、ただ静かだ。
「ふぅー……」
男は息を深く吐いた。落ち着く為に体から力を抜こうとした訳だが、その意味は成さず、この場では己の疲労を再認識しただけであった。
整わない息。鼓動は不自然に鳴っている。疲れと恐怖と焦りによって、男の体はガタガタだった。
「死ぬのか、僕は」
ぼそりと呟いた言葉には、しかし悲壮感はなく、ただ事実としてそうなるだろう、と言う諦めが強く表れていた。
ここが、終の場所。木々のざわめきや草土の匂いも、大樹から漏れ出る日の光も、全てがそれを肯定している様に男は思えた。
お前はここで死ぬのだ。
まるで、世界がそう囁いているかの様に。
「くそっ……!」
その悪態は誰に向けた物なのだろうか。
今彼の命を脅かしている例の『獣』に向けたのかも知れない。
大した力も持ってない矮小な自分に向けたのかも知れない。
「くそっ、くそっ、くそっ……」
いや、そんな特定のものではなくて。
「呪うぞ、全部、全部……!」
結局、四流呪術師、セージ・ソムニアは世界の全てを呪っていた。
己の力量では世界の端も呪えないとは気付いていたが、それでも悪態は止まらなかった。
ソムニア村のセージ。十七歳。男。呪術師。
彼は、中途半端な男だ。
才能、実力、覚悟。
全てがそこそこで、足りていなかった。
『呪術師』としては四流で、他所の呪術師が使えるような呪術は使えない。
かと言って、例えば剣士だとか、魔術師だとか、そういったものの適性もなかった。
だから、呪術師になった。イデオロギーや目標、目的があったのではなく、ただ呪術師が一番向いていた。
そして、一番向いている呪術師でさえも、四流。早い話、才能がないのだ。
『冒険者』としては三流だ。どこぞのダンジョンに潜るだとか、広大な世界を見て周るだとか、そういったことは殆どしなかった。それっぽいことは幾度か行ったのだが、結局は生まれ育ったソムニア村から出て、大国エーアゾルの膝元でうろちょろしているだけだった。
唯一及第点が与えられるとしたら、それは『傭兵』としてだ。
そこそこの経験を積み、そこそこの数の戦争を生き抜いて、まぁまぁの傭兵として国から認められていた。
だが、それも精々が二流だ。
『戦争の最前線で駆け抜ける呪術師』が珍しく、使い道があるだけで、実力が高い訳ではない。
傭兵として最低限の功績は残せる。サポートとしては『そこそこ』優秀だ。
しかし、所詮はそれだけの男なのだ、彼は。
四流呪術師、三流冒険者、二流傭兵。
トータル、そこそこ。バランスが取れている、汎用性が高い。褒めるとしたらこうだ。
中途半端、器用貧乏、突破力皆無。貶めるとしたらこうだ。
そして、セージからすれば、己の悪い方がより目に付くのだ。
何か物事を成す時に、足りないものが多すぎる。常々、彼はそう感じていた。
才能が足りないから実力が足りない。実力が足りないから十分な覚悟も持てなかった。
元々何か人生に目的がある訳でもないのだ。
村に居づらくなったから飛び出して、適当に方々を旅して、路銀の調達の為に冒険者の真似事をして、それだけでは食べていけなくなって、傭兵として戦争に参加して……
セージの人生において、成功点があるとしたら、その初めて参加した戦争で『そこそこ』の成果を挙げたことだ。かと言って、自慢できるほど大っぴらなものではないのだが。
敵国の一部隊の大将を仕留めた、言葉にすればそれだけで、大局を決するものでもない。元々エーアゾルが優勢だったのだ。前評判通り、戦争はエーアゾルが勝ち、セージは傭兵としての賃金の他に、少しの褒賞を貰った。
たったそれだけの、何個もある部隊の、一つの大将を殺しただけでも、彼にとっては己の生き様を決定する出来事だった。
生まれて初めて、己のスキルが評価された。雇い主の軍人に褒められ、他の傭兵達から認められた。
戦争が終わった時、僅かな褒賞で何人かの傭兵に酒を奢った。
礼を言われ、社交辞令に過ぎないだろうが見所があると言われ、騒ぎながら勝利の美酒を啜り合い、何れまたどこかの戦場で会うことを詠った。願うならば、味方として。
それは、戦争を繰り返しているエーアゾルのよくある光景。
生き延びれた傭兵共の、刹那の宴。
そうして、セージは戦争により、少しの自信を得た。
自分は、戦える。生きていける。
しょぼい呪いしか使えない自分でも、それでも世界を呪えるのだ。
才能はないのだろう。実力も足りない分が目立つ。これといった覚悟もない。
それでも、自分は生きていける。
そう、思っていた。その時から、今までは。
それから、彼は幾度も戦争に足を運んだ。
とは言っても、常にエーアゾル側としてでだが。
常在戦場・蛮勇国エーアゾル。
エーアゾルは、強い。強いから、そこらに喧嘩を吹っ掛けている。
強いから、傭兵も集まり、強いから、セージも留まった。
セージは、勝ち馬に乗ったのだ。
それから数年。
呪術師としては相変わらずで、冒険者としての活動も程々でしかなかったが、傭兵として、彼はランクアップを果たした。
強く、強くなったのだ。
村にいた時のあの頃とは変わり、間違いなく、彼は強くなったのだ。
そして、結果。
セージは今、命の危機に扮していた。
「…………」
何が、いけなかったのだろうか。
セージはこうなった理由を自問した。
戯れに受けた、『ゲールタイガー』の幼体二匹の討伐依頼。
馴染みの酒場のマスターが、知り合いが新しく管理した森に住み着いている、何とかしてくれないか、とセージに持ち掛けたのだ。
酒場に集まる傭兵仲間は、皆それぞれの理由で手が空いておらず、唯一暇だったセージにお鉢が回って来た。
幼体程度なら、とセージは二つ返事で了承した。報奨もそこそこであり、マスターに多少の恩義もあったから。
これが、拙かった。
凶悪な牙、鋭い爪、獣特有の圧倒的なフィジカル。獰猛で、肉食。人だって食べる。
己の縄張りに近づけば容赦なく、敵の命を刈り取る、『森奥の死神』
だが、所詮は幼体。ゲールタイガーは常につがいで動いている、と言う事を差し引いてもセージの実力を持ってすれば、討伐はそう難しいものではなかった。
事実、セージは幼体の二匹を奇襲によりあっさりと処理した。
ここまでは良かった。ここまでは。
そこでセージの目の前に、大口を空けたゲールタイガーが現れた。
討伐対象の幼体ではない。正真正銘の死神、大人のゲールタイガーだ。
通常、大人と幼体のゲールタイガーが一緒になることはない。
ないのだが、有り得ない話ではない。
大人のゲールタイガーは、より狡猾で、また臆病でもある。明確な敵が現れる迄、身を隠す習性があるのだ。
これはセージの見解であるのだが、恐らく、大人は昔からここに住んでいて、それを知らずに幼体はこの森に住んでしまったのだろう、と彼は結論を出した。
ゲールタイガー同士で縄張り争いが行われなかった理由は分からない。彼にそこまでの知識はない。
むしろ、そんなことは重要ではないのだ。
大事なことは。
(僕じゃあ大人は殺せない)
これに尽きる。相性、戦力、何をとっても、セージには分が悪過ぎる。
大人と出会った瞬間、セージの行動は早かった。
敵わないと即座に判断し、自身の持ちえる逃げる為の技を駆使した。
しかし、相手は死神なのだ。
(右足は……駄目か)
逃げる瞬間、ゲールタイガーの爪がセージの足を僅かに捉えていた。
大した傷ではないし、血も止めた。
だが、傷付いた足で、獣から逃れる程、この世界は甘くないのだ。
「くそっ、くそ……!」
後悔だけがぐるぐると彼の頭にひしめく。
あの時ああすれば、こうすれば、今、死に瀕してはいなかったろう。
即逃げるのではなく、カウンターを返せば。
爪がセージの足を削った時に、呪術を発動していれば。
いや、そもそも軽い気持ちで依頼を受けていなければ。
もっと言えば、自身の身の程を知り、村から出なければ。
――――そもそも、生まれてなければ。
「何の為に生きているんだろうな、僕は……」
今わの際の、自問自答。
答えはない。森は答えない。世界は黙す。
目標も目的も夢も希望もない。ただ、傭兵として人を殺める日々。漠然とした時の積み重ね。
何の為に生きて、何の為に死ぬのか。
彼には、分からなかった。
分からないことだらけだ。
だけど、それでも。
今、彼には言う言葉があった。
この土壇場の場面において。
セージ・ソムニアは、十七年の人生で、生まれて初めての目標が出来た。
「死にたくない」
ぼつりと口から飛び出た言葉は、重く、ドロドロとしていて、ねっとりと粘ついていた。
生への執着が、生きる事への粘着が、これ以上なく表現されていた。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない……」
死の恐怖。
戦場では、死は一瞬だ。敵の剣が煌いたら死にかねないし、事実、セージは何度も死に掛けてはいた。
だが、それは刹那の出来事で、彼は足を止めなかった。考えなかった。臆せば死ぬ。無駄な思考は死へと招く。
だから、彼は碌な覚悟を持てなかったのだ。
死への考察が浅かったから。認識が足りなかったから。
真綿で首を締めるような、ジワジワと這い寄る死の恐怖。
それを体験して、彼は――――
そこで、セージの前に、するりと、森の死神が現れる。
大人のゲールタイガー。
セージ二人分程の体躯を持ち、瞳はギラギラと黒く輝いていた。
剥き出しの白い牙は、そのまま殺意に直結していた。
『―――――――――――――!』
獣特有の重低音の咆哮が、静寂の森に響く。
ゲールタイガーは身を低くし、勢いを付け、座り込むセージに突進を仕掛けた。
それを見て、セージは。
「死にたくない」
呟き。吼えた。
「死にたくない死にたくない死にたくない! なんっなんで死ななきゃいけないんだよぉ! こん、こんなところでぇ、僕が、僕が、くそ、くそっくそっ、あ、あああ!」
無様に。愚かに。情けなく。
惨めに生への執着を示し、高らかに吼えた。
死ぬ覚悟、なんて、彼にとっては糞食らえだった。
だって、死んだら何にもならないじゃないか。死んだら空っぽだ。自分がなくなる。この世界からただ消えるだけ。
彼は今、この場で覚悟を決めた。
全身全霊、己の全てを込め、覚悟を決めたのだ。
生きて、生き抜いて、生き切る覚悟。
何を犠牲にしても、どんな手を使っても、絶対に生きて、死なない覚悟。
世界の全てを呪い、世界からも忌み嫌われたとしても、この己の武器、呪術を駆使して。
死ぬまで、生き切ると。
一つ、決めたのだ。
まだ死にたくない。
まだ生きたい。
生きて、じゃあ何をするのか分からないけども。
死ぬのは、嫌だ。
しょっぱい人生でも、それでも。
いつか、命を使い切る、その時までは。
「死にたく、ないんだよぉおおおおおおおおおお!」
咆哮裂帛。
自分本位で、どこまでも利己的なセージの叫びと共に、彼の右手から一本のナイフが放たれた。
狙いは正確。飛び掛るゲールタイガーの眉間に向かい、白銀光る刃が迫る。
しかし、そんなもの、獣にとっては大した脅威にもならなかった。
放たれたナイフが当たる直前、ゲールタイガーは凡そ人の身には不可能な動きで、身体を翻し、あっさりと煌く凶刃を避けた。
返す刀と言わんばかりの勢いで、セージが構える暇も与えず、大口を開けて再び飛び掛る。
セージが出来たことは、咄嗟に左腕を前に出すことだけだった。
無論、たかが人間の腕。
ゲールタイガーは、まるでそこになにもなかったように、口を閉じた。
一瞬。一瞬だった。
口を開けて、閉じる。その動きだけで、セージの左腕は、肘から先が無くなっていた。
「ぐぅ、うぅ、あ、あああああああっ! はっ、あ、ああ」
目から火花が出る様な、恐ろしい程の衝撃が彼を包む。
生まれてからずっとそこにあった己の腕が、簡単に、簡潔に、あっさりと消失した。
焼ける様な痛みが迸り、血飛沫が当たりに飛び散る。肘の先端からはボタボタと血が流れ、はっきりと水溜りが出来ていた。
セージの顔に脂汗が光る。あまりの痛みに意識を投げ出しそうだった。
そうして、セージは。
「は、はっ、は……はっはっははははははははははは!」
笑った。
痛み苦悶の表情を出しながら、それでも笑っていた。
それは、自棄になった訳でも、狂った訳でもなかった。
――ゲールタイガーの追撃がない。
その笑いは、勝利を確信したからだ。
「くれてやるよ……腕の一本ならぁあ!」
長い髪を振り回し、凄惨な笑みを浮かべるセージ。
獣よろしく犬歯を剥いて、彼はゲールタイガーへと視線を向けた。
森奥の死神は、呼吸も荒く地に臥せていた。
その目は虚ろで、先程の殺意は何処へやら、死に掛けているには、獣の方だった。
「たらふく食えやぁ! 腹ぁ壊して、死ね!」
セージは残った右手をゲールタイガーに向け、魔力を込める。
獣の体がビクン、と不自然にバウンドした。
体内で暴れているのだ。セージの左腕が。
「踊る紅血」
その呟きと同時に、ゲールタイガーの体が一際大きく跳ね、そして動かなくなった。
「は、は……どうだ……どうだっ!」
勝利の雄たけびを上げたのは、獣ではなく、呪術師だった。
血操呪術。
彼が使える数少ない呪いの一つ。
主な使い道は、己の魔力を込めたナイフを突き立てることにより、対象の流血を促進させるものだ。
呪いが篭った一撃を受けたものは、例えどんな小さな傷でも、血が止まらなくなる。
だが、それも永遠ではない。もって一時間程だ。必殺に程遠い。だが、十分な隙は生まれる。血を流しながら前線を戦うのは困難だからだ。
セージの傭兵としての役割は、ナイフをばら撒いて敵の隙を作り(当たったら儲け物、程度だ)、味方が血を流していたら血操により応急処置を施し、後衛に控える治癒師のところへ行ける様にする、というものだ。
サポートとしては使えるが、単体としての戦力は低い。
しかし、だ。
血操は勿論自分にも使える。
セージの全身に流れる血は、それだけで彼の武器であり、相手にとっては毒なのだ。
自分に流れるものならば、それは自由に起動できる爆弾なのである。
(まだ、まだ行ける……生きていける……!)
血操により己の流血は止めた。
失った分は、万が一の為に所持していた造血剤でこの場は持つ。
左手一本なら、義手で補える。エーアゾルはこの手の技術が盛んだ。知り合いの傭兵にも、幾人か義手義足の者が居る。値段は高価で、慣れる時間も必要だが、それでも絶望する程ではない。
まだ、人生を捨てるときではないのだ。
問題があるとすれば。
「は、はは、あと、一匹か……」
『ゲールタイガーは常につがいで動いている』
――気配が、消えない。
今は姿こそ見えないが、パートナーを失い、慟哭の呻きを上げる獣が、恐らく、そう遠くないところに居る筈だ。
逃げれない。
この疲労した体では、到底逃げ切ることなど不可能だ。
ならば。
「来いよ……!」
連戦だ。
迎え撃つしかない。
正面から、正々堂々と、後退はせず、ただ呪うのだ。
仕込みはした。なんだったら、腕はもう一本ある。
足は二本あるし、失った左腕も、肘から肩に掛けてなら、まだ爆弾として機能する。
「生きる、生きてやる……あがいてやる!」
セージ・ソムニア。十七歳。男。呪術師。
四流呪術師。
三流冒険者。
二流傭兵。
才能は足りていない。
実力も足りていない。
ただ、覚悟は足りていた。
今ここで、足りないピースが一つ、確かに埋まったのだ。
自分を呪う世界を生き抜き、世界を呪う覚悟が、彼には足りていた。
「勝負だ……」
獣の呻き声が、今度は明確に聞こえた。
向こうは猛る牙と鋭い爪を持って、確実にセージの命を喰らいに行くだろう。
――上等だ。
どちらか獣か分からないほど、セージは獰猛に瞳をぎらつかせた。
今日、この日を誕生日にしよう。
この場を持って、生まれ変わり、また生き切るのだ。
それが、祝福されないだろう、呪いと血に塗れたモノであったとしても。
それでも、この世界で生きていこう。
自分は血を操る呪術師。
呪いと血は、己が全てなのだ
第一話で主人公の手が取れる系小説




